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自己啓発反省日記07年9月下

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自己啓発反省日記07年9月上 より続く


9月17日(日) 但馬高原植物園/ラーメンに具の煮汁を入れるな

敬老の日。
家族三人、車で但馬高原植物園へ。

650に大阪のカミさんの実家を出て、池田から中国自動車道、福崎から播但道に入る。山間部に入ると、ものすごい雨に見舞われる。雨宿りを兼ねて、全国唯一という高速道路の中の道の駅「フレッシュ朝来」に寄る。建物はショッピングセンターのような大きな空間をとったぜいたくなつくり。播但道の終着・和田山インターから国道9号線に入り、養父市を抜けて村上へ。雨は播但道を下りると上がっていた。1030予定通りの時間に植物園に到着。

植物園は期待していたとおりのすばらしさ。ハギ、オタカラコウ、フジバカマなど秋の野の花が満開。晴れていれば蒸し暑いだろうが、曇っていて、歩くのにはちょうどいい気温だ。1000年以上の樹齢を誇る桂の木の根本を走る「カツラの千年水」でのどを潤す。この冷たいわき水が園内を縦横に走り、湿原を形成し、美しい林と花壇をはぐくんでいるのだ。園内の遊歩道にアップダウンはほとんどなく、そんなに広いところでもないので、疲れたと思う前に一周できる。クマが出没するらしく、林の奥へ行く小路は閉鎖されている。歩き終わる頃、雨が降り、雷が鳴ってきた。園の職員さんが、雨宿りをしている人のいる東屋までカサを届けにきてくれる。フレンドリーで親切な職員さんたち。聞けば第三セクターの経営という。
昼食はゲストハウスのレストランで但馬牛の牛丼などを食べる。値段は手頃である。おいしそうなおみやげ物がたくさんある。

帰りは温泉、と決めていたが、9号線沿いにたくさん温泉の看板があり、どこに入ろうか迷う。「但馬蔵」というこれまた大きな道の駅でパンフレットを比較検討し、この道の駅のすぐ裏手にある「天女の湯・とがやま温泉」というところに決める。新しい清潔な施設で、露天風呂の雰囲気もいい。透明でアッサリとした重曹含有のお湯である。湯上がりに、道の駅で買ったおせんべい(このへんはやたらにせんべい工場が多い)と家から持ってきたビールでしあわせは倍加する。

この後、運転はカミさんに代わって僕は後部座席で熟睡。激しい雨音に目を覚ますと、カミさんは凄い形相で前をにらんでハンドルを握っている。バケツをひっくり返したような豪雨で前が見えない。またもや播但道に入ったとたんに降り出したという。SAで雨宿りしてから僕がまたハンドルを握り、一路大阪へ。中国道神戸三田から宝塚まで14キロ渋滞で
のろのろ運転。その後はスムーズ。阪神高速11号線起点の池田から終点の堺まで。湾岸線を走るのもいいが、この池田・堺間を均一料金の700円で走るのはお得感があって好きだ。

うどんが食べたいというムスコを説得して、かねてからカミさんが寄りたい言っていた国道26号線沿いのKというラーメン屋に。家族連れでごった返している。「3回食べたらやみつきになる」とメニューに書かれているラーメン(基本は1種類。あとはトッピングを追加するだけ)を注文するが、味にがっかりした。豚肉と白菜を炒めておそらくその煮汁といっしょにラーメンスープにぶっかけている。その煮汁の甘みが僕は嫌いだ。ラーメンの具というのは、チャーシューとかメンマとかネギとゆで卵とか、スープの味があまりしみこまない、それぞれの味と食感をもったものであるべきだというのが、僕のラーメン哲学だ。具の煮汁をスープにするのは、中華料理で出している「湯麺」というべきで、ニッポンのいわゆる独立ジャンルたる「ラーメン」ではない。
店内は学食のような雰囲気で落ち着かない。芸能人のサイン色紙がたくさん貼り出されているから有名店なのだろうが、どこがいいのかさっぱりわからない。同じ26号線沿いのラーメンチェーン「横綱」のほうがずっと好きだ。

