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自己啓発反省日記08年4月上

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匿名ユーザー

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●4月1日(火)
3月31日朝500に十三を出発、家族3人、

伊勢志摩の旅行

へ。
近鉄の新しい「まわりゃんせ」というチケットを使っての旅。昨年末から遙がうなされうように「まわりゃんせ~、伊勢志摩~」と言って夢見ていた旅行の実現だ。遙はパンフレットを集め、旅行計画を練りに練って準備してきた。
計画通り543難波発近鉄特急に乗車。ところが、車中で、遙のワープロで打った旅行計画書を子細に見ると、途中で時間の計算が間違っていることが判明。いきなり予定変更の話に。
近鉄伊勢市駅に756着、歩いて外宮に。こんな時間でもやはり参拝客は結構いる。路線バスで内宮へ。

伊勢神宮

は30代のときに一度行ったことがあるが、景観はほとんど覚えていない。社殿も木立もやはり立派である。内宮参道にあたる「おはらい町」は、古い家並みを残した観光客相手のにぎやかな商店街。朝食が早かったためにすでに腹ぺこの我々は、たったひとつ開いていたうどん屋に飛び込んで、早くも伊勢名物「伊勢うどん」と「てこね寿司」を賞味。それから遙に引かれるまま迷わず「赤福」本店に入り赤福もちのセットをほおばる。すでに店は満員。赤福本店前から入る昔テーマパークの「おかげ横町」へ。江戸時代の町の様子をジオラマと2分の1大の建物・人形セットで再現した展示がある「おかげ座」はすごくおもしろかった。
そのあと観光客用の乗り合い循環バス「CANバス」に乗って、遙の計画表では鳥羽へ向かいクルージングをする予定だったが、風が強くてとっても寒いので僕が変更を提案。バスが経由する

伊勢安土桃山文化村

に寄ることに。実は、ガイドブックの記述を見る限りあまり期待できるテーマパークではないのだが、原寸大の安土城再現が見たかった。予想通り、全体としてはなんともばかばかしい施設であったが、安土城は立派だった。こんなにカネかけて、こんなしょぼしょぼの入場客でようやっていけるなあ、と驚き。
このあとの行動についても僕がいろいろ変更提案をすると、遙が悲しそうに「なんでそんなに変更ばっかりするん・・・」とつぶやくので、かわいそうになって、「悪い悪い、そうやな、いまごろになってはるちゃんが一生懸命立てた計画に反対したらあかんわな、ええわ、はるちゃんのいうとおりにしよう」と僕が遙を立てる。
で、予定通り、バスで二見へ。遙が「絶対行かなあかん」という

夫婦岩

を大荒れの海の中に見、焼きガキを食べて、二見シーパラダイスをちょこっと見て、鳥羽駅へ。鳥羽の観光は翌日に飛ばして、電車で賢島へ。交通については、遙の頭の中に完璧に路線図ができあがっているので、父母はついて行くだけ。
駅前の

志摩マリンランド

という水族館を30分で見て(こんなもったいない施設めぐりができるのも、「まわりゃんせ」切符ですべて入場無料となるから)、本日の宿泊所、

ホテル近鉄アクアヴィラ伊勢志摩

へ。
我々の部屋は最上階7階のメゾネットで、バルコニーから英虞湾が一望できる最高に眺めのよい部屋。ホテル周辺の遊歩道を歩いたあと、大規模な温浴施設とプールで水遊びをしてから温泉。夕食はバイキングで、お味はどの料理もなかなかよろしい。春休み中の平日というためか、母子連れ(父なし)の客がほとんどだった。こどもが料理を取りに走り回るのがすこしうざい。
翌朝は700起床。温泉に入ってから朝食バイキング。僕はいつもは洋食をとるのだが、和食が格段に充実しているので、そちらにする。
巡回バスで、スペイン風テーマパーク

