dunpoo @Wiki ●東南アジア

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


140516 ベトナムの中国人多数が一斉帰国 暴動受け避難、両国経済に影響 [東京]

 【憑祥共同】南シナ海での中国による石油掘削作業に端を発した反中暴動がベトナム各地で発生したことを受け、ベトナムで働いている多数の中国人が避難のために一斉帰国し始めたことが16日、分かった。ベトナムに隣接する中国広西チワン族自治区の入国管理当局者が明らかにした。
 またベトナムにある多くの中国系企業が、工場を一時閉鎖して従業員を帰国させ始めたことも判明。中国とベトナムの関係悪化は、両国経済に多大な影響を与えることが確実となった。
 入管当局は帰国した正確な人数は把握していないが、同自治区憑祥市にある国境だけで1万人以上が帰国したとみられるという。

140507 タイ:憲法裁判所が職権乱用違憲判決 インラック首相失職 [毎日]

 【バンコク岩佐淳士】タイの憲法裁判所は2日、国家安全保障会議(NSC)事務局長の人事を巡り、インラック首相が憲法に違反して職権を乱用したとして、違憲と判断した。インラック首相は失職し、人事に関与した一部の閣僚も同時に失職した。ロイター通信が報じた。

 インラック政権は2011年8月の発足後、タクシン元首相の元妻の兄、プリアウパン氏を国家警察本部長官に起用。玉突き人事の影響でNSC事務局長だったタウィン氏が更迭された。

 タウィン氏は「縁故主義による不正人事だ」として提訴。最高行政裁判所は今年3月、タウィン氏の同事務局長への復職を認める判決を下した。この判決を受け、反タクシン派に同調する上院議員らが「政権に憲法違反があった」として、首相や閣僚の弾劾を求めて憲法裁に提訴していた。

121119 オバマ氏、スー・チー氏を訪問…民主化ねぎらう [読売]

 【ヤンゴン=白川義和】オバマ米大統領は19日、現職米大統領として初めてミャンマーを訪れ、最大都市ヤンゴンでテイン・セイン大統領と会談した。

 オバマ氏は会談後、「ミャンマーの民主化と経済改革は驚異的発展の機会になりうる」と記者団に述べ、改革を支援していく考えを示した。

 オバマ大統領は続いて民主政党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー氏を自宅に訪ねて会談し、民主化への努力をねぎらった。会談後オバマ氏と並んで記者団の前に現れたスー・チー氏は「大統領の訪問の結果、両国関係は正しい方向に進むと信じている」と述べた。オバマ大統領はヤンゴン大での講演で、対外援助を統括する米国際開発庁(USAID)のミャンマー事務所再開を明らかにした。

121015 カンボジアの「国父」シアヌーク前国王が死去 [読売]

 【バンコク=深沢淳一】カンボジアのノロドム・シアヌーク前国王が15日未明、療養先の中国・北京で死去した。


 89歳だった。カンボジア政府が同日発表した。

 「国父」と慕われ、大国に翻弄された冷戦時代や、国民の大虐殺が行われた1970年代のポル・ポト政権時代など、国家の命運を左右する事態に関わり、カンボジアの現代史そのものと言える存在だった。

 カンボジア政府高官によると、前国王は心臓病やがんなどを患い、近年は北京で療養することが多かった。直接の死因は心臓病とみられるという。

 シアヌーク前国王は41年に18歳で即位。53年にフランスからの完全独立を果たした後、55年にいったん退位して首相に就任した。

 70年3月の親米派ロン・ノル将軍によるクーデターで追放され、中国に亡命した。75年にポル・ポト派のプノンペン制圧を受けて帰国したが、間もなくポト派に幽閉されるなど波乱の人生を送った。

 カンボジア和平の象徴として93年に国王に復位した。2004年10月に、健康不安などから息子のシハモニ殿下に王位を譲った。

120820 ミャンマー、新聞や雑誌の検閲を半世紀ぶり廃止 [読売]

