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サイパン訪問「心の重い旅でした」 天皇陛下が72歳に [毎日]

2005年12月23日07時19分
 天皇陛下は23日、72歳の誕生日を迎えた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見した。初めての慰霊のための海外訪問となった6月のサイパン訪問については「心の重い旅でした」と振り返った。結婚して皇族の立場を離れた長女黒田清子さんについて「おかしいことで3人が笑うとき、ひときわ大きく笑っていた人がいなくなったことを2人で話し合っています」と、寂しさをのぞかせた。

 サイパン訪問について、当時島にいた在留邦人らの苦しみ、家族を失った人の悲しみに「いかばかりであったかと計り知れないものがあります」と思いを寄せた。

 歴史との接し方についても言及。「過去の歴史をその後の時代とともに、正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていくうえにも極めて大切なことと思います」「過去の事実についての知識が正しく継承され、将来に生かされることを願っています」と述べた。

 清子さんについては「皇后はさぞ寂しく感じていることと思いますが、今までにも増して私のことを気遣ってくれています」と明かした。

 女性・女系天皇容認に向けて来春、政府が提出する見通しの皇室典範改正に関連して、皇室の伝統とその将来については「回答を控えようと思います」とした。

 療養中の雅子さまについては「徐々に快方に向かっていることは喜ばしく、一層の回復を待ち望んでいます」と述べた。
URL:http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200512220842.html

都知事大嘗祭参列、政教分離違反せず…最高裁判決 [読売]

 天皇即位に伴い1990年に行われた即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)に、当時の鈴木俊一・東京都知事が公金を使って参列したのは「政教分離を定めた憲法に違反する」として、都民34人が鈴木元知事と元幹部3人を相手取り、計約5120万円の返還を求めた住民訴訟の上告審判決が8日、最高裁第1小法廷であった。

 島田仁郎裁判長は「天皇の即位に祝意を表する目的で、社会的儀礼として皇室の伝統儀式に参加することは、憲法の政教分離規定に違反しない」と述べ、請求棄却の1、2審判決を支持し、上告を棄却した。原告側敗訴が確定した。

 即位の礼、大嘗祭を巡っては、違憲と主張する訴訟が全国で5件起こされたが、今回の判決ですべて原告側敗訴が確定した。

(2005年12月8日23時46分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051208ic28.htm

「日本は天皇中心の国」 自民・武部幹事長が会合で発言 [朝日]

2005年12月05日23時41分
 自民党の武部勤幹事長は5日、水戸市で開かれた会合であいさつし、「日本という国は天皇中心の国であります。中心がしっかりしているということと同時に、中心をみんなで支えていく。そういう国柄だと思います」と語った。00年に当時首相だった森喜朗氏が、会合で「日本は天皇を中心とする神の国」と発言。戦前に国家神道の傘下に入るのを拒んで弾圧された創価学会を支持母体とする公明党や、主権在民に抵触するとして問題視した野党などが反発した経緯がある。

 在職50年を迎えた同党の山口武平・茨城県議をたたえる中で述べたもので、「茨城県政発展の原動力は、中心にある山口先生がすばらしいということと同時に、みんなでもり立てる姿こそがそれ以上にすばらしい。これからの日本国もかくありたい」と続けた。
URL:http://www.asahi.com/politics/update/1205/010.html

皇室典範改正準備室、内閣官房に設置 [朝日]

2005年12月01日20時52分
 政府は1日、内閣官房に「皇室典範改正準備室」を設置した。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が11月24日にまとめた最終報告書を踏まえ、来年の通常国会に提出する皇室典範改正案の作成作業を担当する。

 準備室は、内閣官房や宮内庁審議官ら15人で構成。室長には柴田雅人内閣総務官、副室長には内閣審議官2人が就任した。改正案は、女性・女系天皇を認めたうえで、皇位継承順位は男女を区別せず「第1子優先」などとする内容を盛り込む見通しだ。
URL:http://www.asahi.com/politics/update/1201/011.html

