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◎平和をつくるための本棚06Ⅲ

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近代日本と戦死者祭祀●今井昭彦

出版社:東洋書林
発行:2005年12月
ISBN:4887217110
価格:¥6300 (本体¥6000+税)
 日本人は戦死者をどのように慰霊してきたのか。この問題に取り組むにあたり、まず明治初期内戦での反政府側戦死者祭祀(さいし)の実態に鋭く切り込んでいることが、本書を読んでみようと思った最大の理由である。例えば会津戦争では、賊軍とされた会津藩士の死骸(しがい)が数か月間埋葬を許されなかった。それがいかにして埋葬され慰霊されるようになったのか、その経緯を著者は文書だけでなく墓碑や慰霊碑等の金石文も用いて丹念に追跡している。

 対外戦争での戦死者祭祀に関しては、忠霊塔や護国神社を扱った興味深い論考が含まれているが、慰霊への国家の関与について否定的な側面だけを見ている部分には少し違和感が残った。しかし、いわゆる靖国問題を考える上で、本書が一読に値する力作であることは疑いない。各地の慰霊碑等を撮影した三百枚を超す写真にも地道な努力の跡が感じられる。(東洋書林、6000円)

評者・戸部 良一(防衛大学校教授)

(2006年4月10日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060410bk07.htm

現代イスラーム世界論●小杉泰


[掲載]2006年04月30日
[評者]酒井啓子

 中東の歴史を学んでいて残念に思うのは、19世紀から20世紀前半の中東・イスラーム地域には、驚くほど魅力的な歴史的ヒーローが数多く登場するのに、彼らをビビッドに描いた邦語の書がないことだ。西欧の中東進出という脅威に対して改革と祖国防衛を高らかに謳(うた)い、イランからエジプト、トルコを駆け巡ったアフガーニーは、そうした傑物の代表例である。日本で言えば坂本竜馬、現代史ではチェ・ゲバラに匹敵するこの革命児の辿(たど)った軌跡を追うだけでも、中東近代史版「峠の群像」の息吹が感じられる。

 彼だけではない。後に続くアブドゥやリダーなど当時のイスラーム近代知識人は、言論界に幅広く影響を与えたが、彼らがエジプトで発行した雑誌はインドネシアでも読まれていた。イスラーム近代史の面白さは、「黒船到来」の何倍もの震度を持つ動乱のなかで、人と思想が縦横無尽に広がり、思わぬところで思わぬ結節点を生むところにある。

 本書は、数少ない邦語での本格的なイスラーム現代政治の研究書のひとつだが、多くの章で記述されるのは、そうした近代イスラームの多様性と広がり、思想的社会的営為の豊かさだ。なによりも、イスラームを本質主義的、静態的なものとみなし、伝統墨守的な人々の集団と考える発想が批判される。

 研究書としての本書の目的は、実に明確である。「現代の政治研究は、国民国家と世俗主義を学問的な前提としている」がゆえに、「宗教政治を分析するようにはできていない」。イスラームを(政教一致ではなく)「政教一元」でかつ「教経統合」(経済はイスラームが人々の生活を律する最も直接的な分野である)と論ずる著者は、既存の政治学を超えて、「イスラーム政治」を理解するための新たな政治理論を構築する必要がある、と主張する。21章の「イスラーム政党」論などは、そうした試みの一環である。

 そのために、国民国家の枠組みや地理的近接性だけでまとめられた「地域」とは異なる、「メタ地域」を分析対象とすべきだ、と著者は言う。一定の政治環境のなかで何らかの連鎖性を持ち、地理的領域を超えて成立するネットワークの「メタ地域」(「第三世界」や「途上国」もそうだ)として、イスラーム世界を捉(とら)える。イスラーム世界は、「真のイスラーム」が単独でどこかに存在する固定的な領域ではなく、それぞれの現場で「誰もが自分の思想を『イスラーム』そのものの理解として語る」空間だからだ。