パルケ・エスパーニャ

へ。実はここも遙の計画には入っていなかったのだが、僕が頼み込んで入れてもらった。遙はそうでもないのに、僕の方がテーマパーク好き。ハビエル博物館というフランシスコ・ザビエルを記念してつくった博物館を見たあと、「こわい」といって尻込みする遙を強引に誘って水上船ライドアトラクション「アドベンチャー・ラグーン」に3人で乗る。ぼくはとっても楽しかった。遙は、恐そうなところでは目をつむっていたらしい。それから僕は母子とわかれて単独で、フラメンコショーを見る。本場の有名な(そうな)人による振り付け・演出でスペイン人ダンサーたちが踊る舞台はたしかに見事で、テーマパークの子供だましではないと感じた。それにダンサーも美人だったし。レストランで合流して、昼食。母子もそれぞれ楽しんだらしい。
バスで鵜方に戻り、電車で鳥羽へ。パルケは行く予定ではなかったにも関わらず、遙はてきぱきと交通経路を選んで、目的地へ我々を導いてくれる。
観光船で「鳥羽湾めぐり」のクルージング。遙が楽しみにしていた「イルカ島」は強風のために省略だった。50分の船旅はちょっと退屈。英虞湾のクルージングの方が変化があって楽しかったかな。
続いて

鳥羽水族館。

僕は15年ぶり2度目。前回は仕事で、館長さんにインタビューしたのだった。そのときも立派な、活気ある、革新的な施設だったが、今回、さらにそのときより進化していると感じた(前回のことあまり覚えてないので、どこが、っていえないんだけど)。広い館内どこもいっぱいの入場者。すごい集客力だ。遙らは、イルカやアシカのショーを楽しむ。僕は終始単独行動で、魚などの水槽を見る。一番おもしろかったのは、カエルだ。いくつも水槽があって、それぞれに種類の違うカエルが入っているのだが、ちょっと見ただけではどこにいるかわからない。「木の下や岩陰に隠れています」と表示してあるから、じっと目をこらして探すと、いるいる、不気味だけど愛嬌のあるやつが、周囲とまったく同じ色をして息を潜めている。カエルには世界はどう映っているんだろうか。家族と合流すると、遙はアシカショーに完全に満足した様子。今回の旅行で、遙を僕と同じ水族館好きにすることに成功したようである。
電車の時刻が迫っているので、ミキモト真珠島は、駆け足で見て、駅に急ぐ。駅弁を買って電車に乗り込み、僕は、パルケエスパーニャで買ったスペインワインをやりながら牛肉弁当をほおばる。本当は、松坂にも僕と遙は寄りたかったのだが、カミさんがもう疲れたというので、駅弁で妥協してやり、大阪へ直帰。
大阪環状線の車窓から、満開の桜とその下で花見に興じる人の姿が見える。大阪駅で僕はまたも母子と別れ、古本屋巡り。しかし収穫なく、100円の本2冊を買っただけでカミさんの実家に帰還。大阪駅前第三ビルの地下の古本屋街、もう3軒だけになって、寂しかった。

ところで、

近鉄の「まわりゃんせ」

はほんとうに、お得な切符。行き帰りの近鉄は特急指定席券つき。区域内の路線バス・観光バスも利用可能。今回入った施設はすべて入場無料。おまけにパルケエスパーニャでは一人1000円の食事券つき。荷物も宅配もサービス。使い倒したな。旅行中ほとんどお金使ってない。遙がまたしまりやさんで、おみやげとか、ジュースとかほしがらないから。
年度最後の日と、新年度最初の日に旅行で休暇とるって言ったら会社で非難ごうごうだったけど、行ってよかったな。でも、寒かった~。

今回、車中やホテルでは、

児島襄「日中戦争 第1巻」(文春文庫)

を読む。全5巻の大冊で、日本軍の済南出兵から話は始まる。
よく日中戦争については、現場が独断専行して戦線を拡大していったと言われるが、その端緒となった済南出兵に限って言えば、むしろ現場は事態の収拾に動こうとしたのに、日本の参謀本部が「支那庸懲」「満蒙問題の抜本的解決」を叫んで増派を推し進めていった、そしてマスコミがそれを支持、国民の熱狂と中国への敵愾心をあおったと児島は言う。
それから、「居留民の保護」という大義名分。児島によれば、現在では、外地での紛争によって自国民の生命財産が脅かされたときは国外避難という方策をとるのが一般的だが、当時でも欧米諸国ではそれが原則だった。ところが、日本がそういう策をまったく考慮せず、逆に軍隊を派遣して日本人居留者を守ろうとしたのは、当時、中国にいた日本人のほとんどは、貧しいが故に日本を出た人たちで、日本に帰っても生活の基盤がまったくない、日本に帰られると国や地域が迷惑すると考えられるような人たちだった事情による、という。たしかに中国共産党は謀略やデマを含めて排日気分をあおり、無秩序な国民党軍や流民は日本人への攻撃や略奪に動いたようだが、日本軍出兵には理がなかった。全く日本側の都合であったわけだ。

