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◎文化・出版08Ⅲ

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1222 M-1視聴率最高、関西35%・関東23% [朝日]

2008年12月22日13時8分
 21日午後6時30分から放送された若手漫才日本一を決める「M―1グランプリ2008」(朝日放送)の視聴率が、関西地区で35.0%(ビデオリサーチ調べ)と、8回目で歴代最高を記録した。NON STYLE(ノン・スタイル)の優勝が決まった直後に、瞬間最高視聴率43.1%を記録した。

 午後7時20分から放送されたサッカークラブワールドカップ決勝戦(読売テレビ)の平均視聴率は8.5%だった。

 また、M―1グランプリの関東地区の視聴率は23.7%で、こちらも歴代過去最高だった。瞬間最高は30.3%だった。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/1222/OSK200812220031.html

1222 大佛次郎賞に飯嶋和一氏の「出星前夜」 [朝日]

2008年12月22日6時4分
 ジャンルを問わず優れた散文作品を対象とする第35回大佛次郎賞は、江戸初期に起きた島原の乱を、弾圧される側から重層的に描き出した飯嶋和一氏の小説『出星前夜』(小学館・2100円)に贈られる。賞牌(しょうはい)と、副賞200万円。公募推薦も踏まえた予備審査を経て、有識者5氏の協議で選んだ。贈呈式は来年1月28日午後4時半から東京・日比谷の帝国ホテルで、朝日賞・大佛次郎論壇賞とともに行われる。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/1221/TKY200812210117.html

1219 上田哲氏=元社会党衆院議員 [読売]

 上田哲氏(うえだ・てつ=元社会党衆院議員)17日、肺炎で死去。80歳。近親者で密葬を行い、後日「お別れの会」を開く予定。喪主は長女、山口久美子さん。

 NHK記者、NHK労組委員長を経て、1968年の参院旧全国区で初当選。参院議員を2期務めた後、衆院に転じ、79年以降、衆院旧東京2区から連続5回当選した。旧社会党では防衛問題などの論客として知られ、テレビの討論番組などでも活躍した。86年には土井たか子氏、91年には田辺誠氏の対抗馬として、党委員長公選に立候補した。

 93年の衆院選で落選し、同年秋に社会党を離党。「護憲新党あかつき」を結成するなど、政治活動を続けた。95年の東京都知事選に出馬したが、落選した。

(2008年12月19日21時55分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20081219-OYT1T00713.htm

1206 加藤周一氏=作家で評論家 [読売]

 進歩的な知識人として知られた、作家で評論家の加藤周一(かとう・しゅういち)さんが5日午後2時、死去した。89歳だった。告別式は近親者で行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は未定。

 東京都出身。東大医学部卒。戦後、本格的に文筆活動を開始し、東西の文学に精通した若手文学者の一人として戦後文学に新しい息吹をもたらした。

 1951年からパリに留学。帰国後、西欧体験を生かした文明批評を展開し、「雑種文化」では日本文化の雑種性とその可能性を指摘した。

 60年代からドイツや米国などの大学で、日本文化などの講義をしながら回想録「羊の歌」を執筆。文学の流れを思想書や大衆文学などの成果も取り入れて論じた「日本文学史序説」で80年、大佛次郎賞を受賞した。

 博学な知識と透徹した論理で芸術、社会、政治評論など多彩な言論活動を展開。上智大教授や都立中央図書館長などを歴任した。

(2008年12月6日08時40分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20081206-OYT1T00171.htm

1214 大佛次郎論壇賞、湯浅誠氏の『反貧困』に [朝日]

2008年12月14日5時29分
 第8回大佛次郎論壇賞(朝日新聞社主催)は、反貧困ネットワーク事務局長、湯浅誠氏(39)の『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、税込み777円)に決まった。賞牌(しょうはい)と副賞200万円が贈られる。

 ますます深刻さを増す、この国の「貧困」の問題を、どうとらえ、いかに解決すべきか。受賞作は、この課題に正面から取り組む。貧困は、社会と政治に対する問いかけであり、その問いを受け止め、立ち向かえる強い社会を作ろう、という著者のメッセージに、選考委員全員の強い支持が寄せられた。

 贈呈式は、09年1月28日、東京・日比谷の帝国ホテルで、朝日賞、大佛次郎賞と共に行われる。
URL:http://www.asahi.com/culture/update/1213/TKY200812130197.html

1204 山田洋次さんら15人が日本芸術院新会員に [朝日]

2008年11月28日18時5分
 日本芸術院(三浦朱門院長)は28日、新しい会員に、映画監督の山田洋次さん、歌人の佐佐木幸綱さんら15人を内定したと発表した。映画監督が会員になるのは小津安二郎さん以来。工芸の中井貞次さんも染織家として初。同院の定員は120人。12月15日付で塩谷文部科学相が発令する。新会員は次の皆さん。(敬称略)

 ▽日本画 清水達三▽洋画 藤森兼明▽彫塑 市村緑郎、山本真輔▽工芸 中井貞次▽書 日比野光鳳▽建築 谷口吉生▽小説 坂上弘、富岡多恵子▽詩歌 飯島耕一、入沢康夫▽詩歌(短歌)佐佐木幸綱▽邦楽(箏曲)山勢松韻▽洋楽(声楽)畑中良輔▽演劇(映画監督)山田洋次
URL:http://www.asahi.com/culture/update/1128/TKY200811280234.html