 歴史や理論だけでなく、現代の中東地域のアクチュアルな政治現象にも、本書はさまざまな視角を提示する。現在頻繁に問題視される「宗派対立」について、伝統的な宗教社会共同体が現代の国家システムのなかで新たに「利権集団」化したこと、その共同体が持つ世界観に密接な関係を持つイデオロギー集団が、同じ共同体構成員のなかから支持者を動員していることを指摘するが、これはまさに今のイラクで進行中の出来事を言い当てている。「対立」は、心や信仰ではなく、政治や経済にある。
出版社: 名古屋大学出版会
ISBN: 4815805350
価格: ¥ 6,300
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605020233.html

いま平和とは 人権と人道をめぐる9話●最上敏樹

[掲載]2006年04月30日
[評者]高原明生

 「二〇世紀最後の一〇年間で、二〇〇万人以上の子供が殺され、六〇〇万人の子供が重傷か回復不能の障害を負いました」。米ソが巨費を投じて軍拡競争に励み、核戦争の一歩手前までいった冷戦も正気の沙汰(さた)ではなかったが、その後の世の中はいよいよおかしい。そんなことは言うまでもないのかもしれないが、もう一度繰り返すけれども、一〇年間で二〇〇万人の子供が殺されたという事実を突きつけられると改めて慄然(りつぜん)とする。二一世紀以降のアフガニスタンやイラクでの戦争、スーダン西部での虐殺や欧米でのテロはこの勘定に入っていないのだ。

 なぜ事態の悪化を止められないのか。誰がどうやって平和をもたらそうとしているのか。そもそも平和とは何なのか。この本が取り組むのはこうした基本問題だ。平和のためにある国連は、拒否権を有する安保理常任理事国の武力行使に対して無力である。そしていわゆる国際社会は、資源もなく、戦略的に重要でもなく、また白人のいない国での殺し合いを本気で止めようとしない。この現実に対して著者は、平和とは人間の日常性の確保であり、人権の問題だと訴える。そして「人間本位のリアリズム」にもとづき、不条理な格差を解消して人間の平和をつくり出すNGOの活動や、国境を超えて隣人たちと協力する地域共同体の出現を語る。

 こうした「市民派」的な議論に対し、理想主義だとの批判が現実主義者から浴びせられることは容易に予測できる。著者自身も、軍事的安全保障と人間の安全保障のどちらもが重要だという。しかし、力頼みの平和の限界は明らかだ。軍事力で平和が保たれるなら、パレスチナ問題などありえない。力は大事だが、他者を尊重する共生の思想が根を下ろさなければ平和は安定しない。

 だとすると、力を有する者こそ他者を尊重しなければならないだろう。欧米のマスメディアに乗り込み、安保理常任理事国を説得して共生を常識化できるだろうか。それができれば、日本の平和学のソフトパワーはすごい。
出版社: 岩波書店
ISBN: 4004310008
価格: ¥ 777
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605020232.html

中国の「核」が世界を制す●伊藤貫著 [産経]

 このところ厭(えん)中感情が高まっている。それでも、日本はいまだに中国の驚異的な経済発展に幻惑されるあまり、中国が日本に突きつけている本当の深刻な脅威に目を向けようとしない。本書はまさに覚醒(かくせい)の書である。

 著者は中国の国家目標はアジアの最強覇権国となり、漢民族が十九世紀初めに支配していた中華勢力圏を復活することであり、そのために核ミサイル戦力の向上をはじめとして軍拡に狂奔していると説いているが、その通りである。そして東シナ海の海底資源や尖閣諸島の領有権をめぐって、日中が軍事衝突することがあっても、アメリカが軍事介入できない状況がすでに生まれていると、警告する。