女性・女系天皇容認方針、学者や神社本庁が批判 [読売]

 学者らがつくる「皇室典範問題研究会」(代表=小堀桂一郎・東大名誉教授)は25日、首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長=吉川弘之・元東大学長)がまとめた女性・女系天皇を認める報告書に関し、「皇室の伝統を破壊するものだ」と批判する声明を出した。

 神社本庁も同日、「男系継承の歴史的な重みは、制度的安定を主たる理由として軽々に退けられてはならない」とする矢田部正巳総長の談話を発表した。
(2005年11月25日22時1分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20051125ia22.htm

皇室典範:有識者会議が報告書 女性・女系天皇容認を柱に [毎日]


最終報告書を小泉首相に提出した皇室典範に関する有識者会議後、会見する吉川座長=首相官邸で24日午後7時13分、川田雅浩写す 小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東京大学長)は24日、女性・女系天皇の容認を柱にした報告書をまとめ、首相に提出した。女性・女系容認は「社会の変化に対応しながら、多くの国民が支持する象徴天皇制の安定的継続を可能にするうえで大きな意義を有する」と結論づけた。報告書を受け、政府は来年の通常国会に皇室典範改正案を提出する。皇室の長い歴史の転換で国民の理解を深めることが課題になるうえ、政府・与党の一部には異論が残っており、調整は曲折も予想される。

 女性・女系容認以外では(1)皇位継承順位は直系優先で出生順の「長子優先」とする(2)皇室の範囲は天皇との世数を限定しない現行の「永世皇族制」を維持する(3)女性皇族は婚姻後も皇族にとどまり、配偶者や子孫も皇族となる--などを盛り込んだ。

 男系維持派が主張する1947年に皇籍離脱した11の旧宮家の皇籍復帰は「国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点がある」と退けた。そのうえで、女性・女系容認について「男系男子限定に比べ、格段に安定的制度」と指摘。さらに「女性の社会進出も進み、性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にある。積極的に受け入れ、支持する素地が形成されている」と記した。男系維持派からの批判に応える形で「幅広い国民の支持が得られる制度である限り、正統性が揺らぐことはない」とも主張した。

 皇室の範囲は永世皇族制維持を採用する一方、「その時々の状況に応じて、弾力的に皇籍離脱制度を運用し、皇族の規模を適正に保つことが適当」とも指摘した。【野口武則】

 ◆「皇室典範に関する有識者会議」の報告書骨子

 ・男系男子の皇位継承維持は極めて困難。

 ・旧皇族の皇籍復帰は国民の理解と支持、安定性、伝統の視点から問題。

 ・女性・女系天皇の容認は象徴天皇制度の安定的継続を可能にする。

 ・「長子優先」による皇位継承は制度として分かりやすく、優れている。

 ・天皇・皇族の子孫は世数を問わず皇族の身分を有する「永世皇族制」。

 ・女性皇族は婚姻後も皇族にとどまり、配偶者や子孫も皇族となる。

 ・女性天皇、女性皇族の配偶者の名称は今後の検討課題。






毎日新聞 2005年11月24日 20時22分 (最終更新時間 11月25日 0時28分)
msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20051125k0000m010086000c.html

皇室典範:97年から極秘検討会 内閣・宮内庁OBら [毎日]

 内閣や宮内庁のOBらによって皇室典範の改正を念頭にした極秘の検討会が、97年から開かれていたことが、政府関係者の証言などで24日明らかになった。メンバーは、内閣法制局や宮内庁、総理府(当時)の元幹部らで、天皇家の長女、紀宮さま(黒田清子さん)の即位のシミュレーションも行われた。政府関係者が皇位継承の危機的状態を背景に少なくとも8年も前から検討を始めていた実態が浮かんだ。

 会合は特別研究会や懇話会などの名前で、OBを集めて行われ、当時、宮内庁の鎌倉節長官や古川貞二郎官房副長官、大森政輔内閣法制局長官ら現役の政府関係者も参加したこともあったという。97年4月から始まり、皇位継承制度を重要な課題と位置づけ、法律・政治・歴史などの研究者を集めて月1回程度の割合で開いていた。

