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★1988年

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消費税の成立

88年1月、竹下首相は初の施政方針演説で税制改革に向けての意欲を表明したが、この国会では、税制改革の本格的審議にはいたらず、7月、いよいよ消費税導入のための臨時国会が召集された。
リクルート事件の追及と絡めて審議拒否で徹底抗戦する社共に対し、公・民両党は委員会、本会議に出席することで自民党に協力した。大幅な会期の延長によって、結局12月24日、社共議員の牛歩戦術による抵抗むなしく、3%消費税導入を含む税制改革6法案は可決成立した。

リクルート事件

88年6月、『朝日新聞』は川崎市の助役が川崎駅前への進出に便宜をはかった見返りとして店頭公開前のリクルートコスモス株を譲渡され、一億円の利益を得ていたと報道した。その後、同様にコスモス株が政官財界にばらまかれたことが明らかになり、疑獄に発展した。森喜朗元文相・渡辺政調会長・加藤六月前農水相・加藤紘一元防衛庁長官・塚本民社党委員長・中曽根前首相・安倍自民党幹事長・宮沢蔵相・竹下首相らへの本人または秘書等の名義での株譲渡がつぎつぎに発覚した。さらにその後も,藤波元官房長官・真藤NTT会長・高石前文部次官・加藤前労働次官などの関与が明らかとなり、株譲渡に関与した政界関係者は自民・社会・公明・民社四党の代議士17人にのぼった。
12月になって宮沢蔵相が秘書のリクルート株譲り受けで引責辞任したのをはじめ、閣僚の辞任が相次ぎ、竹下内閣は追いつめられた。


天皇下血

 88年9月19日深夜、裕仁天皇が大量の吐血と下血症状で重体におちいった。政府は、天皇の国事行為の代行を皇太子に全面委任することを決定した。マスコミは一斉に特別体制をとり、天皇の病状を逐一伝えた。閣僚の外国訪問から各地での秋祭りや各種行事まで中止・自粛があいついぐ異様な空気が列島を覆った。
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