●4月2日(水)
700起床。3人で和歌山に帰る予定だったが、義父が遙に、「明日京都へ墓参り一緒に行こう」と持ちかけ、遙が行きたいと言うのでカミさんと一緒に残ることに。それで僕ひとりでクルマで帰る。735出発、阪神高速湾岸線中島IC~泉佐野南IC~国道26号線経由、渋滞なく、915着。

家で服を着替えてから出社。
すこし心配していたが、年度最後の日も、新年度最初の日も特に問題は起こらなかったようだ。
社内会議。先週の出張報告をする。決算と今年度の会計処理について討議。会計の専任者をパートで採用しようかとボスがもちかけるが、今年度の事業収入の見込みが固まってからにしようと僕が言って、そういうことになる。

Nさんのつくった委託事業の精算報告書をチェックし、環境省に発送。これで一応前年度の大きな事業はケリがついた。あとまだ県の委託事業の報告書が一つ残っている。わずか20数万円の事業だが、ちょっと面倒くさい作業が必要だ。

500退社。店に行き、母をスーパーに連れて行く。目当ての品物置いておらず、むなしく帰る。
引っ越し準備で散らかしているので、母と弁当の夕食。

1000帰宅。昨日開局した

FMわかやま

を聴きながら本の整理。知り合いの地元ジャズシンガーがパーソナリティになってジャズの番組やっている。すげえいい曲流してて、思わず聴き入ってしまう。
この局は、ターゲットを団塊の世代あたりに絞っているのだろう、70年代の曲ばかりかけてる感じ。アマチュアのパーソナリティを多数起用しているので、しゃべりが不安なためだろうか、音楽を流している時間が比較的長くて、ほかの局の冗長で空元気的なおしゃべりがうるさくて聞いてられない僕にはありがたい。

きょうより神坂次郎「天鼓鳴りやまず」読み始める。

●4月3日(木)
700起床。

本の整理してから、店へ行き、朝食。こちらでも本の整理。

会社のLANに、いままで店で使っていたパソコンをつなぐ。店で使っていたeo光が自宅に移設されるまでの間、個人のメールチェックを会社でやらせてもらうことにする。設定に苦労するが1時間くらいでなんとか使えるようになる。「メールの切り替え」って機能知らんかった。

お昼休みに、社員全員で、秋葉山にお花見に行き、弁当食べる。ビールもボスから1人1本だけ支給あり、暖かい陽光と微風にゆれるサクラの下、気持ちよかった。

帰ると、

環境省

からメールが来て、明日正午必着で委託金の請求書原本を出せ、とのこと。いままで提出期限も言わず、こちらからの問い合わせも無視しておいて、なにをむちゃくちゃ言うてんねん、と思ったが、いつもながらの環境省の泥縄の仕事ぶり、苦笑しながらNさんと書類を作成、5時直前に郵便局に駆け込んで速達で送る。

店に戻り、母と夕食、引っ越し準備をして、1945カミさんと遙を駅に迎えに行く。カミさんは実に久しぶりのご帰還。遙は寝てしまい、二人で夜食。焼酎2。

●4月4日(金)
「天鼓鳴りやまず」数ページ読んでから1130就寝。
630起床。新聞。

晴れ、昨日より暖。

ゆうべ遅くまでいっしょに起きてたので、遙は眠いらしく、珍しく朝はご機嫌ななめ。
でも朝食中、話をモーツアルトにもっていくと快活になる。
カミさんを駅に送ってから、遙と二人で部屋や本の整理。
今店に引いているeo光を自宅に移設するための調査が来る予定なので、午前中は仕事の休みをとる。
近々に読みたい本をずらりと机前の本棚に並べる。自分自身の勉強のテーマである「近現代史」「仏教と新しい社会倫理」「グローバリズムの克服」の3分野に関する本と自己啓発の本たち。

eoの調査では、エアコンのダクトの穴からケーブルを入れられることになり、安心した。調査員は、技術屋さんらしく丁寧で誠実そうな、好感の持てる人だった。

二人で母のところへ行き、昼食。遙を残して僕は出勤。

昨年度の事業の国あての精算報告は終わったので、これから法人としての決算に入るのだが、まだ資料が調っていないため、すこしのんびり。すると、田辺市の推進員から電話が入り、市に対して温暖化防止条例制定をもちかけるための相談。和歌山県内の市町村の温暖化防止条例のモデルをつくろう、僕が担当、ということがこの前の会議で決まっていたのだが、何も手をつけていなかった。あわててネットで全国の事例を収集、勉強を始める。