 大学教授らが資料を作成して持ち寄っての勉強会形式で、結果は、今回の有識者会議の資料としても活用された。有識者会議で座長代理を務めた元最高裁判事の園部逸夫氏も当時の研究者のメンバーの一人で、主に法律上の課題や法改正の方向をまとめる中心になっていたという。

 皇太子妃雅子さまの懐妊などがあり、研究会は3年近く開かれなかった時期もあったが、03年春から内閣の官房・法制局、宮内庁が公式検討に向けて準備を始め、女性天皇の配偶者に関する項目など具体的検討に入った。関係者の一人は「皇室制度の改正は、天皇家に直接かかわる話で、性質上、細心の注意を払って対応した」と極秘検討の理由を説明している。
毎日新聞 2005年11月25日 3時00分
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051125k0000m010172000c.html

皇室典範:反対派が旧宮家の皇籍復帰へ特別法制定要求へ [毎日]

 「皇室典範に関する有識者会議」が女性・女系天皇を容認する報告書を小泉純一郎首相に提出したのを受け、男系男子による皇位継承の維持を求めるグループ「皇室典範問題研究会」の小堀桂一郎代表(東京大名誉教授)らが25日午前、東京・永田町の憲政記念館で記者会見し、1947年に皇籍離脱した11の旧宮家の皇籍復帰を可能にする特別法の制定を求めていく考えを表明した。

 小堀氏らは報告書について「有史以来の伝統を破壊する。皇位継承の安定化どころか、皇室の正統性の根幹を揺るがすものだ」と批判。「最後は政治力だ。真正保守の心を持つ人に訴えかけていきたい」と述べた。【衛藤達生】
毎日新聞 2005年11月25日 11時59分
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051125k0000e010051000c.html

天皇陛下、プーチン露大統領と会見 [読売]

 天皇陛下は22日昼、皇居・宮殿「竹の間」で、ロシアのプーチン大統領と約25分間、会見された。

 宮内庁によると、プーチン大統領は黒田清子さんの結婚について祝意を伝え、陛下は、大統領が清子さんにお祝いとして置物を贈ったことへの感謝の言葉を述べられた。

 今年は日露修好150周年に当たり、「日露間で色々な交流が盛んになってうれしく思います」と陛下が述べられると、大統領は「今回の訪日に経済界が大変な関心を示してくれて有益な意見交換が出来ました」と応じた。

(2005年11月22日13時47分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051122ic07.htm

皇位継承は長子優先で一致…皇室典範会議 [読売]

 小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長=吉川弘之・元東大学長)は21日の第16回会合で、皇室典範の改正に関する報告書の概要を決めた。女性・女系天皇を認めるとともに、皇位継承順位は、男女を問わず出生順に決まる「長子優先」とすることで一致した。女性皇族が結婚後も皇室に残り、宮家を創設できるようにすることも決めた。24日に小泉首相に報告書を提出する。これを受け、政府は来年の通常国会に皇室典範の改正案を提出し、成立を目指す方針だ。

 吉川座長は21日の会合後の記者会見で、皇位継承順位を「長子優先」とする理由について、「国民が、(長子を)将来の天皇として、幼少のころから期待を込めて見守ることができる。安定性も優れている」と述べた。最後まで検討対象になっていた「兄弟姉妹間での男子優先」案に関しては、「(女子が先に生まれた場合)皇位継承者が不確定な期間が長くなる。不安定な制度は好ましくない」と結論づけた。

 有識者会議の結論通りに皇室典範が改正された場合、皇太子ご夫妻の長女の愛子さまの皇位継承順位は、皇太子さまに次いで2位となる。

 また、現在は、女性皇族が一般男子と結婚した場合、皇籍を離脱しなければならないと定めているが、有識者会議は、結婚後も皇室に残ることを認めた。皇位継承者を安定的に確保するのが目的だ。女性皇族と結婚した男性も皇族となるとした。

