dunpoo @Wiki ★天保の改革

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1833年(天保4年)

7月、江戸の米価が騰貴し、幕府は米の移出を禁ずる措置をとったが、ついに8月には江戸の米が払底し、蔵米を払い下げることになった。
8月、関東奥羽地方を大風雨が襲い、この年の収穫は平年の半分になった。この年から天保10年まで、飢饉が続くことになる。

1834年(天保5年)

江戸の米不足を解消するため、幕府は関東諸国に江戸廻米を命じた。
全国で一揆・うちこわしが多発。

1835年(天保6年)

幕府が天保通宝(百文銭)を鋳造した。

1836年(天保7年)

この年、諸国飢饉ひどく、奥羽地方では餓死者が10万人に及んだ

1837年(天保8年)

2月、大坂町奉行所の元与力で陽明学者の大塩平八郎が、大坂で反乱を起こした。窮民の救済と幕政の根本的変革を唱え、家塾洗心洞の門弟や民衆を動員し、大砲を撃ち富商の家を焼き、市中に火を放ちながら進軍したが、数日で幕府軍に鎮圧された。この風聞は全国に広がり、社会に影響を与えた。越後柏崎では、国学者の生田万が、大塩門弟と称して代官所を襲撃し、摂津能勢郡でも「大塩味方」を掲げた一揆が起こり、江戸でも「大塩余党」の蜂起が予告されたりした。
幕府は江戸で飢民の救済所を設置した。
4月、家斉が将軍職を家慶に譲り、西の丸に移った。しかし、これ以降も大御所として実権を握り続ける。
6月、外国船(後に、アメリカ商船モリソン号とわかる)が浦賀に入港。浦賀奉行がこれを砲撃した。この外国船はその後薩摩へ行くがここでも砲撃を受け追い返された。

1838年(天保9年)

江戸で大火。西の丸が焼失した。
江戸市中に奢侈禁止令が出された。
6月、オランダ商館よりモリソン号渡来の事情が報告され、幕府が対策を協議した。このことを噂に聞いた高野長英が「戊戌夢物語」を執筆し、幕府の外国船打払令を批判した。また渡辺崋山は「慎機論」を完成させた。幕府は、目付鳥居忠耀に相模沿岸の巡視を命じた。
英国では、チャーチスト運動が始まった。

1839年(天保10年)

幕府は、渡辺崋山、高野長英らを逮捕投獄。崋山を蟄居させ、長英を終身禁獄に処した。
清では、前々年に湖広総督に就任した林則徐が、イギリスの密貿易船から阿片を没収して廃棄した。

1840年(天保11年)

幕府が蘭書翻訳書の流布を取り締まった。
長州藩が、藩政改革についての大会議を開催した。村田清風らが改革構想を提出した。
前年の阿片没収の報復に、英軍が舟山列島を占領した。林則徐が罷免され、清英間で川鼻仮条約が結ばれた。

1841年(天保12年)

1月、大御所家斉が死に、将軍家慶の信任を得た老中水野忠邦が幕政の改革に乗り出した。「享保寛政の御政治」への復帰を方針に掲げる天保の改革の始まりである。
最も深刻な物価騰貴は、十組問屋などの株仲間が商品の流通を独占しているせいであるとして、12月、株仲間の解散を命じ、価格操作を行う恐れがある仲間・組合・問屋を禁じた。商品の江戸回送、売買自由化による物価引き下げがねらいであった。目付鳥居忠耀が江戸市中の女髪結いを禁じた。
高島秋帆が、幕命により洋式銃隊の訓練を徳丸原で行った。
幕府は、鳥居忠耀と韮山代官江川英龍の二人に伊豆・相模・安房・上総の海防巡視を命じた。
清では、広東の民衆がイギリス兵を虐殺する事件が起き、イギリス軍は寧波を占領した。

1842年(天保13年)

幕府、諸物価2割下げを命令。唄・浄瑠璃・三味線の女師匠の弟子取り、人情本の出版などを禁止。為永春水・柳亭種彦が処罰された。百姓の奢侈を戒め、余業を禁じる。旗本・御家人の札差への借金を猿屋町会所貸金で返済させる。諸藩の専売を禁じる。
英軍は上海を落とし、南京条約が成立。5港の開港、香港の割譲、公行の廃止を清は飲まされた。
オランダ船が、阿片戦争終結後にイギリスが通商要求のため日本に艦隊を派遣する計画があるとの情報をもたらしたため、幕府は、異国船打ち払い令を止め、薪炭・食料の給与を許可することにした。


1843年(天保14年)

幕府は諸国の人別を改め、江戸よりの人返しを図った。町人の武芸稽古を禁じ、浪人の徘徊の取り締まりを始めた。江戸大阪10方四方の大名・旗本の領地を召し上げ直轄地にする上知令を発布した。しかし対象となった大名・旗本の反発が強く、上知令は実施できず。水野忠邦は失脚した。替わって堀田正睦が老中首座となった。

1844年(天保15年→弘化元年)

フランス船が琉球に来航し、通商を求めた。水野忠邦が老中首座に返り咲いた。
オランダ国王から将軍に開国を勧める親書が届いたが、幕府は拒否の返書を送った。イギリス船が長崎に来航、測量許可と薪水を求めた。

1845年(弘化2年)

老中水野忠邦が病免となる。江戸伝馬町の獄舎が火災になり、避難のため釈放された高野長英が帰らず逃亡した。外国船の来航がますます頻繁になった。

1846年(弘化3年)

江川英龍が、幕府に海防意見を提出した。外国船の来航がますます頻繁になった。アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが浦賀に来航し通商を要求したが、幕府は拒否した。
高島秋帆が処罰され、水戸藩士藤田東湖が蟄居を幕府から命じられた。

1847年(弘化4年)


1848年(弘化5年→嘉永元年)

ウィーンで3月革命。フランクフルト国民会議。全イタリア革命運動。
マルクスが「共産党宣言」を発表
アメリカ・カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールド・ラッシュに。

1849年(嘉永2年)

幕府、奥医師・表医師が外科・眼科のほか蘭法を用いることを禁じた。
佐倉藩が領内に種痘を奨励した。葛飾北斎が死んだ。
イギリスが航海条例を廃止した。マッチー二がローマ共和国を設立した。

1850年(嘉永3年)

各地を逃亡し続けていた高野長英が幕吏に囲まれ自殺した。
洪秀全が金田村で挙兵し、太平天国の乱が始った。

1851年(嘉永4年)

幕府が株仲間の再興を許可した。
米価騰貴のため、江戸町会所に窮民救済を命じた。佐久間象山、江戸木挽町で砲術教授を始め、入門者多数。水野忠邦死す。
太平天国軍が永安を占領。ルイ・ナポレオンのクーデタ。ロンドンで万国博。

1852年(嘉永5年)

諸国で風水害。オランダ商館長クルチウスが長崎奉行に東インド総督の書簡を渡し、明年アメリカ使節が来航、開国を要求することを告げた。
太平天国拡大。
ルイ・ナポレオンが皇帝となり、第二帝政が始った。