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●戦争と罪責08Ⅰ

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0920 大阪大空襲の被災者・遺族ら、国に賠償・謝罪求め提訴へ [朝日]

2008年9月20日
 約1万5千人の命が奪われたとされる1944~45年の大阪大空襲の被災者と遺族らが国に1人当たり1千万円の損害賠償と謝罪を求める集団訴訟を年内にも大阪地裁に起こす。今月末にも原告団を結成し、開戦から67年となる12月8日の提訴に向けて準備を進める。

 国は旧軍人・軍属やその遺族には、戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用して障害・遺族年金を支給する一方で、民間の空襲被災者には何の補償もせず、死傷者や罹災(りさい)者の実態さえ調査していない。空襲で被災した民間人の集団訴訟としては、東京大空襲の被災者や遺族ら112人が昨年3月、国に損害賠償と謝罪を求めて東京地裁に初提訴。大阪大空襲の原告側も東京訴訟と同様、国が援助してこなかった不作為の責任を問う。

 提訴するのは、1944年12月19日から45年8月14日にかけて約50回に及んだ大阪市や周辺への爆撃で障害を負った被災者や、両親を亡くして孤児となった遺族ら。6歳の時に鹿児島への空襲で被災し障害を負った堺市の女性も参加を望み、原告団は10人程度になる見通しだ。

 一夜で約4千人が犠牲になったとされる「第1次大空襲」(45年3月13日夜~翌日未明)で生まれてまもなく被災し、左足のひざから下を切断した藤原まり子さん(63)=大阪市東住吉区=らが06年に「戦災傷害者の会」を結成し、東京大空襲の被災者らと提訴に向けて連携。8月末の総会で提訴の方針を確認した。

 空襲での被災をめぐる国家賠償については、最高裁が87年、「戦争犠牲ないし戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところ」という判断を示し、名古屋空襲で被災した女性2人の上告を棄却した。しかし、中国残留孤児訴訟では、神戸地裁が06年、この「戦争犠牲受忍論」を理由に賠償責任を認めようとしない国の姿勢を否定し、原告勝訴の判決を言い渡すなど、受忍論を見直す司法判断も出ている。

 海外では、第2次世界大戦中にナチスドイツの空襲を受けたフランスと英国、連合国軍の空襲を受けたドイツとイタリアなどが、民間の被災者を対象とした補償制度を整備している。

 藤原さんは「私たちの人生を変えた空襲の実像と、63年たっても続く苦しみを裁判で明らかにし、被害を放置してきた国の責任を問いたい」と話す。代理人を務める予定の高木吉朗弁護士(大阪弁護士会)は「社会情勢の変化や司法判断の流れを踏まえて、最高裁の判例が変更される可能性は十分にある」としている。(武田肇)


0816 首相、靖国参拝見送り…追悼施設論議は進まず [読売]

 終戦記念日の15日、保岡法相、太田農相、野田消費者相の3人が東京・九段北の靖国神社を参拝したが、福田首相は参拝を見送った。

 終戦記念日に参拝した閣僚は、昨年の1人より多かったものの、4年連続で3人以下にとどまった。また、小泉元首相、安倍前首相が参拝した。

 福田首相は15日は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花したほか、政府主催の「全国戦没者追悼式」に出席した。

 首相は昨年9月、自民党総裁選に出馬する際、「国と国の関係で、(中国、韓国など)相手が嫌がることをあえてする必要はない」と参拝見送りを明言した。首相として参拝した小泉元首相や、参拝の有無を明言しなかった安倍前首相と異なる対応で、靖国神社を巡る問題に内外の注目が集まることを避けた格好だ。

 一方、福田首相が建設に前向きな国立追悼施設構想は宙に浮いたままで、政府・与党内の論議は低調だ。追悼施設の建設構想は、首相が官房長官を務めていた2002年に、自らの私的懇談会が打ち出した。ただ、自民党内には「靖国神社の否定につながる」として慎重論が根強くある。

 政府は、09年度予算の概算要求に施設の調査費計上を盛り込むことを見送る方針だ。町村官房長官は15日の閣議後の記者会見で、「国民がこの問題をどう受けとめるか、よく見極める必要がある。いま慌ててアクションをとる状況には必ずしもない」と理由を語った。

 ただ、河野衆院議長は15日の「全国戦没者追悼式」で、「政府が特定の宗教に拠(よ)らない追悼施設の設置について真剣に検討を進めることが強く求められる」と話し、政府の検討を促した。

 一方で、首相の靖国参拝を求める声も消えたわけではない。超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=島村宜伸・元農相)のメンバー53人(衆院40人、参院13人)は同日午前、参拝した。島村氏は参拝後の記者会見で、「日本人として、日本の政治家として(参拝は)あるべきではないか」と述べた。

(2008年8月16日02時34分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080816-OYT1T00139.htm

0722 カラジッチ被告を拘束 ボスニア紛争時の「大物戦犯」

2008年7月22日19時32分
 【ウィーン=関本誠】セルビア大統領府は21日、声明を出し、90年代前半のボスニア紛争時のセルビア人勢力の最高指導者で、国連旧ユーゴスラビア国際法廷(オランダ・ハーグ)から集団殺害(ジェノサイド)などの罪で起訴されているラドバン・カラジッチ被告(63)を拘束したと発表した。