 天皇の姉妹や子、孫にあたる内親王には、本人の意思に基づく皇籍離脱は認めない。ただ、皇族が増えることで皇族費の増加が懸念されることから、皇室会議が、内親王の皇籍離脱を決めることはできる。
(2005年11月22日1時34分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20051121it14.htm

内親王の宮家創設容認、皇室典範会議が最終調整 [読売]

 小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長=吉川弘之・元東大学長)は19日、皇族の範囲について、女性皇族のうち、天皇の姉妹や娘、孫にあたる「内親王」に限り、皇籍離脱を認めず、結婚後は宮家を創設できるようにする方向で最終調整に入った。

 内親王や親王妃らを除く女性皇族である「女王」についても、結婚後、皇籍を離脱しないことを認める見通しだ。

 有識者会議は、男系男子に限定していた皇位継承資格者を女性皇族に拡大し、女性・女系天皇を容認する考えで一致。皇位継承順位は男女を問わず、長子優先とする方針を固めている。21日の第16回会合で、内親王の宮家創設容認も確認する見通しだ。今月中に最終報告をまとめ、小泉首相に提出する。

 現行の皇室典範は、皇族の子孫はすべて皇族とする「永世皇族制」を採用している。15歳以上の内親王と王、女王は自らの意思で皇籍離脱が可能と規定。さらに、内親王、女王を問わず、女性皇族は一般男性と結婚した場合、皇室を離れなければならないと定めている。

 今回、有識者会議が女性天皇を容認したことで、女性皇族は皇位継承のために、結婚後も皇室に残る必要が出てきた。しかし、すべての女性皇族が皇室に残り、宮家を創設した場合、皇族費増加の懸念があった。

 このため、有識者会議は女性皇族のうち、内親王は必ず皇族に残る一方、女王は自らの意思がある場合には皇籍離脱できる制度とすべきだとの考えで大筋一致した。これにより、皇籍離脱の要件に関して、内親王は、天皇の弟や息子、男孫である親王と同じ立場となる見込みだ。また、女王も王(親王以外の男性皇族)に準じることになる。
(2005年11月20日9時19分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20051120i203.htm

女性・女系天皇に反対 超党派議員が安倍長官に決議文 [朝日]

2005年11月16日21時10分
 超党派の保守系国会議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」(238人)の平沼赳夫会長は16日、首相官邸で安倍官房長官に会い、「皇位継承問題は国家重要事項であり、慎重な審議と国民の納得が図られるべきである」とする決議文を渡した。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が女性・女系天皇の容認を最終答申に盛り込むことに反発した格好だ。

 決議文は、今月下旬に答申を出す有識者会議の議論を「国民の理解を超える拙速さ」と批判。平沼氏は面会後、記者団に、「万世一系の男系は125代続いて大事にしないといけない。40、50年の知識の中で変えるべきではない」と述べた。同氏によると、安倍長官は「確かに預かった」と述べたという。日本会議によると、安倍長官や麻生外相、中川農水相は国会議員懇談会に参加している。平沼氏は「同じ考えだから、我々の決議の容認に理解をいただければと思う」と語った。
URL:http://www.asahi.com/politics/update/1116/012.html

黒田清子さんの皇籍離脱手続き完了 [読売]

 結婚して民間人となった黒田清子さんについて、宮内庁は16日午後、皇室典範の規定に基づき、皇室の戸籍である「皇統譜」に、皇族の身分を離れたことを登録した。

 手続きは同庁書陵部で行われ、皇統譜のうち天皇、皇后以外の皇族の戸籍「皇族譜」に、「清子内親王」が黒田慶樹さんと15日に結婚して皇族の身分を離れ、官報でも告示したことを文語体で記入、羽毛田信吾長官と田林均書陵部長が署名した。これで同庁として皇籍離脱に関する手続きを完了した。

(2005年11月16日22時0分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051116i413.htm

紀宮さまと黒田慶樹さん、ご結婚 [読売]