9月20日(木) 彼岸商戦/借金保証の判子

二日酔いだ。昨晩ウコンを飲んで寝ればよかった。

730に店に行く。今日から彼岸の墓参り客相手の商戦だ。アルバイトのYさんにも来てもらう。すでに仏花の注文がいっぱい。つくっていると、客が次々に来て「それでいいからちょうだい」と買っていく。客足を見て、こりゃ花が足りんわ、と思って問屋へ仕入れに走る。
アマゾンの注文も4冊入ってたから発送準備。

てんてこ舞いの忙しさ、おまけに朝からかんかん照りの暑さで汗だくだく。おかげで二日酔いのことを忘れることができた。

1100NPO事務所出勤。いくつか電話で人に頼み事。いい返事がもらえた。午後は会議ふたつ。

NPOの活動のつなぎ資金に1000万円、金融機関から借りる。僕を含めて事務局の人間3人が個人保証。昨年も同じく1000万円借りて保証したのだが、判子を押すときはなんか胸がどきどきする。
もし事業でしくじって国から委託金が入らなかったどうなる?なんて考えながら。

夕方店に戻り、四日ぶりにdunpoo更新。ムスコにも手伝わせてアマゾンの出品40点。
カミさんは泊まりだから、母とムスコと僕で夕食。本格なれ鮨に、きざみショウガをのせたのと、カップラーメン。あら、和歌山の定番だ。

帰宅800。僕はビールを飲みながら県立図書館で借りてきた松岡正剛『千夜千冊』(1)を読む。ムスコはミツヤサイダーを飲み、モーツアルトの25番を何度も聴きながら、市立図書館で借りた『モーツアルト読本』を読む。「ねえ、この本に、モーツアルト殺したのは妻のコンスタンツェかもしれない、って書いてあるで。それはないやろう。」とか言いながら。
僕の方が先に音を上げて、「もう寝よう」という。

9月21日(金) 安倍さん情報立ち読み/本多さんの新たな挑戦

600起床。新聞整理。
にゅうめんを食べさせて、ムスコを学校に送り出して、僕も店へ。
今日はNPO事務所の方は休んで花の店に専念。
ところが、朝から天気が怪しく、そのせいか客足はちょぼちょぼだった。
外は日中は暑かったと思うが、家の中では涼しく、扇風機だけで過ごせる一日だった。

夕食時にはカミさんも帰ってきて、お好み焼きとサラダ。発泡酒、焼酎お湯割り、赤ワイン。

食後、近所の書店へ。
安倍首相関連の週刊誌記事を立ち読みするため。
週刊朝日と週刊ポストに政治ルポライターとして売れっ子の上杉隆が書いている。首相の病気というのは正確に報道される必要がある、安倍は「うつ病」だというのだ。
週刊現代は、首相の脱税疑惑を報じているが、どうもピンとこない。父晋三郎が生前自分の政治団体に寄付した6億円を安倍がそっくり継承したことが、相続税逃れというのだが、政治団体は政治団体で安倍個人のお金じゃないだろう、という気がするのだが、どうなんだろう。それから、安倍の「隠し子」疑惑がいくつかの紙誌で報じられたこともその真偽は別にして安倍には打撃だった、とある。安倍とアッキー夫人との仲は実はずっと前から冷え切ってたんだって。安倍のマザコンぶりも原因みたい。

一通り新刊書を眺めて、松岡正剛『千夜千冊虎の巻』を買う。「読書術免許皆伝」というサブタイトルに惹かれて衝動買いしたのだが、買って少し読んでからがっかり。昨日から読み始めた『千夜千冊』のエッセンスを語っているだけで、読書法の話ではないみたいなのだ。