 著者は日本の在米・知米派の第一人者であり、ワシントンの裏と表に精通しているが、中国が台湾を攻撃する場合、あるいは日本から在日米軍が台湾を救援するために出動しようとする場合に、アメリカ本土に核ミサイルを撃ち込むといって恫喝(どうかつ)するか、日本に対して、露骨な核威嚇(かく)を加える可能性が高いと断じている。著者ははたしてアメリカが台湾や日本を守るために、アメリカの大都市を犠牲にするだろうか、疑念を呈している。昨年、中国の将官が外国報道陣の前で、アメリカが台湾紛争に軍事介入すれば、アメリカ本土に対して核先制攻撃を加えると明言している。“アメリカの核の傘”こそ、日本防衛の基礎となってきた。ところが、この“核の傘”がもはや機能しなくなっているというのだ。著者の詳細な分析や提言は、数多くのアメリカ政権幹部や、権威者の見解をもとにしているだけに、強い説得力を持っている。

 著者は日本が核武装をして独自の抑止力を持たなければ、将来、「中華勢力圏の属領となるであろう」という。私もこの見解に賛成する。昭和二十年には日本は核兵器を持っていなかったために、核攻撃を誘った。日本は人類唯一の被爆国家として、どの国よりも核武装する権利を持っていると思う。(PHP研究所・一四七〇円)

 外交評論家 加瀬英明
URL:http://www.sankei.co.jp/news/060313/boo007.htm

ファルージャ―栄光なき死闘●[著]ビング・ウェスト [朝日]

[掲載]2006年03月12日
[評者]酒井啓子
 読んでいて、胸が悪くなる。

 イラク戦争後、反米抵抗活動の拠点となったイラク西部のファルージャに駐屯し、04年11月に最大規模の掃討作戦を実施した、米軍の記録。胸が悪くなるのは生々しい殺人の記述だけではなく、徹底した「米軍」の眼差(まなざ)しで書かれているため、彼らが「敵」とみなしたイラク人の生活と痛みが、見事なほど抜け落ちているからだ。他国の街に勝手に「ブルックリン橋」と名づけるところなど、端から異なる言語を理解しない姿勢が徹底されている。「人間は所詮(しょせん)相互理解ができない」と、元海兵隊の著者は言い切る。

 本書が露呈するのは、イラクに駐留する米軍が、あまりにもいい加減な知識と情報で投入されていることだ。フセイン政権=スンニ派支配、とか、ファルージャがスンニ派地域だからフセイン支持だ、といった単純化された認識枠組みもさることながら、人選を間違えて不適切な人間に権限を与える。「誰が味方で誰が敵かを見分け」られず、「真のイラクの指導者が見つからない」と文句を言う。それはそうだろう。米政府はそうしたことを全く考えずに、戦争を始めたのだから。あげく、市街に騒音を撒(ま)き散らし、相手を侮蔑(ぶべつ)する戦術に日々没頭する。

 普通の農民でも侵略に対しては武器を取ると分かっているのに、老人に肩を貸すような若者だというのに、米軍に反対する者を皆「武装勢力」とする固定観念。

 だが本書で重要なことは、米兵が日々人間性を失い、イラク人が敵愾(てきがい)心を募らせていった原因が、米政権の無計画で混乱した政策にある、と指摘する点だ。復興計画を進める傍らで、別の街を空爆する。武力を使えば信頼を失うことがわかっていて、攻撃命令が出される。攻撃のピークで、政治的配慮から突然停止が言い渡される。それは、米政権の文官と武官の「破滅的」な関係によるものだ、と著者は言う。米の、現在に続くイラク統治の失敗を集約した言葉だ。

 イラク人は「戦争で勝ったためしがない」が、「交渉となると負けない」と皮肉を言う米将校。戦争せずに交渉で解決するに越したことは、ないはずだが。
出版社: 早川書房
ISBN: 4152087013
価格: ¥ 2,100
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603140357.html

学徒兵の精神誌●大貫恵美子 [朝日]