給料日。すべてカミさんに渡す。現場に出て行く事業がほとんど終了して休日出勤がわずか2回だけになり、残業もほとんどなかったため、先月よりずっと少なくなった。これから夏にかけてはこんな調子だろうな。
ほかに別立てで直接事業費から予想外の報酬5千円をもらう(これはへそくり)。あ、請求していない旅費を思い出した。

1715退社。店にもどると、遙は母の引っ越しのための整理の手伝いを甲斐甲斐しくやっていた。自宅に移す本とプリンターなどを車に詰め込んでから、1815カミさんを駅に迎えに行く。

夕食前に、プリンタ設置。置き場所に困ったが、いままで掃除機を入れていたコマ付の木箱(もとは遙のおもちゃ箱)の上に乗せて、遙の電子ピアノ(僕の机の脇にある)の下に入れるとぴったり収まる。こりゃあ使いやすい!

夕食は、ハム・野菜炒め、カツオの刺身、卵焼き、おすまし。遙の焼いた卵焼き、絶品だった。酒半、焼酎湯割り2。

アパートの管理人に、eo光の設置工事承諾書の判をもらいにいく。すぐに問題なくくれた。業者からは設置までに1~2ヵ月みておいて下さいと言われているが、案外早く取り付けられるんじゃないかなと期待している。

遙と先日の伊勢旅行の資料(パンフレットや切符)をまとめて綴じて本にする。
その後、溜まっていた新聞の切り抜き。遙は隣で、ダイレクトメールで送られてきた通信添削の学習教材(見本)を解き始めた。

●4月5日(土)
1130就寝。ゆうべ寝るとき、明日からは目が覚めたときにとにかく一度起きて、勉強と執筆の時間をつくろう、と決意。400に目が覚めたので起き出す。
朝は冷え込む。ストーブを足下に置いて、新聞、日記、読書。

10時に社民党県連事務所へ行き、Mさんと二人で社会新報の発送作業。
その後、店へ行き、母と昼食とって、引っ越し準備。本の段ボール箱を2回運ぶ。これで60箱に。でもまだ20箱くらい出そう。
亡父の残した衣料なども見て、捨てがたく、何箱分も残しておくことに。カミさんに見つからないようにしなきゃ。

21時まで母と作業する。腰が痛い。帰ってから床に寝て背伸びをするととっても気持ちいい。

カミさんと遙は、昼間、小学校の同級生の母子同士で和歌山城で花見。その後遙は同級生と離れがたく、その子の家に泊まり込むことになったそうだ。で、ほんとうに久しぶりの夫婦だけの夜。

●4月6日(日)
僕の実家、堀止の家から

母親が引っ越し。

母は、50数年住んだ家をあとにして、紀三井寺の三女の家に移り住む。
先月のお彼岸の営業で店を閉めてから引っ越し準備を一緒にやっていたのだが、どうも時間が足りなかったようで、ばたばたで荷造りをする。母、僕からみたらいらないようなものをたくさん持っていくので、運送屋が、「聞いてた話とちがうなあ」と言うが、何とか2台の軽トラックに積み込みができた。

紀三井寺では、次女と三女の娘が手伝ってくれるので、僕は堀止で引き続き自分の持ち物などを整理し、家に運ぶ。

●4月7日(月)
昼休み、会社のお花見。秋葉山の頂上で弁当を開き、ビール1カン。

夜、NPOの事務局会議。

●4月8日(火)
引っ越しが終わったと聞いた解体屋さんが実家を見に来るが、まだ持ち出すものがあると言うと、じゃあゴミの運び出しはそれが終わってから、ということになる。あまりにゴミが多いので気の毒だ。

●4月9日(水)
NPOの例会。講師は、うちの理事長。最近の温暖化をめぐる政治情勢について。ここ1~2年が勝負、ということがよくわかった。
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