本屋でもらってきたPR誌に目を通す。
まず徳間書店の「本とも」。若い人が対象みたいで僕には読みたい記事がないのだが、ひとつだけ、枝元なほみという人の連載「野菜な人々」が、僕の大好きなミョウガについての回なので読んでみたら、その文章のうまさに驚いた。
「なくてもそりゃなんとかなる。ネギや七味と違って、なかったら、ないことに気づかないかもしれない。・・・・でもだからこそ、あったときの存在感は、場をさらってしまうほどの力なのだ、そう思う。」「その色っぽさはどうだ。つぼみである。つぼみなのに成熟している。幾重にも香りをたたんで閉じている、すじをとおしてしゃっきりしている。」「〈なくても困らない〉ものが〈ある〉その豊かさ、違いこそが生きていく深みじゃないか。」
ミョウガを使った料理を語るのではなくて、ミョウガそのものを語り、人生を語ってしまうこの発想、文章力はたいしたものだ。
僕はこの筆者を知らなかったのだが、すでに何冊か料理本を出しているようだ。是非読んでみたい。それから、ここに紹介されている〈みょうがうどん〉も是非試してみたい。

次に東大出版界の「UP」。こちらはすべて読みたいと思うほど僕の関心ある筆者やテーマが並んでいる。掲載されている書籍広告さえすべてが僕の気を引く。
なんと、1958年に刊行が始まったシリーズ「近代日本の思想家」が50年ぶりに完結するというのだ。最終巻は松本三之介著『吉野作造』。これはなにがなんでも買って読まなくちゃいかん。僕は吉野作造を日本の学者の中では最も尊敬している。そして松本三之介は僕の大学時代のゼミの先生だ。

南部川町に住む本多立太郎さんから個人誌「わんぱく通信」が届く。
93歳で日本全国、戦争出前噺で飛び回る本多さん、なんと、憲法9条を世界に広めるために、世界中の街角で市民に、また政府や国際機関の要人に日本国憲法の各国語訳を配って回ることを決意したという。「普通の国」にするって言って軍備を持ちたがるやつが日本にいるなら、世界の国が軍備を捨てる、それが「普通」になるようにしなきゃいかん、という発想。
「近く国連と連絡をとり、出かける。来年三月を目標にしている。ま、あと二、三年は体も丈夫と思うから出かける。」「旅の途中で果てることになるのは覚悟の上、骨は大海原に撒いてゆこう。」
すごいおじいさんだあ!たぶん、ほんとに始めるはず。ぼくらもおちおちとしてられんぞお。

保険会社に出していた昨年の交通事故による受傷にかかる「後遺障害認定申請」の結果が文書で届く。「自覚症状を裏付ける医学的所見に乏しく」「当該部位の器質的損傷等は認められない」ため「後遺障害には該当しない」だって。
まあ、結果は予想通りだから文句を言うつもりはない。僕自身は文字通りの後遺障害だと思っているから、医師に診断をお願いして、その判断を保険会社に預けたわけだ。これから保険会社と慰謝料の協議に入るだろうから、ぼくとしてはこの診断書をもって要求の裏付けとしたい。  

9月22日(土) ばかばかしい総裁選レース/レコード聴きたい

100就寝630起床。730に店に出勤。母はもうお店の花の水替えをすべて終えていた。

今日も客はぼちぼち。アルバイトのYさんには悪いが昼までで上がってもらう。一昨年くらいまでは彼岸の中日前3日間は、客が押すな押なの盛況で、店のもの三人がてんてこ舞いだったのに、今年はそんな状況になったのは21日の午前中だけ。あとは静かなもんだ。毎年確実に客が減っていく。花屋が少なくなったにもかかわらずだ。

昔の新聞の切り抜きを整理するついでに、同じ時期の日記に手を加え、dunpooにアップしていくことにする。今日は2004年5月の日記をアップ。

毎日、法律の教科書50ページをノルマに今日からまたがんばろう。今日は店で民法物権法を
50ページ、家で債権法を30ページ読む。
大学時代の教科書、鈴木禄弥の本だ。大学時代と、卒業してからホンの短期間司法試験の勉強をしていたときに読んで以来、三度目だ。まるで初めて読むみたいに新鮮!いっぱい線を引いてあるが、わかっていて引いたとは思えない。

連日ばかばかしい福田と麻生の総裁選レースのニュース。こんな喜劇を見ている間に、国民は役者に親しみを覚え、もう一度こんな役者にでも国政を預けてもいいかという気分になってくるんだろう。