 【バンコク=深沢淳一】ミャンマー情報省は20日、国内の民間メディアが発行する新聞や雑誌に約50年にわたって実施してきた事前検閲制度を、同日付で廃止したと正式に発表した。

 ミャンマーでは、独裁体制を敷いたネ・ウィン政権時代に検閲制度が導入され、軍事政権時代も厳しい言論弾圧が続いた。これに対し、政治・経済改革を進めるテイン・セイン政権は昨年、スポーツや芸能、娯楽、健康、科学などの専門紙や雑誌への検閲を廃止した。

 今回、最後まで残っていたニュースや政治、宗教に関する検閲も廃止に踏み切ったことで検閲制度は完全に撤廃された。情報省で検閲を担当してきた新聞監視登録局のティン・スウェ副局長は読売新聞に対し、「局内の検閲機能は廃止された」と明言した。ヤンゴンの地元紙編集者は「今後はメディアの報道姿勢と記者の責任が強く問われる」と語った。

101113 アウン・サン・スー・チーさん解放 7年半ぶり [朝日]

 【バンコク=古田大輔】ミャンマー(ビルマ)軍事政権は13日、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(65)の自宅軟禁を解除した。スー・チーさんの解放は3度目の拘束が始まった2003年5月以来、約7年半ぶり。今も国民に高い人気があるスー・チーさんは、民主化運動を再開するとみられる。

 軟禁は解除したものの、スー・チーさんが総選挙の無効や民主化勢力の結集などを呼びかけ、その影響力が強まれば、軍政が4度目の拘束に踏み切る恐れもある。

 この日午後5時(日本時間同7時半)過ぎ、ヤンゴンの自宅前の道路を封鎖していたバリケードが軍政当局によって撤去された。解放を待っていた多数の支持者らが歓声をあげて一斉に敷地内に入った。スー・チーさんはその後、建物から出てきて群衆に笑顔で手を振った。ロイター通信によると、スー・チーさんは「私たちは目標に向かって力を合わせていかなければならない」と語った。また、14日に自身が率いる国民民主連盟(NLD)本部で演説する考えを支持者に伝えた。

 スー・チーさんは自宅軟禁中だった昨年5月に米国人を自宅に滞在させたことが国家防御法違反に問われ、禁固3年の有罪判決を受けた。その後軍政はこれを1年6カ月の自宅軟禁に減刑し、その期限が13日とされていた。

 スー・チーさんの弁護士によると、スー・チーさんは解放後はいかなる行動の制限も受け入れない意向を表明。NLDは7日投票の総選挙をボイコットして政党としては解党処分を受けたが、選挙での軍政側の不正疑惑に関する証拠収集を進ており、スー・チーさんを先頭に選挙の無効を訴える運動などを計画しているという。

 軍政は、前回総選挙(1990年)の前年にスー・チーさんを自宅軟禁下に置いたが、選挙ではNLDが圧勝。軍政は政権移譲を拒否し、スー・チーさんを国民から遠ざけるため、以後21年間で計15年間、スー・チーさんの行動の自由を奪ってきた。

 軍政が今回スー・チーさんを解放したのは、裁判で決まった軟禁期限が切れたことに加え、20年ぶりの総選挙を軍政に有利なかたちで乗り切ったことが背景にあるとみられる。ただ、スー・チーさんに自由な活動を認めれば、反軍政運動が広がる可能性が高く、軍政は神経をとがらせている。

    ◇

 〈アウン・サン・スー・チーさん〉「ビルマ独立の父」と敬愛される故アウン・サン将軍の長女。インドや英国で政治学などを学び、1985年には京都大学東南アジア研究センターの客員研究員を務めた。母親の看病で帰国した88年、民主化を求める大規模な学生デモと激しい武力弾圧を目の当たりにして国民の前で初めて演説。民主化運動の象徴となった。同年、90年総選挙に向けて国民民主連盟(NLD)を創設し、書記長に就いた。その後、繰り返し軍政によって拘束、軟禁された。91年、ノーベル平和賞を受賞。英国人学者の夫(99年病没)との間に2人の息子がいる。

