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◎平和をつくるための本棚09Ⅱ

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発禁『中国農民調査』抹殺裁判



  [著]陳桂棣・春桃/チェン・コイティー、チュンタオ 納村公子・椙田雅美訳
  出版社:朝日新聞出版  価格:¥ 2,940

  [評者]天児慧(早稲田大学教授・現代アジア論)
  [掲載]朝日新聞2009年11月29日



 長く中国研究にかかわっていても、その政治社会の深層に触れることは容易ではない。それを痛感させてくれたのが本書の元になった『中国農民調査』(2003年、邦訳は05年・文芸春秋)である。2人の著者は安徽省の農村で2年余りの徹底した調査を行い発表に踏み切った。それは農民の絶望的な悲惨さ、彼らに対する権力の非人道的な行動をリアルに描いたもので、その衝撃は各メディアに大きく扱われ、瞬く間に中国全土、さらには世界に響き渡った。しかし間もなく安徽省党委員会の報道規制を、やがて党中央宣伝部から発禁処分を受けた。が、その後も海賊版だけで1千万部を超えると言われるほどであった。

 本書は、前書の発禁処分前後の緊張した状況から始まり、悪徳地方権力者として名指し批判された張西徳・元臨泉県党書記が著者らを名誉毀損(きそん)で阜陽市裁判所に訴え、これに対して著者が被告として立ち向かった「裁判闘争の記録」である。張西徳はいわゆる「地方皇帝」で、地元の人々の運命を左右してきた。彼は息のかかった幹部らを原告証人に指名し、批判派農民幹部の幾人かを抱き込み、司法関係者らも味方につけ、ほぼ万全の布陣で裁判に臨んだ。しかし、被告側も正義感の強い弁護士団が形成された。彼らの尋問、迫害を受けた農民の断固たる訴えによって、裁判は次第に被告側に有利に展開し、さらに司法関係者の汚職が暴かれ、勝利で決着がつくかに見えた。が、土壇場で著者たちの知らないうちに中央の党・司法機関が介入し、出版社側が張西徳に慰謝料5万元を支払い決着がついていた。

 本書は単なる裁判の記録ではない。農村における幹部と民衆の埋めがたき深い亀裂、権力者の縦横に繋(つな)がる人脈、それを使った既得権益の死守は想像を絶する。しかし人権意識、被害意識に目覚めた新しい対抗勢力の台頭、しかも彼らの攻防が未熟ながらも「裁判」という場である程度展開された。古い政治と新しい政治のせめぎ合いが浮かび上がっている。中国政治のリアルで核心的な現実の一端に触れることができた。

死者たちの戦後誌―沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶


 死者たちの戦後誌―沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶
 著者:北村 毅
 出版社:御茶の水書房  価格:¥ 4,200
 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)
 [掲載]朝日新聞

 戦争体験と戦場体験とはまったく意味が異なる。戦争体験とは戦争の時代に生きたということであり、戦場体験とは国の示す戦争目的に沿って兵士が命の奪い合いをするということだ。太平洋戦争下で非戦闘員として事実上、兵士の盾とされたのは沖縄県民だけである。

 沖縄戦にあっては生者と死者の分かれ目は紙一重であった。それゆえ戦後社会は生者が死者であり、死者が生者であるとの共存が成りたつ。

 著者は死者の側に身を寄せつつこの共存を自らの研究姿勢の土台に据えている。すると見えてくる光景が幾つもある。本書は沖縄戦から戦後の米軍占領下、そして戦後史、あるいは遺骨の収集、記念碑なるものの建立、本土の戦死者遺族の追悼と慰霊の屈折、沖縄の生者の心理にひそむ複雑な感情まで、実に多様な面からの分析を試みていく。著者はまだ三十代半ばの研究者だが、従来の類書にはない視点や論点を示し、その立論も沖縄にとけこんで密度が濃い。

 たとえば本書には「集められた遺骨は、集落ごとに設置された納骨所へと収められた。生活そのものが死者と向き合う営為であり」といった記述があり、遺体や遺骨が支配する世界では「生者こそがよそ者であったのかもしれない」といった逆説が強調される。ある種の慰霊塔は「その場で記念=追悼されるのは、軍人か軍への協力者(軍属等)に限られる」という。まさに生者による死者の政治的利用である。とくに本書では「沖縄病」に対する考察が鋭い。戦後社会にあって、ひたすらかわいそうというだけの感傷や悲劇の島といった負のイメージを重ねる「まなざし」などを指すのだが、この沖縄病に罹患(りかん)するのはどういうときか、どういう症状があらわれるのか、その具体的記述に関心がもたれる。

 本書の末尾で、著者は「日本社会は、戦死者を悼んできたとはいうが、その死を痛んできただろうか」と問う。著者が辿(たど)りついたこの結論に戦争体験をもつ世代が真摯(しんし)に答えてきただろうかと改めて私自身もつぶやきつつ考えこんだのである。

    ◇

 きたむら・つよし 早稲田大学准教授(文化人類学)、琉球・沖縄研究所研究員。
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