[掲載]2006年03月26日
[評者]苅谷剛彦
 死に意味を与える。そこには自らの生の有り様が反映する。そしてその生は、個人を超えた時代や国家の有り様に枠づけられている。死の確実な戦いに赴く若者にとって、戦争のために死ぬとはどういうことだったのか。第2次大戦下に綴(つづ)られた7人の若者の手記を通して、アメリカ在住の人類学者が、学徒兵の精神誌を繙(ひもと)く。本書は、教養も知性も世界的視野も持っていた当時の大学卒業者が、軍国主義やこの戦争の無意味さを承知しつつ、死を受け入れていった軌跡を明らかにした好著である。

 政府が「殺した」と著者はいう。死に至るまでに記録された苦悩に満ちた死への意味付けの痕跡。そこには、知性や人間性の証明だけではなく、国家と個人の葛藤(かっとう)が見事に描かれている。殺されたのは知性なのかもしれない。

 「国を愛する心」の教育の一歩先に何があるのか。それを考えるためにも、生きることさえ選べなかった若者から学ぶことは多い。

出版社: 岩波書店
ISBN: 400022462X
価格: ¥ 2,625
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603280336.html

経済のグローバル化とは何か●[著]ジャック・アダ [朝日]

[掲載]2006年03月19日
[評者]松原隆一郎
 表参道ヒルズが華々しくオープンした。中高生で賑(にぎ)わう竹下通りを擁しながら原宿が大人の町でもありえたのは、ひとえに同潤会アパートのしっとりした佇(たたず)まいあってのことだ。同潤会は、関東大震災の後に耐震構造に配慮すべしという政治的・社会的要請を受けて建設されたアパートである。そのような時を経た名建築だけが持つ文化や歴史を解体してそこに現れたのは、海外ブランド店がぎっちりと効率的に集積する空間であった。

 「グローバル化現象は、『社会的なもの』『政治的なもの』に対する『経済的なもの』の復讐(ふくしゅう)である」と著者は言う。それならば同潤会を海外ブランド店に置き換えた表参道ヒルズこそがグローバル化の象徴的事例ということになろう。だが「経済のグローバル化」にかんする大半の議論は、「世界市場の統合」を指摘するにとどまってきた。それだと海外ブランド店が表参道に軒を並べることまでしか指さないことになる。

 社会や政治も視野に収めると、グローバル化を通して見える光景は一変する。「市場統合論」では、分業の広がりによって生産性が向上し、局地的な村落経済の余剰を交換する地域市場が生まれ、それが結合して国民市場となり、開放されて国際市場へ成長したとされる。一方、本書は、グローバル化を昨日今日の現象ではないとし、その起源を11世紀ごろから地中海や北海・バルト海あたりで行われた遠隔地商業に求める。のちに商人は国家と結託し、外部から国内の諸規制を撤廃するに至ったというのである。

 市場は「競争」だけでなく「組織化」も不可欠の要素としている。ケインズ主義や日本的経営といった「組織化」は、グローバル化の過程で解体された。だが「組織化」は需給調整だけではなく、政治や社会と経済の折り合いをつける役割も果たしている。それが競争一元論によって破壊されたせいで世界市場はとくに金融面で不安定化し、周辺国は停滞を余儀なくされたとする。

 ポラニーやウォーラーステイン、ブローデルらを引きながら、啓蒙(けいもう)書の枠を超え、スリリングな議論を展開している。
出版社: ナカニシヤ出版
ISBN: 4779500540
価格: ¥ 2,520



TITLE:asahi.com: 経済のグローバル化とは何か [著]ジャック・アダ - 書評 - BOOK
DATE:2006/03/26 16:03
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603190136.html

ピープルの思想を紡ぐ●[著]花崎皋平

[掲載]2006年03月19日
[評者]鷲田清一

 「本書は……現代日本の政治・思想・文化の状況に対するつよい違和の念に貫かれています」。本書はこのような言葉で始まる。「まつろわぬ」ことの表明である。「まつろわぬもの」、それは坂部恵の定義によれば、「秩序のあらためての『聖別』としての『まつり』に参与せぬもの」のことである。「まつろわぬ」ことが、時代の巨(おお)きな濁流に抗しえず「空振り」し、メッセージを届けるべき次の世代に「そっぽを向かれ」ても、それでも声を張り上げる、そんな宣言である。