天皇家の長女、紀宮清子(さやこ)さま(36)と、東京都職員の黒田慶樹(よしき)さん(40)の結婚式が15日午前11時過ぎから、天皇、皇后両陛下も出席されて、東京・内幸町の帝国ホテルで神式で行われた。

 伊勢神宮の北白川道久大宮司が斎主(さいしゅ)を務め、お二人は固めの杯を交わし、黒田さんが誓いの言葉を読み上げた。

 皇女の結婚は45年ぶり。正午前、宮内庁職員が新居がある区役所に婚姻届を出し、紀宮さまは皇族の身分を離れて民間人の「黒田清子さん」となった。

 紀宮さまは皇室の正装とされる純白のロングドレス、黒田さんはモーニング姿で式に。新郎新婦の意向で媒酌人は置かず、新婦側は両陛下や皇太子ご夫妻を始め皇族方や元皇族ら計23人、新郎側は母の寿美子さん(70)ら親族8人が参列した。

 式が行われたのはホテル2階の「蘭(らん)の間」。皇室の慣例により、新婦側が正面に向かって右手の上座につき、非公開で進んだ。

 宮内庁によると、杯を交わした新郎新婦は、皇室の祖神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を祭った特設の祭壇に玉ぐしをささげて拝礼し、黒田さんが、夫婦相和し、相助け、苦楽を共にする旨の誓詞を述べ、夫婦として結ばれた。黒田夫妻となった新郎新婦は下座の席に移り、参列者全員で親族固めの杯を交わし、式は25分で終了した。

 式後、両陛下は新郎新婦のお礼のあいさつ、皇族方からお祝いのあいさつを受け、ホテル内の写真スタジオで出席者全員での記念撮影に臨まれた。午後は、公務のあと、皇居・宮殿で小泉首相ら三権の長らのお祝いを受けられる。

 結婚式に先立って、皇居・御所では、午前9時50分から黒田家の使者が紀宮さまを迎える「入第(じゅだい)の儀」が行われた。紀宮さまは宮殿の東庭で宮内庁職員や皇宮護衛官計560人の見送りを受け、帝国ホテルに向かわれた。警視庁によると、皇居外苑などの沿道に約6000人が出て結婚をお祝いした。

 午後は2時から新郎新婦の記者会見、4時から両陛下も出席されて同ホテル内で披露宴が行われる。
(2005年11月15日14時54分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051115it04.htm

ご結婚祝う一般記帳、開門直前140人が列 [読売]

 紀宮さまと黒田慶樹さんの結婚を祝う一般記帳が、15日午前10時半から皇居内で行われた。

 出入り口となった坂下門前には朝から人が並び始め、開門直前には約140人が列をつくった。宮内庁の庁舎前に設けられた記帳所には、その後も沿道で紀宮さまを見送った人々らが加わり、1時間で2170人が訪れた。

 午前9時ごろから並んでいた千葉県八街市の農業稲子のぶさん(68)は、「天皇陛下にとって末のお子さまの結婚を心からお祝いしたい」。帝国ホテルに向かう紀宮さまの車列を見送った後、夫婦で記帳に訪れた東京都昭島市の小谷茂さん(76)は、「紀宮さまは内親王としてこれまでしっかりと皇室を支えてこられた。山階鳥類研究所など民間の施設でも仕事をされてきたので、皇室を出ても幸せな家庭を立派に築かれるはずです」と話していた。

(2005年11月15日12時31分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051115i103.htm

皇位継承:女系天皇前提に「長子優先」提案 有識者会議 [毎日]

 小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は7日、首相官邸で第15回会合を開き、吉川弘之座長(元東京大学長)が、女性・女系天皇容認を前提に、皇位継承順位を「長子優先」とし、現行の「永世皇族制」を維持する方向を強く打ち出した「たたき台」を示した。同会議はこれを基に意見集約を図り、今月末に最終報告をまとめる。 