安倍晋三が病院で自殺を図ったという風説も流れている。安倍が、ホンの少数の人以外面会を受け付けないというのは本当らしい。議員総会にも、総辞職の閣議にも出られないという。本当なら毎日でも政府は総理の病状を説明する責任があるだろうに、それは全くない。こんな人が、10日間も、臨時代理も置かず日本の総理大臣であり続けられるとは、政治の弛緩状況を語る以外のなにものでもない。

今日はムスコは家に女の子の友達を集めて、モーツアルトを聴かせていたという。そして、今、僕の隣で交響曲25番のさわりをピアノで聴かせてくれている。鉄道中心で回っていた彼の毎日、音楽中心に変わってきたみたい。

家にあるモーツアルトのCDは10枚くらいだが、レコードならもっと僕は持っている。だがレコードプレーヤーを数年前に捨てちゃったから聴くことができない。買おうかな、ってつぶやいたら、カミさんが、「置くとこないで」とぴしゃり。で、まだよう買わんでいる。ムスコはたぶんレコードがターンテーブルを回っているの見たことないだろう。熱狂するだろうな。僕もあのレコードの柔らかい音が懐かしい。中古なら1万円くらいであるんだけどな。

夕食は家で。ししゃも、豚肉・キャベツ・ニラ炒め、ズッキーニの漬け物、発泡酒、日本酒、ワイン。

9月23日(日) 福田総裁/ムスコとカミさんの関心事は?

遅くまで過去の日記の手入れで200就寝。700起床。すぐに店へ。

彼岸の中日。午前中は客が少なかったが、正午頃からどんどん来るようになり、結局去年と同じくらいの売上になった。花が高いから客単価も高くなった。用意していた色花が夕方にはすべて売り切れ、菊ばっかりになってしまった。客入が期待できるのは明日までだが、明朝すこし仕入れに行かなければなるまい。

来る客来る客「いつまでも暑いの」が挨拶。

自民党総裁選、福田が予想通り制する。しかし麻生との差は予想ほど開かなかった。テレビでは、「派閥の縛りが弱くなった証拠」と言ってた。
僕としては、麻生の教養を感じさせない饒舌が癇に障るので、福田に決まってほっとしてる。でも記者会見聞いてると、福田は言語を選んで語っているように聞こえながら、本当は内容のあることはひとつも言ってないことがわかる。

店番しながら、FM放送でマーラーの「復活」を久しぶりに聞く。ムスコのおかげで僕もクラシックづいてきた。

夕食は、母のために姪がつくってきてくれたおかずを僕もお相伴させてもらう。
ロールキャベツ、小芋・人参・ゴボウの煮物、ちらし寿司。

カミさんとムスコは、大阪の実家に墓参りのため帰る。
僕は心おきなく一人の夜を過ごせるから、まずはブックオフへ。100円本ばかり40冊買う。
いつもは、そのまま店に持って行って、アマゾンに出品しちゃうのだが、これからは極力読んでから出品しようと、家の居間の本棚にどんと並べる。ついでに、家族それぞれが図書館で借りた本も並べて、忘れず目を通すようにしよう。また、それぞれ関心あることを共有化しようと思う。

ムスコが現在市立図書館から借りている本-----「斎藤孝の天才伝 モーツアルト」、髙橋英郎「モーツアルト366日」、「鉄道全線三十年」「阪急沿線お出かけガイド」「熟年京都ゆとりの旅」(笑)。
カミさんが借りてる本-----「斎藤孝の天才伝 夏目漱石」、斎藤孝「人生練習帳」、同「使える!ギリシア神話」、「1万円からはじめる投資の本」「お金の現実」(笑と汗)

帰ってからまずノルマを果たすために、法律の勉強。物権法40ページ、債権法10ページ。発泡酒と焼酎のロックと乾きもののおつまみつき。

9月24日(月) トイレで憲法

200就寝700起床。曇り。
天気予報で雨は降らないということだったので、花の仕入れに。
でも客足は鈍く、結局たくさん花が残ってしまった。明日から2,3日閉める予定だったがこれでは閉められない。