 眠ってはならない、みなが寝入っているあいだにこそ問わねばならない、そんなミネルヴァの梟(ふくろう)のような想(おも)いが、著者のこれまでの「オルタナティブな思想」を駆ってきた。オルタナティブには言うまでもなくさまざまな形がある。その形は増殖すればするほどよい。著者のそれも増殖に増殖をくりかえしてきた。

 著者がここで対抗すべき巨きな流れとして引きずりだすのは、ナショナリズムとグローバリズムだ。それに対抗的に立てるのは「ピープルネス」と「サブシステンス」の思考である。

 講演録が中心になっており、現場の声というより骨太のやや大ぶりな言葉がめだつが、運動を増殖させる過程で共振した別の骨太の声を深い敬意とともに引いているのでそれを引くと、ピープルネスとは石牟礼道子のいう「ごくごく小さなものの中に生きる思いや優しさ、威厳を見つけていく方向」であり、サブシステンスとは滝沢克己のいう「人間共通の低みに立つ」思想であり、安里清信のいう「生存基盤に根を張る」生き方だ。

 アイヌ民族の詩を論じ、コモンズ(共有財)の保全運動を論じ、田中正造の思想を論ずるなかに、所轄庁による「認証」ではなく、市民が、あるいは当事者自身が「公益」かどうかを判断し選択する、そういう「水平的な自治、分権、協同、共生」の運動に与(くみ)してきた著者の半生が折り重なる。彼にとって、「地域」も「共生」もけして融和の場所ではなく、〈触発〉と〈闘い〉の現場だったことが、隠そうにも隠しえない苦々しさをまじえて書きとめられている。
出版社: 七つ森書館
ISBN: 4822806154
価格: ¥ 2,100
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603190139.html

差別とハンセン病―「柊の垣根」は今も●[著]畑谷史代

[掲載]2006年03月19日
[評者]鶴見俊輔
 日本人は忘れやすい。これは、明治以後の国家本位の学校制度に根がある。小学校から大学までの試験本位の昇進で、その時の試験を終えると忘れる。自分たちのした戦争についても、その終わりに原爆を落とされたことについても、忘れる。

 しかし、忘れないことを保つ人はいる。1907年から96年まで、90年にわたる隔離の中に生きた人たちは、自分たちが閉ざされていることを忘れない。隔離が法によって廃止された後も、外の社会の偏見によって隔離は続いている。むしろ、法律上もはや隔離はなくなったという常識が、今も続く隔離を支えている。
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603190130.html

中国は日本を併合する●平松茂雄著

 十九世紀の後半、明治維新の日本は近代国家建設という明確な目標をもった国であった。それによって日本は非白人国家として唯一の近代国家になった。

 そのころシナ(清)は「眠れる獅子」といわれていたが、そのうち「眠れる豚」にすぎないことがわかり、国土は諸外国に食い荒らされ、シナ人は世界中で蔑視(べっし)される民族となっていた。日本との差はあまりにも大きかった。

 ところが二十世紀の半ば、毛沢東がシナ大陸に現れると、清朝の最盛期(康煕帝・乾隆帝)の領土を取りもどすという国家目標を立てた。この中には満洲・朝鮮・カザフスタン・キルギス・パミール高原・ネパール・ミャンマー・ベトナム・ラオス・カンボジア・台湾・沖縄・樺太・ハバロフスク・沿海州一帯が入る。

 この領土獲得の手段として、毛沢東は「核・海洋・宇宙」の三領域の開発・征服を目標とした。

 その後、大躍進・人民公社・文化大革命などといろいろあり、そのたびに千万人単位の人民が殺されたり餓死した。しかし中国共産党政権が、この毛沢東の三目標からブレることはなかったのである。核弾頭もミサイルも、有人宇宙船も開発した。そして今や東シナ海への進出は実質上終わり、西太平洋に出てきている。