1201 大賞に湯浅誠氏 平和・協同ジャーナリスト基金賞 [朝日]

2008年12月1日19時22分
 平和運動や人権にかかわる秀作を作ったジャーナリストに贈られる「平和・協同ジャーナリスト基金賞」が1日発表され、「反貧困―『すべり台社会』からの脱出」(岩波新書)を書いたNPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長の湯浅誠氏が大賞に選ばれた。日本に貧困層が生まれた過程とその実態を明らかにしたことや、非正規労働者を組織する運動の先頭に立っていることが評価された。

 奨励賞は、栃木県下で激増している自殺の実態と背景に迫った下野新聞社社会部の連載「命をつなぐ」のほか、▽常岡浩介氏「ロシア 語られない戦争」(アスキー新書)▽NO DU ヒロシマ・プロジェクト「ウラン兵器なき世界をめざして―ICBUWの挑戦―」(合同出版)▽ビデオプレス「あきらめない――続・君が代不起立」▽ピースボート共同代表吉岡達也氏「9条を輸出せよ!」(大月書店)▽沖縄タイムス中部支社編集部長渡辺豪氏「『アメとムチ』の構図―普天間移設の内幕―」(沖縄タイムス社)。

 女性のジャーナリストや女性問題をテーマにした作品に贈られる荒井なみ子賞は、田浪亜央江氏の「〈不在者〉たちのイスラエル」(インパクト出版会)に。審査委員特別賞(新人賞)には長岡野亜氏の「ほんがら」(ドキュメンタリー映画)が選ばれた。
URL:http://www.asahi.com/national/update/1201/TKY200812010362.html?ref=goo

1108 ニュースキャスター・筑紫哲也さん、肺がんで死去 [読売]

7日、肺がんのため死去した筑紫哲也さん ニュースキャスターの筑紫哲也(ちくしてつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため東京都内の病院で亡くなった。

 73歳だった。告別式は近親者のみで行い、後日「お別れの会」を開く。喪主は妻、房子(ふさこ)さん。

 大分県出身。早稲田大卒業後、1959年に朝日新聞社に入社。政治部記者、ワシントン特派員などを経て、84年に「朝日ジャーナル」編集長に就任。「新人類」「元気印」などの流行語を生み出した。78年から82年にかけて、記者活動のかたわら、「日曜夕刊!こちらデスク」(テレビ朝日系)のキャスターも務めた。

 89年に朝日新聞社を退社、TBS系「筑紫哲也NEWS23」のキャスターに転じた。雑誌的な切り口や街頭インタビュー、コラムコーナー「多事争論」など、従来の報道番組にはなかったスタイルで、テレビ朝日系「ニュースステーション」の久米宏さんとともに、新しい形のニュースキャスターとして人気を集めた。

 TBSが、オウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビュー映像を放送前に見せてしまう問題が発生。これが坂本弁護士一家殺害のきっかけになったとされたことから、96年3月「TBSは死んだに等しい」と番組中で発言し、論議を巻き起こした。

 2007年5月、番組の中で肺がんであることを告白。時折番組への出演を続けながら療養していた。今年5月、「テレビジャーナリズムの確立に多大の貢献をした」として日本記者クラブ賞を受賞。8月11日放送の「NEWS23 マンデープラス」が最後の出演となった。著作に「総理大臣の犯罪」「若者たちの神々」などがある。

(2008年11月8日02時10分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20081107-OYT1T00544.htm

1031 上田耕一郎氏:金権腐敗「上田節」で追及 30日死去 [毎日]

 30日死去した共産党の上田耕一郎元副委員長は、国会で厳しく歴代自民党首相らを追及したことで「上田節」として知られた。

 志位和夫委員長は30日の会見で「まずは国会論戦を思い出す」と回想。「暮らしの問題から安保、平和の問題まで縦横無尽の働きをされた。大変身近な大先輩がいなくなり、寂しい思いだ」と上田氏の死を悼んだ。

 1946年に共産党に入党し、学生運動や住民運動などに参加。64年からは党中央委員会に勤務、機関誌「赤旗」編集局長や政策委員長、選対局長などを歴任した。

 74年から24年間の参院議員生活では常に第一線に。田中角栄元首相の金脈問題をはじめ、ロッキード事件で中曽根康弘元首相、リクルート事件で宮沢喜一元蔵相を厳しく追及した。中曽根氏から「上田さんは楽しそうに質問する」と皮肉を言われたことも。

 議員引退を控えた97年、毎日新聞のインタビューで「金権腐敗の問題が最も印象的」と振り返り、引退後は憲法9条改正阻止の活動に傾注し、04年には超党派団体「九条の会」の発足に尽力。06年の第24回党大会で名誉役員になった後も「憲法改悪反対闘争本部員」の肩書は捨てなかった。【佐藤丈一】
URL:http://mainichi.jp/select/person/obituaries/news/20081031k0000m010123000c.html
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