 カラジッチ被告は同法廷の拘置所で06年に死亡したミロシェビッチ元ユーゴ大統領と並ぶ大物。紛争時のセルビア人勢力の軍指導者ラトコ・ムラジッチ被告(66)ら逃走している被告の中で最重要人物だった。近くハーグに移送される見通しで、20万人前後の犠牲者を出したとも言われるボスニア紛争の責任が追及される。

 セルビアに対して大物戦犯の拘束を加盟交渉の条件としていた欧州連合(EU)の議長国フランスは22日未明、「セルビアがEUに近づく重要な一歩だ」と歓迎する声明を出した。今回の拘束でムラジッチ被告らの拘束にも弾みがつくと期待されている。

 セルビアは今月初め、親EU派の政権が発足。民族主義が吹き荒れたミロシェビッチ時代の「過去」と決別し、EU加盟推進へと大きくかじを切った。今回の拘束で、セルビアとしてEU加盟に本腰を入れていると印象づけ、コソボ独立問題でぎくしゃくしていたEUとの関係改善を目指すとみられる。

 国際法廷の起訴状によると、カラジッチ被告は敵対するモスレム人勢力とクロアチア人勢力に対する「民族浄化」を指揮。ムラジッチ被告とともに集団殺害などの罪に問われている。起訴事実の一つで、第2次大戦後の欧州では最悪の虐殺となった95年の「スレブレニツァの虐殺」だけで死者は7千人以上に上るとされる。

 ボスニアは92年に独立を宣言。独立賛成のモスレム人とクロアチア人、反対のセルビア人の3民族の衝突から旧ユーゴ連邦軍の介入に発展し、紛争は95年末まで続いた。
URL:http://www.asahi.com/international/update/0722/TKY200807220001.html

0624 沖縄戦、警察も米軍破壊工作や投降阻止 米軍文書で判明 [朝日]

2008年6月24日7時58分
 太平洋戦争末期の沖縄戦で、警察官が日本軍の士官らと連絡を取りながら、沖縄本島北部で米軍に対する破壊工作をしたり、住民の米軍への投降を抑えようとしたりしていたことが、当時の米軍の秘文書からわかった。北部地域では日本軍がゲリラ戦を展開しており、警察が軍と一体になってこの作戦に加わっていたことを裏付けるものと研究者はみている。

 文書は、沖縄を攻略した米軍第27歩兵師団司令部の45年7月7日付報告書。本島北部の廃屋で同3日に没収した名護警察署の警部補の日誌の記述を抜粋、英訳したとされ、米軍上陸後の4月23日から6月30日まで、名護市東部の山中での署員の行動が書かれている。関東学院大の林博史教授(現代史)が米国立公文書館で入手した。没収した日誌の原本は見つかっていない。

 文書によると、警部補らは、ゲリラ戦部隊「護郷隊」が陣取った名護市多野岳の南西に野営。「夜間、敵の状況を偵察するため2隊にわかれる」(4月23日付)、「分隊長○○(実名)……通信線を切断」(同26日付)など、偵察活動や破壊工作を行った。

 住民らの避難壕(ごう)がある地区にも頻繁に出入りし、日本軍の組織的戦闘が終結した後の6月24日には、米軍の収容所に入れられないように住民に指示するため、2人が派遣されたほか、「毎日、多くの住民が米軍に収容されている」(6月25日付)といった情報を集めていた。

 日本軍への協力の記述も多い。5月1日には日本兵7人に食料を配給し、6月12日には少尉、同17日には大尉と接触していた。

 沖縄戦で、日本軍は本島中南部の戦線に主力部隊を置き、北部にはゲリラ戦を任務とした部隊を配置。米軍が北部西岸から上陸し、南部へ勢力範囲を広げてからも山間部などで抵抗を続けた。この地域での警察の活動については、住民を利用した敵陣営の攪乱(かくらん)など、警察官の任務を記した「戦闘活動要綱」が05年に米英軍の没収文書のなかから見つかったが、活動の実態はわかっていなかった。

 林教授は「文書は住民の命を軽視し、住民から警察官まで根こそぎ動員してゲリラ戦を続けようとした日本軍の方針が実際に実行に移されていたことを裏付ける史料だ」と話している。(隅田佳孝)
URL:http://www.asahi.com/national/update/0624/TKY200806230303.html

0616 原爆症、新基準下で12人追加認定 厚労省 [朝日]

2008年6月16日20時56分
 厚生労働省は16日、原爆症認定で4月から運用している新基準下で初めて、一定条件外にある被爆者を対象にした個別審査を行い、12人を新たに認定した。うち6人は、国の敗訴が確定した大阪高裁判決が認定した原告と同じ病気の被爆者。判決が審査に影響を与えたといえそうだ。