 この中国の政策の発展は、はじめのうちは中国の貧困にかくされてそれほど脅威と見なされなかった。しかし平松茂雄氏だけは、五十年近く、コツコツと地味な研究を重ね、この中国の野心についてただ一人警告を発し続けてきた。

 それに対して、日本政府・議員・学者、特にチャイナスクールと言われている人たちが何をやってきたか。清朝末期の宦官(かんがん)たちみたいなことをやって日本を裏切り続けてきたのではないか。二十世紀の元寇(げんこう)がせまっている。

 平松氏の著書は平成の立正安国論である。(講談社インターナショナル・一六八〇円)

 上智大学名誉教授 渡部昇一
(03/19 05:00)
URL:http://www.sankei.co.jp/news/060319/boo010.htm

カントと永遠平和●ジェームズ・ボーマン、マティアス・ルッツ・バッハマン [読売]

出版社:未来社
発行:2006年1月
ISBN:4624011686
価格:¥2940 (本体¥2800+税)
一筋縄でない古典に迫る
 ブッシュ政権による一連の対外強硬策を目のあたりにすると、今新鮮に映るのはむしろドイツの法学者カール・シュミットの議論かもしれない。世界平和や普遍的人権の実現のために、といった「正しい」理由を掲げて遂行される戦争のいかがわしさを20世紀初頭に暴いてみせたのがシュミットだからである。近代主権国家体制の方が、世界市民の共同体なる理想より実際の平和に貢献する、というわけである。

 カントの『永遠平和のために』(1795)は、シュミット的リアリズムの対極にある著作である。しばしば国際連盟・国際連合の原型を示した古典と評価されるが、それだけにはとどまらない。経済的相互依存の進展や、国内体制の「民主化」(やや解釈の余地があるが)の進展が戦争のリスクを減らすといった今風のアイデアの宝庫でもある。また、必ずしも民族や文化の多様性を抹消したのっぺらぼうの「人類」の共同体が目指されているようでもない。平和な秩序にいたる道順は、一定のルールの下での諸勢力の対立と抗争であるというメッセージをそこに読み取ることすら可能である。要するに、案外一筋縄でいかない著作なのである。

 本書『カントと永遠平和』は、この奥ゆきのある古典に想像力を刺激された論者が、縦横無尽にカントと平和を論じた本である。カントの専門家のみならず、政治学者や古代ギリシア思想の専門家、さらにはハーバーマスのような著名哲学者も寄稿している。カントの平和論の刊行200周年を祝う国際シンポジウムが元になっているが、この種の企画にありがちな、玉石混淆(こんこう)、ばらばらの寄せ集めになっていないのは特筆に値する。それだけに邦訳に割愛された論考があるのが惜しまれるが、編者2人による明快な序文、国家の論理にたつシュミットと法による平和の道を模索するカントを正面から対決させたハーバーマス論文など、十分に読み応えがある。紺野茂樹、田辺俊明、舟場保之訳。

 ◇ボーマン=セントルイス大学教授。◇ルッツ―バッハマン=J・W・ゲーテ大学教授。
評者・川出 良枝(東京大学教授)
(2006年1月30日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060130bk04.htm

辺野古 海のたたかい●浦島悦子 [朝日]


[掲載]2006年01月08日


 沖縄県名護市辺野古は、日米両政府が合意した米軍普天間飛行場の移設先だ。防衛施設庁が進めようとする海上のボーリング調査を、500日を超える座り込みやカヌーによる行動などで止めた過程を、自らも運動に参加した「在沖ヤマトンチュ」が描く。夜明け前に作業を始めたり、一度造った工事用のやぐらを台風接近のために撤去したりという「愚行」や「税金の無駄遣い」がいくつも。現場でいま何が起きているかを知るための貴重な報告。
出版社: インパクト出版会
ISBN: 4755401607
価格: ¥ 1,995
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200601110172.html