民法の教科書、眠くて眠くて、今日は15ページで挫折。そのかわり、憲法の問題集をやる。これだと眠くならないから不思議。

僕は家のトイレに日本国憲法全文を貼りだしてあり、毎日気の向いた条文を読んでいる。それなのに、問題をやると、知らなかったことがいっぱいあることがわかる。
「国会議員の議席を失わせるには、総議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする」、○か×か? 僕は○と思ったんだけど、正解は×。「総議員の」じゃなくて「出席議員の」なんだって。帰ってトイレで確かめてみたら、やはり条文はそうなっていた。読んでるようで読んでないんだなあ。

カミさんとムスコは夕方帰ってきてその足で、ムスコの同級生Sちゃん母娘と行きつけの居酒屋「梅屋」で食事。僕は自分で焼きめしつくろうと思って帰って来たのに、家にご飯がないことがわかり、ストックしていたカップの焼きそばUFOを食べ、ワインを飲む。ソース焼きそばに赤ワインは合わないことがわかった。

9月25日(火) マクロビ・レストラン

いつも花を買ってくれる近所のおばあさんはどうも僕と僕の息子がお気に入りである。今朝は「ススキないか」と来てくれたが、あいにく今年は仕入れられなかった。「ごめんよ」と言って返ってもらったら、すぐにまたやって来て、「お昼にこれ食べて」ってお弁当をふたつ差し入れてくれる。久しぶりに僕を店でみかけて、うれしかったのかなあ。それにしても品物なしで返したのに逆にものもらっちゃって、悪いなあ・・・・・。

連休あけで四日ぶりの事務所だ。たまってるメール見るだけでもたいへん。

NPOの同僚の女性らと事務所近くにできいたマクロビオティックの店(といっても自宅のふつうの座敷で供している)「琉春庵」で夕食。奥さんが東京で修行してきて、料理教室も自宅でやっている。旦那さんがサービスをして、能書きを言ってくれる。メインは大豆のハンバーグに大豆の鶏唐揚げ風。おいしくて腹いっぱいになった。酒は小麦でできたドイツビールと、吟醸とは逆に精米率を低くした古来のものに近い日本酒「香取」。
しかし、きのうは日清UFOで今日はマクロビとはたいした落差だ。

お店(お宅)を出ると、ひんやりとした秋の風と中秋の名月。

9月26日(水) がんばらない

1100就寝630起床。夜中に目を覚ましてからあまり眠れなかった。半覚半睡の状態でこれからの身の振り方を考え、いままで出なかったアイデアが出る。起きてから考えても熟考、カミさんと相談するに値するアイデアだ。

自転車で店に行く。日差しは強いが、それを浴びてもからりとして心地よい。

NPOの仕事で懸案事項がひとつ片づいた。とても心配していたが、なんとか軌道にのった。ホッとするいとまなく、新しいプロジェクトにかかる。

アマゾンの注文3冊あったが、そのうちの1冊は、僕がアメリカの大学院で使った地域政治の副読本で、ひじょうに苦労して読んだ、でもおもしろかった本だ。翻訳は出ていないが、出す価値のあるもので、僕が翻訳して出版できるものなら翻訳するところだが、そういうあてもない。書き込みがあるために僕としては安値で出品した。でも売れて手放さなきゃならないとなると、非常に惜しい。出品したことを後悔する。

「来月は税金と保険の支払いものすごいあんねん・・・いくらぐらい入る?」と車の中でカミさん。「○○万くらい」と僕小さな声で。ふー、というため息聞こえる。

家族ぐるみでつきあいのある某大手企業のエライさん、精神的な病で会社を休んでいるという。お家を買ったばっかりだ。
カミさん同士が電話でしゃべったあと-----。
「こないだも、某中堅企業の社長に聞いたけど、社長さん仲間で鬱病になる人が増えて、お互い支え合うてる、ていうてたで。総理大臣まで鬱病で辞めたし。たいへんやな、みんなストレスで。」と僕。
カミさん「『おたくのだんなどうしてる?』って聞かれて、『うん、幸せそうやで』って言うた。あんたなんでいつでも幸せそうやのん?」
僕「がんばらんからやろう」