 6人の病気は甲状腺機能低下症。新基準で、爆心地からの距離や特定の病気など一定条件に適合すればほぼ自動的に認定する「積極認定」にあてはまらなかった。厚労省は6人の認定について、「大阪高裁の判決を一つの判断材料にした」(健康局総務課)としている。認定されたほかの6人は、がんを発症した被爆者だった。

 集団訴訟の原告6人も12人の認定者に含まれた。2人が甲状腺機能低下症、4人ががんという。

 厚労省は、国側の敗訴が確定した仙台、大阪両訴訟の原告11人のうち、認定済みの4人を除く7人について、審査なしで早期認定する方針。現在、手続き中という。

 今回を含め、新基準で認定された人は計373人。うち集団訴訟の原告は計135人で全原告の4割を超えた。

 16日、厚労省内で会見した全国原告団の山本英典団長(75)は「ようやく個別審査を始めたが、1度で12人とは少なすぎる。舛添大臣(厚労相)は個別審査の方が早いと言ったが早くない。うそをついたのか」と審査の迅速化を訴えた。また全国弁護団副団長の安原幸彦弁護士は、甲状腺機能低下症の患者が認定されたことを評価しながらも「一つ一つの疾病について、高裁判決まで取らなければ審査されないのかと危惧(きぐ)を感じた」と話した。
URL:http://www.asahi.com/national/update/0616/TKY200806160265.html

0611 原爆症訴訟上告断念を表明 厚労相、基準見直しには触れず [朝日]

2008年6月10日11時38分
 政府は10日、11人の被爆者に対する原爆症の不認定処分の取り消しを国に命じた仙台、大阪両高裁判決について、上告の断念を正式に表明した。だが、原告側が求めた認定基準の見直しについて、舛添厚生労働相は「現行の基準で迅速に審査する」と否定。他の訴訟についても争う姿勢を示した。

 原告側が求める全面解決の条件にはほど遠い内容で、反発が予想され、訴訟が長期化する可能性も出てきた。

 町村官房長官は断念の理由について「最高裁で争うまでの強い理由がないと判断した」と述べた。一方、両高裁以外の4高裁15地裁で係争中の集団訴訟については「国が勝っているところもあり、他の高裁の判断を仰ぐ必要がある」と訴訟を続ける方針を示した。

 原告側は基準の見直しや訴訟の全面解決も求めており、こうした点に政府が言及しなければ原告側からの上告を辞さない姿勢だ。しかし、町村氏は原告305人の全員認定について「一括して認定するのは困難」と述べた。

 また、舛添氏は、4月から運用を始めた原爆症認定の新基準について「(個々の症状などを審査する)総合判断という手段がある。新しい認定基準を作るのは時間がかかる」と述べ、さらに見直すことは否定した。鳩山法務相も「個別の判断では(認定条件になる)放射線起因性が考えられないケースも中には出てくる可能性はあるが、今回の高裁判決は個別の判断として受け入れる」と語った。
URL:http://www.asahi.com/national/update/0610/TKY200806100058.html

0603 内閣府がPCIを賠償提訴へ…遺棄化学兵器処理事業 [読売]

 中国での遺棄化学兵器処理事業を巡る詐欺事件に絡み、発注元の内閣府は、大手コンサルタント会社「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」(PCI、東京)を相手取り、だまし取られたとされる事業費について、損害賠償を求める訴訟を起こす方針を固めた。

 東京地検特捜部の捜査もにらみ、最終的な損害額を算出する。

 一方、これまで中心的な役割を果たしてきたPCIグループの撤退で、同事業の先行きは不透明さを増している。

 特捜部は先月13日、同社前社長・多賀正義容疑者(62)らを、2004年度に下請け社員を自社の社員と偽って事業費を国に水増し請求し、計約1億4100万円をだまし取った詐欺容疑で逮捕。拘置期限の3日午後に詐欺罪で起訴する見通しだ。また、PCI側が05、06年度にも、同様に事業費を水増し請求していたとして、今後も捜査を続けるとみられる。

 内閣府は今回の水増し請求について、PCIが組織的に関与した詐欺行為だと判断。捜査で04~06年度の3年間の被害額が固まるのを待って、PCI側を提訴することにしている。内閣府は「だまし取られたのは国民の税金であり、被害回復を確実なものにするためにも、強い姿勢で臨む必要がある」と話している。

 一方、事件を受けて、PCIグループは遺棄化学兵器処理事業から撤退する。内閣府はこれまで、化学弾の発掘や処理施設の設計などを民間企業に発注する際、契約手続きなどをPCIグループの「遺棄化学兵器処理機構」に任せてきたが、今年4月以降は、すべて自前で行うようになった。しかし、内閣府の担当室の人員は二十数人。最終的には50人弱に増やす方針だが、1年間に増員が認められるのは数人程度で、内閣府の内部からも「事業のスローダウンは避けられない」との声が出ている。

 処理事業は今後、30万~40万発が遺棄されていると推定される中国吉林省・ハルバ嶺で、化学弾を掘り出し無毒化する作業が予定されている。ただ、内閣府は事件を契機に、様々な事業費について必要以上に膨らんでいなかったかどうかを検証しており、化学弾を無毒化する処理施設の建設業者を選ぶ入札は来年度以降にずれ込む見通しだ。

