dunpoo @Wiki

★1970年

最終更新:

dunpoo

- view
管理者のみ編集可

70年安保

1970年(昭和45年)6月23日、日米安全保障条約は、自動延長された。新左翼諸党派は、これを絶
対阻止するとして街頭闘争を展開したが、前年の東大闘争鎮圧以来、大学への機動隊導入ー正常化が相次ぎ、新左翼運動の退潮は明らかであった。社共両党も反対を叫んだが、院外の運動では新左翼の動員と過激さに圧倒され、60年安保の時のような院内外の連携した闘争が組めず、結局、国会政治的には、「無風」で安保は延長されてしまった。

昭和元禄

ちまたでは、「人類の進歩と平和」をテーマにした大阪万博が話題となり、半年の期間中、6400万もの観客を集めた。「昭和元禄」=高度成長のユーフォリアは頂点に達していた。新左翼による騒動も、大衆にとってはそれにアクセントを添えるひとつの風俗であった。

公害

そこに影となって忍び寄ってきたものは、公害問題だった。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの原因が企業の排水・排ガスにあることはもはや誰の目にも明らかになっていた。川や海岸はヘドロに埋まり異臭を放ち、光化学スモッグで人々が倒れるという、終末的様相を帯びてきたのである。国はようやく重い腰を上げ、70年11月の臨時国会=「公害国会」は、公害関係14法案が成立、公害防止法制が一応整ったのである。
目安箱バナー