ミャンマー総選挙に不参加 スー・チーさんの政党NLD [朝日]

 【バンコク=山本大輔】ミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが書記長を務める最大野党・国民民主連盟(NLD)は29日、ヤンゴンの党本部で中央執行委員会を開き、軍事政権が年内に予定している総選挙は「公正さを欠く」として、全会一致で不参加を決めた。

 最大の民主化勢力が参加しない総選挙の正当性を欧米諸国が認める可能性は低く、軍政主導の「民主化プロセス」は大きくつまずく。軍政が今月8日に制定した政党登録法は、法制定から60日以内に総選挙に向けた登録をしない場合には政党として存在できないと定めており、NLDは5月上旬に政党としての地位を失うことが確実になった。

 NLDによると、委員会には自宅軟禁中のスー・チーさんから書簡が寄せられた。書簡のなかでスー・チーさんは「選挙関連法の内容は非民主的で、この法律に基づく政党登録はできない。NLDは過去に登録を終えている既存政党で、再登録しなくても政党資格を失うことはないと考えている」と主張したという。

 党内にはこれまで選挙参加を求める声もあったが、スー・チーさんが反対の意思を繰り返し鮮明にしたことで、中央執行委員会の不参加決定は全会一致となった。欧米諸国などはNLDの参加を「公正な選挙」の重要な判断材料にしており、軍政主導の総選挙の不当性を訴えるには、不参加が最も有効な手段だとの判断もあるとみられる。

 軍政は新たに定めた選挙関連法で、立候補できるのは「禁固刑に服していない者」と規定し、自宅軟禁中のスー・チーさんを排除した。今回の決定で、NLDは改めてスー・チーさん抜きの選挙は受け入れられないという姿勢を示した。一方、軍政側が政党登録期限までにスー・チーさんを解放する可能性はきわめて低い。

 欧米諸国などは、国際社会として軍政に圧力をかけ、スー・チーさんの解放やNLD参加の道を開きたい意向だが、中国など「内政不干渉」を主張する国もあり、国際社会が結束するのは難しい。

 NLDは1990年の総選挙で圧勝したが、軍政は結果を認めなかった。その後軍政は独自の民主化の行程を発表した。軍政は今年予定の総選挙をへて民政移管を果たすとしている。

0720 スー・チーさん解放、共同声明で求める ASEAN外相 [朝日

]
2009年7月20日21時36分
 【プーケット(タイ南部)=山本大輔】タイのプーケットで開かれていた東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相会議は20日、共同声明を採択した。焦点だったミャンマー(ビルマ)の民主化問題では、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの名前を明記して全政治犯の即時解放を求めた。

 3月のASEAN首脳会議の議長声明でも政治犯の解放を求めたものの、スー・チーさんの名前は明記されておらず、より踏み込んだ内容となった。背景には、スー・チーさんが5月に刑事訴追されたことへの批判があるとみられるが、声明はスー・チーさんの裁判には触れていない。

 声明は、ミャンマー軍事政権が来年に予定している総選挙について「自由、公平で誰もが参加できる」ものとするよう促し、「真の和解への道筋をつけるため、スー・チーさんを含むすべての拘束者を直ちに解放することを呼びかける」とした。

 一方で、「ミャンマーは外部による経済制裁が同国の民主化と発展を妨害しているとの考えを表明した」との文言を盛り込み、民主化勢力への弾圧を理由に経済制裁を続ける欧米に嫌悪感を示すミャンマーへの配慮も見せた。

 北朝鮮については「6者協議での合意や国連安保理決議に明確に違反する核実験やミサイル発射を非難する」と改めて表明。6者協議を「今も朝鮮半島の平和と安定を実現する主要な枠組み」と位置づけ、北朝鮮に早期復帰を促した。