 こうした状況から、化学兵器禁止条約が定める処理期限(2012年)までに事業を終えるのは難しいとの見方も強まっている。

(2008年6月3日14時59分 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080603-OYT1T00472.htm

0530 原爆症認定:国の控訴棄却、9人全員勝訴 大阪高裁 [毎日]

原爆症認定訴訟判決で勝訴の旗出しをする弁護士ら=大阪市北区の大阪高裁前で2008年5月30日午前10時34分、三村政司撮影 大阪、京都、兵庫の被爆者9人が原爆症認定申請の却下処分取り消しなどを国に求めた訴訟の控訴審判決が30日、大阪高裁であった。井垣敏生裁判長は「国の審査方法には問題点が含まれており、却下処分は違法」と述べ、放射線と疾病の因果関係を認めて全員の処分取り消しを命じた1審・大阪地裁判決を支持し、国の控訴を棄却した。国が4月から運用する新認定基準に含まれない「甲状腺機能低下症」「脳梗塞(こうそく)後遺症」などを発症した原告5人も原爆症と認定。28日の仙台高裁判決に続いて、未認定者を原爆症と判断したことで、国は基準の再検討を迫られそうだ。

 国側は新基準導入に関する弁論を行わなかったため、井垣裁判長は旧基準について判断した。判決は「国が注意義務を果たさなかったとは言えない」として、1人あたり300万円の賠償請求は退けた。

 原告は広島と長崎で被爆した71~83歳の男女6人と、06年5月の大阪地裁判決後に死亡した原告3人の訴訟を承継した遺族。7人は爆心地から1.5~3.3キロで被爆し、2人は原爆投下後に救援活動で被爆地に入った「入市被爆者」だった。原告のうち4人は、新基準が認めるがんなどを発症しており、4月に原爆症認定された。

 判決は1審判決と同様、旧認定基準が根拠とした被ばく線量から病気になるリスクを算出する「原因確率」について、「被ばく線量を過小評価している疑いが残る」と指摘。その上で「認定は被爆後の行動や健康状態などを総合考慮して判断すべきで、機械的な適用は妥当ではない」とし、全原告について「申請時に放射線起因性、要医療性の認定要件があった」と判断した。

 国側は控訴審で、旧基準について「最新の科学的、医学的な知見に基づく」と妥当性を主張。各原告の疾病の原因を「加齢など放射線以外の可能性がある」と反論していた。

 集団訴訟は03年4月以降、全国17地裁で提起され、原告は305人。【川辺康広】
URL:http://mainichi.jp/select/today/news/20080530k0000e040024000c.html

0530 東京大空襲訴訟 尋問実現へ署名提出 高畑監督ら有識者55人も [赤旗]

 東京大空襲訴訟の原告団と弁護団は二十九日、東京都千代田区の東京地方裁判所内で記者会見し、原告らが求める専門家・原告尋問の実現を要請する署名に対して、アニメーション映画監督の高畑勲さんや漫画家の石坂啓さんら有識者五十五人が応じたことを発表しました。団体署名は三百三団体に上り、有識者分と合わせて同日、地裁に提出しました。

 原告・弁護団は四月、学者や専門家六人と原告三十人の証拠調べを申し出ました。

 これに対し国側は、原告の請求自体が失当しているため事実関係の確定は不要とし、「証拠調べをする必要はない」と主張。裁判所に対し法的判断のみを求め、原告の請求をすみやかに棄却すべきだとのべています。

 記者会見で中山武敏弁護団長は「事実関係の検証なくして違法性があるかどうかの法的判断はできない」と指摘。戦後補償裁判でも、自衛隊のイラク派兵は違憲と判断した名古屋高裁判決の訴訟でも、国側は同じ主張を繰り返していたと批判しました。

 原告団副団長の城森満さんは「国は事実を明らかにされるのが怖いのではないかと語りました。

 署名した有識者はほかに、翻訳家の池田香代子さん、人材コンサルタントの辛淑玉さん、作家の辻井喬さん、早稲田大学法学学術院教授の水島朝穂さんら。
URL:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-30/2008053014_01_0.html

0528 在外被爆者、来日せず手帳取得 要件緩和の改正案合意 [朝日]

2008年05月28日21時17分
 自民、公明、民主の3党は28日、海外に住む広島、長崎の被爆者が来日しなくても被爆者健康手帳を取得できるよう被爆者援護法を改正する案の修正について合意した。30日の衆院厚生労働委員会で委員長提案として可決し、今国会の成立を目指す。

 現行法では、手帳の取得には来日が必要。修正案は、海外に住む被爆者は、都道府県知事に手帳を申請できるとの内容。申請書類は郵送や在外公館で受け付ける案などがある。与党と民主党はそれぞれ議員立法で法案を提出していたが、修正案の協議を続けていた。

 付則として、原爆症認定の申請のあり方についても検討を行うことも盛り込まれた。
URL:http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY200805280300.html

0526 強制収容の日系「元学生」440人に名誉学位 米大学 [朝日]