中国農民調査●陳桂棣、春桃著、納村公子、椙田雅美 [朝日]

[掲載]2005年12月25日
[評者]加藤千洋―書評委員のお薦め「今年の3点」
 (1)中国農民調査(陳桂棣、春桃著、納村公子、椙田雅美訳)

 (2)マオ 誰も知らなかった毛沢東 上・下(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ著、土屋京子訳)

 (3)威風と頽唐 中国文化大革命の政治言語(吉越弘泰著)

 今年もあふれた中国本から個性を放つ3点を。(1)は人口13億の大国が抱える根本問題、すなわち農村・農民・農業の「三農問題」についての草の根からの告発ルポ。発展から取り残される農民の窮乏と農村幹部の腐敗に切り込み、刊行間もなく発禁とされた問題作だ。

 「農村で都市を包囲する」と革命戦略を語ったのは毛沢東。「農民は動揺していない」と天安門事件で北京のデモ鎮圧を指示したのはトウ小平だった。

 それほどに中国政治で決定的な要素であるはずの農民に、富農出身の毛沢東は強いシンパシーを実は持っていなかった。意外な毛像を提示したのが(2)だ。旧ソ連資料を用いて書きかえられた毛沢東像、中国現代史の「実相」は衝撃的だ。

 その独裁者が発動した文化大革命中の政治的言説を克明に読み解く(3)は、大衆動員方式の政治運動のすさまじき実態も伝える。

中国農民調査
著者: 陳 桂棣・春桃
出版社: 文藝春秋
ISBN: 4163677208
価格: ¥ 2,900

マオ?誰も知らなかった毛沢東 上
著者: ユン チアン・J・ハリデイ
出版社: 講談社
ISBN: 406206846X
価格: ¥ 2,310

威風と頽唐?中国文化大革命の政治言語
著者: 吉越 弘泰
出版社: 太田出版
ISBN: 4872339827
価格: ¥ 4,935
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512270300.html


表現の自由VS.知的財産権 [著]ケンブリュー・マクロード [朝日]

[掲載]2005年12月25日
[評者]佐柄木俊郎―書評委員のお薦め「今年の3点」
 (1)表現の自由VS.知的財産権(ケンブリュー・マクロード著、田畑暁生訳)

 (2)プロファイリング・ビジネス(ロバート・オハロー著、中谷和男訳)

 (3)仮面の人・森鴎外(林尚孝著)

 新自由主義改革の先達米国では、規制緩和により「知」や情報を企業が囲い込む動きが加速した。(1)はそれが莫大(ばくだい)な富を生みつつ、自由な研究や創造、途上国発展の阻害につながっている実態を鋭く描く。「パブリック圏の拡大を」が著者のメッセージだ。

 (2)では、個人情報が巨大ビジネスを生み、治安部門までが依拠し始めている米社会の歪(ゆが)みが浮き彫りにされる。小泉圧勝劇で「官から民へ」はいまや日本でも「錦の御旗」の観があるが、私有化、民営化は多数に幸福をもたらすのか、と考えさせられる。

 (3)は、留学からの帰朝(きちょう)を追ってきたドイツ娘を帰し、名家令嬢と結婚、「舞姫」発表、離婚と、文豪の身辺あわただしい若き時代の「謎」解きに挑んだ読み物。ドイツ娘との結婚を願い、軍医の辞表まで考えたという解釈だが、文献調査は確かで説得力がある。

表現の自由vs知的財産権?著作権が自由を殺す?
著者: ケンブリュー マクロード
出版社: 青土社
ISBN: 4791762045
価格: ¥ 2,940

プロファイリング・ビジネス?米国「諜報産業」の最強戦略
著者: ロバート・オハロー
出版社: 日経BP社
ISBN: 4822244652
価格: ¥ 2,310

仮面の人・森鴎外?「エリーゼ来日」三日間の謎
著者: 林 尚孝
出版社: 同時代社
ISBN: 488683549X
価格: ¥ 2,310
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512270304.html
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