 皇位継承順位をめぐっては、男女にかかわらず出生順に順位が決まる長子優先案と「兄弟姉妹の中で男子優先」案が主要な選択肢として示されていたが、たたき台は、早期の「帝王教育」がしやすい長子優先案に力点を置いた。これまでの同会議の議論で男子優先案は、現行制度には近い半面、女子が先に生まれても弟ができると継承順位が逆転するため安定性に欠けるとされ、この日の会合でも、長子優先案が大勢を占めた。

 一方、たたき台は皇族の範囲について、天皇との世数を限定しない永世皇族制が望ましいと提案。女性・女系天皇を認めるためには、女性皇族が結婚後も皇族にとどまるよう制度改正する必要があるとしている。

 吉川座長の提案に対し明確な反論はなく、最終報告の骨格は固まったが、「国民が納得できる説明が必要」との立場から、意見集約は行わず、文案調整を続けることになった。

 有識者会議は同日で今月末の最終報告決定前の公式会議を終了。今後は、吉川座長が各委員から個別に意見を聴き、非公式会議を重ねて最終報告をまとめる。【野口武則】  ◇   ◇

 「皇室典範に関する有識者会議」の吉川弘之座長は7日、寛仁親王殿下が同会議の「女性・女系天皇容認」方針にエッセーで疑問を投げかけたことについて、首相官邸で記者団に対し、「それによってどうということはない」と語り、最終報告の取りまとめに向けた議論に影響はないとの認識を示した。小泉純一郎首相も同日夜、記者団に「個人個人の発言は発言として、そういう点も踏まえて議論しているわけですから」と述べ、有識者会議の結論を尊重する考えを示した。【中田卓二】 

毎日新聞 2005年11月7日 21時19分 (最終更新時間 11月8日 4時38分)
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051108k0000m010100000c.html

両陛下、天皇賞を初めてご観戦へ…30日に東京競馬場 [読売]

 天皇、皇后両陛下は30日、東京・府中市の東京競馬場で「第132回天皇賞」を観戦される。1937年の天皇賞レース開始以来、天皇の観戦は初めて。

 いわゆる「天覧競馬」も大正以降では初めてとなる。

 両陛下の天皇賞観戦は当初、日本中央競馬会(JRA)の創立50年を記念して、昨年10月に予定されていた。しかし、新潟県中越地震が発生したため、被災者の心情などに配慮して1年後の今回に延期された。陛下は皇太子時代の87年にもご夫妻で天皇賞をご覧になっているが、即位後は観戦の機会がなかった。

 天皇賞の歴史は、1905年、明治天皇から贈られた御紋付の鉢をかけて創設されたエンペラーズカップにさかのぼる。現在の優勝盾である御紋付盾は戦後の47年に皇室から授与された。「天皇賞」として贈られたものではなかったが、55年に宮内庁が天皇賞と呼称することを許可した。

 明治天皇は競馬の奨励に熱心で、競馬場にも足しげく訪れたが、大正天皇と昭和天皇の競馬観戦は皇太子時代までで、即位後はなかったという。

          ◇

 天皇杯や皇后杯は、競馬の天皇賞のほか、19のスポーツ団体に授与されている。

 このうち、天皇杯や皇后杯が優勝都道府県に贈られる秋季国体については、毎年、両陛下が開会式に出席。これ以外にも両陛下は、ほぼ1年に1団体のペースで、優勝者・チームに杯が贈られる大会を観戦しており、昨年は全日本体操選手権の会場に足を運ばれた。

 杯は団体からの申請に応じ、宮内庁が競技の普及度などを審査して授与している。戦後間もない時期に与えられた団体がほとんどだが、95年には全日本なぎなた連盟に皇后杯が授与されている。また、天皇杯はスポーツのほか、農水省などが主催する農林水産祭でも贈られている。

 一方、大相撲の「天皇賜杯」は、摂政時代の昭和天皇から授与された資金を基に日本相撲協会が作製、27年から使用している。大相撲も年に1度の両陛下の観戦が恒例となっている。
(2005年10月30日1時22分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051029i212.htm
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