2008年05月26日01時26分
 【ロサンゼルス=堀内隆】米ワシントン大学(ワシントン州シアトル)はこのほど、第2次大戦中の42年に強制収容され、学業を全うできなかった約440人の日系人学生に名誉学位を授与した。大学を離れて66年。式典に参加できた元学生65人は、ほとんどが80歳代後半になっていた。

 「長い家路」と題された式典で、エマート学長はルーズベルト大統領(当時)の命令で米国内の日系人が強制収容所に送られた歴史を振り返り、「著しい不正義に打ち勝った方々を称賛したい」と賛辞を贈った。収容所生活を経験した日系のノーマン・ミネタ前運輸長官も出席した。

 地元メディアによると当時、ワシントン大学に在学する日系人学生はカリフォルニア大バークリー校に次いで全米で2番目に多かったという。贈られたのは正式な学位ではないが、同大評議員会のベアラー会長は「名誉学位とは最も名誉ある形で受けた学位ということだ」と述べた。
URL:http://www.asahi.com/international/update/0525/TKY200805250187.html

0519 朝鮮半島・台湾出身の元BC級戦犯に補償案 議員立法初提出へ [朝日]

2008年05月19日00時04分
 「日本人」として処罰されたのに、戦後差別的な扱いを受けてきた朝鮮半島や台湾出身の元BC級戦犯。何の補償もなかった彼らに、特別給付金を支給するための議員立法案が今国会にも初めて出される。法廷で訴え、敗訴後も続けてきた関係者の活動に光があたり始めている。

 法案は民主党の泉健太・衆院議員(33)らが提出を検討している。朝鮮半島や台湾出身の元BC級戦犯や遺族に対し、「人道的精神に基づき」1人あたり300万円を支給することが柱だ。

 日本人の元BC級戦犯や遺族には、恩給や援護法による給付金が支給されるが、政府は「日本国籍ではない」として対象から排除してきた。韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の会「同進会」の李鶴来(イ・ハンネ)会長(83)=東京都=らが国に補償と謝罪を訴えてきた。

 泉議員が李さんと初めて会ったのは03年。1枚のビラに目がとまり、話を聞いた。日本兵の遺骨収集団に参加したこともあったが、李さんのような存在は知らなかった。「国会は正面から取り組んでこなかった」。党派をこえて賛同者を広げたいという。

 李さんは、17歳だった42年夏に朝鮮半島から「徴用」され、タイの捕虜収容所で監視員を務めた。衣食住も薬品も欠乏した過酷な労働環境で、上官の命令は絶対だった。

 戦後、捕虜を虐待したとして現場監視員が連合国の軍事裁判で訴追され、李さんも死刑判決を受けた。減刑され、東京・巣鴨刑務所から釈放されたのは敗戦の11年後。援護策はなく、自殺した仲間もいる。韓国に戻っても「日本軍に協力した」と白眼視されるため、異郷での苦しい生活を強いられた。

 「日本人だったからと刑を受け、日本人でなくなったと補償要求は退けられる。こんな不条理はないでしょう」

 李さんら元BC級戦犯6人と遺族が国を訴えた裁判は8年間続いた。99年の最高裁判決は訴えを退けたが、「深刻で甚大な犠牲や被害を被った」と認め、「補償は立法府の裁量」と指摘した。

 李さんはその後も永田町に足を運び、立法化を訴えたが、9年の時が過ぎた。仲間は次々と亡くなり、原告の元戦犯で生きているのは2人だけ。「立法府がようやく第一歩を踏み出した」と喜ぶ。

 韓国籍の李さんは4月、国を相手に新たな訴訟を東京地裁に起こした。65年の日韓国交正常化までの外交文書の全面公開を求めている。

 李さんらの要求に、日本政府は「日韓協定で解決済み」との立場を通してきた。韓国政府の公開文書では、韓国人戦犯の扱いについて、交渉で日本側が「別個の問題として研究したい」と答弁した、との記録がある。日本政府の対応を明らかにすることが法案成立の後押しにもつながる、と李さんは信じている。(中野晃)

     ◇

 〈朝鮮半島・台湾出身のBC級戦犯〉 戦争中、日本軍は朝鮮人や台湾人を動員し、捕虜監視員として南方各地に派遣した。日本の敗戦後、日本人司令官や下士官らとともに、戦争指導者らの「A級戦犯」に対して「BC級戦犯」として裁かれた。321人が有罪となり、朝鮮人23人、台湾人26人が死刑になった。韓国政府は06年、「日本の強制動員の被害者」と認定している。
URL:http://www.asahi.com/national/update/0517/TKY200805170236.html

0511 朝鮮人特攻隊員の祈念碑、撤去へ 「親日」に韓国で反発 [朝日]

2008年05月11日00時01分
 【泗川(韓国南部)=箱田哲也】日本軍の特攻隊員として戦死した朝鮮人青年を慰霊するため、韓国通の女優、黒田福美さんらが韓国・泗川市で10日に予定していた祈念碑の除幕式が、直前に中止になった。左右両派の団体が「日本のために死んだ者を称賛できない」などと反発。同市は祈念碑をいったん撤去して保管する方針だ。

 黒田さんは、戦争の犠牲になった朝鮮の若者の名前を故郷に刻もうと日韓を奔走。特攻隊員として沖縄周辺の海で24歳で戦死した卓庚鉉(タク・キョンヒョン)(日本名・光山文博)さんがいたことがわかった。卓さんの地元、泗川市が3千坪の土地を提供。5メートルの石碑も完成し、10日午前に除幕式を開くことが決まった。

 だが、除幕式が近づくと、植民地時代の独立運動にかかわった人々らでつくる右派の光復会が「韓国人であっても特攻隊員は天皇に忠誠を誓った人物」と祈念碑への反対を表明。韓国政府の依頼で、植民地時代の「親日人名辞典」のリスト作成を進める民族問題研究所も「侵略戦争の犠牲者だが、連合軍からみれば加害者でもある」と除幕式の延期を主張した。左派系団体からも同様の声が出た。

 泗川市は混乱を回避するため、市長の式典欠席を決定。9日、黒田さんらに式典の中止を要請するとともに謝罪したという。日本からも約30人がツアーを組んで参加し、除幕式に合わせてシンポジウムを開く予定だったが中止に。10日昼には黒田さんや参加者らが現場に向かったものの、光復会のメンバーらに道を阻まれ、石碑に近づくことすらできなかった。

 黒田さんは、国籍にかかわらず沖縄戦の全犠牲者の名を刻む「平和の礎」のような施設を目指していた。「創氏改名で日本人とされて死んでいった人たちの魂が帰れる場所を作りたい、という一心でやってきた。今回の問題の答えは、後に韓国社会自身が出してくれると信じている」
URL:http://www.asahi.com/international/update/0510/TKY200805100096.html

0425 シベリア抑留死から62年、94歳妻に遺骨 [朝日]

2008年04月25日07時44分
 とうちゃん、お帰り――。旧満州(中国東北部)で旧ソ連軍の捕虜になり、シベリア抑留中に死亡した元陸軍兵長の鹿俣正(かのまた・ただし)さんの遺骨が24日、静岡県浜松市浜北区に住む妻トヨさん(94)ら家族の元に届けられた。政府派遣の遺骨収集団が02年に現地から持ち帰った旧日本軍兵士の遺骨の一部が、DNA鑑定で正さんと確認された。生きていれば95歳になる夫。別離から60年以上たっての「再会」に、車いすのトヨさんは何度も涙を流した。

 正さんは福島県伊達郡梁川町(現伊達市)の出身。養蚕の道具を商う家業を嫌って、トヨさん、生後8カ月だった長男淳一さん(71)を連れて満州へ移住し、現地のガス会社に就職した。左目が不自由だったが、太平洋戦争が始まって1~2年後、30歳を過ぎてから召集された。

 歩兵第178連隊に所属し、終戦間際、ソ満国境で捕虜となった。旧ソ連から政府に提供された「抑留中死亡者名簿」などから、現在のロシア・チタ州のハルボン収容所で終戦翌年の1946年1月、急性肺炎と栄養失調で33歳で亡くなったとされていた。

 淳一さんは03年、政府が行うDNA鑑定に同意し、照合用にほおの粘膜を提供した。しかし、なかなか結果が出ず、「もうあきらめていた」という。

 終戦翌年に日本に引き揚げるまで、トヨさんは、淳一さん、娘の浩子さん(65)、次男の征志さん(62)を連れ、貨車で朝鮮半島に連れて行かれたり、むやみに発砲するソ連軍兵士におびえたりする日々を送ったという。淳一さんは「女性では危ないからと、母は頭を丸刈りにし、背広を着て男性を装っていました」と振り返る。

 トヨさんは昨年末、肺炎で生死をさまよった。記憶力や体が弱って車いす生活だが、遺骨が帰ってくると知ってからは、何度も涙を流したという。この日、静岡県援護恩給室の職員から遺骨を受け取り、額を箱に押しつけて泣いたトヨさん。ふたを開けて骨片を手にすると、「とうちゃん……」と声を絞りだした。

 淳一さんは「よく帰ってきてくれました。今日の雨はおやじのうれし涙でしょう。これで我が家も終戦を迎えられました。本当に感謝します」と語った。

 県によると、旧ソ連抑留者のうちDNA鑑定で身元が確認できた遺骨は県内で12人目。鑑定結果待ちは13人いる。
URL:http://www.asahi.com/national/update/0425/TKY200804250010.html

0422 「国会議員の会」62人が靖国を参拝 山谷首相補佐官も [朝日]

2008年04月22日10時58分
 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・島村宜伸元農水相)の62人が22日、春季例大祭が開かれている東京・九段の靖国神社に参拝した。閣僚はいなかったが、山谷えり子首相補佐官や内閣府の中川義雄、農水省の今村雅弘両副大臣、5人の政務官が加わった。

靖国神社の参拝を終えた山谷えり子首相補佐官=22日午前8時10分、東京都千代田区、松沢竜一撮影

 同会によると、党派別では衆院43人(自民38人、民主、国民新、新党大地各1人、無所属2人)、参院19人(自民16人、国民新2人、民主1人)。福田首相が参拝を見送っていることについて、島村氏は「人それぞれに考えがあり、立場や配慮もある。追及はしない」と語った。
URL:http://www.asahi.com/politics/update/0422/TKY200804220075.html

0417 ソルジェニーツィン氏が「ウクライナ大飢饉」問題で論文 [朝日]

2008年04月17日06時10分
 【モスクワ=大野正美】ロシアのノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏(89)が、国際的な論議を呼んでいるソ連時代のウクライナの大飢饉(ききん)問題で論文を発表、一石を投じた。

 大飢饉は1932~33年に起き、数百万人が餓死したとされる。親欧米派のユーシェンコ・ウクライナ大統領はソ連の強制的な農業集団化と過酷な穀物調達が原因だったとし、「ウクライナ国民へのジェノサイド(集団殺害)」と認めるよう、ソ連継承国のロシアや国連に求めている。

 論文は、ブッシュ米大統領が今月1日にキエフにある大飢饉の慰霊碑へユーシェンコ氏と献花したのを受け、イズベスチヤ紙に掲載された。大飢饉について「ロシア南部のクバン地方でも多くの犠牲が出た。当時は誰もウクライナ人の全滅を目指す行為とは言わなかった」。さらに「ジェノサイドの主張はウクライナの排外的、反ロシア的な層に後で生まれ、政権が利用している」とし、要求を認めないロシアのプーチン政権を擁護した。

 一方で、かつての反体制作家らしく、大飢饉の原因はソ連の穀物調達政策にあると認め、「農民からの残虐な略奪だった」と当時の共産党指導部も厳しく批判している。

 ナタリア夫人によると、ソルジェニーツィン氏は病気でほとんど歩けず、この5年間モスクワ郊外の自宅から出たことがないが、ソ連での国民弾圧に自らの見解を示す意思は健在で、執筆活動を続けている。今回の論文の動機も、ロシアとウクライナの両スラブ民族が共通の悲劇の大飢饉で争う事態に耐えられなかったことにあるようだ。
URL:http://www.asahi.com/international/update/0417/TKY200804160376.html

0328 「沖縄ノート訴訟」判決、元隊長側の請求を棄却 [朝日]

2008年03月28日
 太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとした岩波新書「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして、元戦隊長と遺族がノーベル賞作家の大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店(東京)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。深見敏正裁判長は「元戦隊長の命令があったとは断定できないが、関与は十分推認できる」とし、集団自決には「旧日本軍が深くかかわった」と認定。元隊長らを匿名で「事件の責任者」などとした記述には「合理的資料や根拠があった」として名誉棄損にはあたらないと判断し、請求をすべて棄却した。元隊長側は控訴する方針。

判決を受け会見に臨む大江健三郎さん(右)=28日午前10時56分、大阪市北区で
 原告は、大阪府内に住む元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さん(91)と、元渡嘉敷島戦隊長で元大尉の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)。裁判は、高校歴史教科書の検定にも影響を与えており、軍の関与の有無が最大の争点だった。

 判決は、集団自決について、軍から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)が配られたという生存者の証言が多数ある▽手榴弾は戦隊にとって極めて貴重な武器で、軍以外からの入手は困難▽集団自決が起きたすべての場所に軍が駐屯し、駐屯しない場所では発生しなかったことなどを踏まえ、集団自決への「軍の深い関与」を認定した。

 そのうえで座間味、渡嘉敷両島では元隊長2人を頂点とする「上意下達の組織」があり、元隊長らの関与は十分に推認できるとしつつ、「自決命令の伝達経路は判然とせず、命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とした。だが、本のもととなった住民の証言集など元隊長の関与を示す内容は「合理的で根拠がある」と評価し、大江さん側が「命令があったと信じる相当の理由があった」と結論づけた。

 「隊長命令説」は遺族年金を受けるために住民らが捏造(ねつぞう)したとする元隊長側の主張についても、住民の証言が年金の適用が始まる前から存在していたとして退けた。

 また判決は、元隊長らの実名を挙げて住民に自決を命じたと指摘した歴史学者の故・家永三郎さんの著作「太平洋戦争」(68年、岩波書店)も、名誉棄損は成立しないとの判断を示した。

 「沖縄ノート」は、住民の証言集など集団自決の証言を集めた文献を引用しながら、両島では「部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という軍の命令があったと指摘した。

 元隊長側は裁判で「住民に集団自決を命じた事実はない。逆に、住民には自決しないよう厳しくいさめ、後方で生き延びるよう伝えた」などと軍の命令を否定。集団自決は「家族の無理心中」と受け止めるのが自然と訴えた。

 大江さん側は、「日本軍が『軍官民共生共死』の方針を住民らに担わせ、タテの構造の中で自決を強制したことは明らか」と反論していた。
URL:http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200803280020.html

0312 従軍慰安婦で国会決議へ、日本に謝罪求める フィリピン [朝日]

2008年03月12日09時29分
 フィリピン下院の外交委員会は11日、日本政府に対して、「従軍慰安婦」と呼ばれる太平洋戦争時の性暴力被害者への公式な謝罪と補償を求める決議案を全会一致で可決した。近く開かれる本会議でも可決される可能性が高く、日本に謝罪を求める同国初の決議となる。同様の決議は07年に米、カナダ、オランダの各下院と欧州議会で可決され、今回、フィリピンでの審議が本格化するきっかけとなった。

 決議案は「日本で最近、93年に河野洋平官房長官(当時)が発表した元慰安婦に対するおわびと反省の談話を薄め、無効にしようとする動きがある」と指摘。日本政府が従軍慰安婦問題に対する責任を公式に認め、謝罪し、被害者に補償することを促すよう比政府に求めた。

 この日の審議を元慰安婦の女性約10人が傍聴。被害者と名乗り出て運動を始めて16年。「やっと肩の荷が下りた」と、パナイ島出身の被害者エリサ・アルメソルさん(80)は涙を浮かべた。

 元慰安婦の活動を支援する団体「リラ・ピリピーナ」によると、同会に名乗り出た被害者約170人のうち56人がすでに他界。支援者は「残された時間は少ない」と話す。
URL:http://www.asahi.com/international/update/0312/TKY200803120035.html

0310 東京大空襲 日本は「抗議」、米は「黙殺」 [朝日]

2008年03月10日15時14分
 第2次世界大戦の末期、日本は都市部などへ繰り返される爆撃を「国際法違反だ」と米国に抗議していた。だが米国は抗議を「黙殺」することを決定。約10万人が犠牲となる東京大空襲が始まったのは、その3日後の1945年3月10日未明だった。あれから63年。外交文書をひもとくと、自ら無差別攻撃をしながら、他国の同じ行為を批判する日米双方の姿が浮かび上がる。

 日本の一般市民を標的とする本格的な爆撃の始まりは、東京大空襲のちょうど5カ月前にさかのぼる。44年10月10日、延べ1000機を超える米艦載機が沖縄を襲い、約1000人が死傷。那覇市の90%が焼き払われた。

 東京・麻布台の外交史料館には、この「那覇10・10空襲」について、当時の重光葵(しげみつまもる)外相名で起草されたアメリカへの抗議文が残っている。

 「平和的人民の殺傷ならびに非軍事目標の攻撃は、今日、諸国家を規律する人道的原則ならびに国際法に違反せるものとして(略)」

 国際法違反についての見解をただす抗議文は、駐スペイン公使を経て、44年12月に米国務省に届いた。

 米側の対応は慎重だった。日本軍は38年から中国・重慶などを無差別爆撃、死者は1万人を超えたとされるが、米国もこれを「国際法上の問題」と批判していたからだ。

 米国の史料集「合衆国の外交(FRUS)」の45年第6巻に収められたステティニアス国務長官の1月18日付の書簡には、様々なケースを考えたことが記されている。

 「このような攻撃を中止することに同意したら、どんな反響があるか▽国際法違反だとしたうえで、攻撃は続けると回答したら、どうなるか▽アメリカの見解では国際法違反にあたらないと答えたら、どうなるか」

 3月6日(日本時間で6日夜~7日昼)、国務・陸軍・海軍3省調整委員会は最終見解をまとめ、同長官に示した。

 「抗議文のような攻撃が国際法違反であることを否定すれば、当政府がたびたび表明してきた見解と矛盾する。一方、もし国際法違反であると認めれば、敵領内に不時着した兵士を危険に陥れ、戦犯扱いの目にあわせるかもしれない」

 国際法違反であるともないとも言わず、黙殺する。それが結論だった。

 日本はその事実を知らず、東京大空襲の12日後にも再び抗議した。

 「3月10日、3月12日、3月13日、3月14日、東京、名古屋、大阪などに来襲せる米軍機による攻撃は、故意に無辜(むこ)の平和的人民を殺傷する方法をとりたるものと断ずるほかなく(略)」

 米側に届いたのは7月30日。1週間後には広島に原爆が落とされた。
URL:http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY200803100199.html

0117 南京大虐殺記念館の展示に配慮求める 上海日本総領事館 [朝日]

2008年01月17日11時18分
 先月13日に中国・南京で再開館した「南京大虐殺記念館」の展示内容をめぐり、在上海日本総領事館は16日、「日本人の残虐性が強調された描き方で、恨みや反感を引き起こす懸念がある」として記念館館長や南京市幹部に配慮を申し入れていたことを明らかにした。

 隈丸優次総領事が11日に同記念館の朱成山館長らと面談。館内に掲示されている「30万人」の犠牲者数に研究者の間で異論があることや、日本人の残虐性を強調した写真の信頼性が疑問視されているなどと指摘。「戦後日本の平和の歩みや、72年の国交正常化以降の日中関係の進展が十分描かれておらず、バランスを欠いている」とし、「多くの日本人が反感を持たずに訪問できる施設になるよう願う」と伝えた。

 朱館長は「平和へのメッセージはしっかり出している。理性的な展示で日本側にも十分配慮している」などと回答したという。
URL:http://www.asahi.com/international/update/0117/TKY200801170091.html
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