隣の部屋でムスコがモーツアルト流しながらなにやら一心不乱にやっている。
「彼、何やってんの?」
カミさん「時刻表見て東京電車旅行の予定表つくってるみたい」
11月に知り合いの東京での結婚式に夫婦でお呼ばれしている。ムスコにはおばあちゃんの家に残るように言ったのだが、涙を流して連れてってと懇願するので連れて行くことにした。
「幸せそうやな」「ほんまに幸せそうや、父子そろって」
のぞきに行くと、小さな背中に楽しさと期待があふれている。その背中の写真を撮ってやった。

夕食は、豆腐のハンバーグとサツマイモの素揚げと野菜サラダ。発泡酒とワインと焼酎。
「我が家もマクロビみたいなもんや」とカミさん。

9月27日(木) 下校見守り/理想の衰勢

昨夜法律の教科書読んでたら1030にダウン。530起床。ボーとした頭にも入りようにやさしい本で法律の勉強する。

和歌山大学へN教授を訪ね仕事の打ち合わせ。僕より若いけど、頭いい上に、人間出来てるなあ、と感心。

午前中かかってつくった書類、封入して切手貼って、事務所を持って出たところまでは覚えているが、投函した記憶が全くない。でもいま手元にはない。・・・・物忘れもいよいよ病的なレベルにきたかな。

少し早くうちに帰るとマンションの玄関の前でカミさんとムスコが立っている。不審者がよく出るので、下校時間の見守りをできる人はお願いしますという通知が学校から来ているのだという。
野球帽被ってTシャツ・ジーンズ姿のおっさんが見守りに立って子どもに声などかけようものなら、かえって通報されそうだから、僕はやめとこうかな。

加藤典洋「文芸時評」[朝日]は、小田実、大江健三郎、井上ひさしの最近の作品を論じて、
「(戦後民主主義の)理想はいま、上げ潮の明るい輝きから遠い。だが理想は、人生の下り坂にあって、疲弊し、悲哀の色を滲ませ、声低く語られてこそ、物陰に届く。」

カミさんは夜の飛行機に乗って福岡出張に。
カミさんを送ってから、僕とムスコは「メッサオークワ」で本を見て弁当を買って、それからブックオフに寄って帰る。
ムスコは、渋い和風のおかず弁当、僕は中華丼。発泡酒、日本酒、ワイン。

ミャンマー情勢緊迫。僧侶が先頭に立ってのデモを当局が弾圧、死者多数。民衆にとっての長い長い冬は明けるのか。

ミャンマー情勢のNHKニュース見てたら、先月まで和歌山放送局にいた知り合いの記者Nさんが電話取材している様子が映ってる。本局の国際部に移ったって言ってたな。「のんびりした和歌山がいい!」って言ってたNさんだが、たいへんだな。

ブックオフでは、モーツアルトの交響曲のCD探したが、廉価版のCDに700円とは高いと思いやめた。児童書のコーナーにベートーベンの伝記があったが、1000円の値札がついてるのでやめた(ほんまは100円ちゃうの?)僕の「高いわ」の一言で納得するムスコもえらい。
今日買った100円本。
カブールの本屋、自分と自分以外、メディアセックス、戦場の未来(以上単行本)
14歳の子を持つ親たちへ、若者と現代宗教、「アメリカ陰謀論」の嘘、「食」器公害、古典を読む・里見八犬伝(以上新書)
神々の乱心(下)、イスラーム生誕、現代日本の感覚と思想、現代倫理学入門(以上文庫本)

9月28日(金) 「馬鹿、馬鹿」/風邪ひいた/相撲協会

1100就寝530起床。

NPOの事務所では、三人が出張、一人が昼から休暇で、僕一人でお留守番。電話がしょっちゅ鳴って仕事になんない。いつも電話をとってくれるKさん、Nさんに改めて感謝。

昨日の封筒は、結局僕が投函してたみたいで、昼頃、先方から電話があった。「着いたけど、書類間違ってますよ」と。前後して、県庁からも、書類間違ってるので出し直してという電話。もともと物忘れとうっかりは人並み以上だと思うし最近は若年痴呆の症状も出ているので書類は僕としては気をつけてチェックしているつもりなのだが、このていたらくである。一人の事務所で、「馬鹿、馬鹿」とつぶやいて自分を責める。

昨日からずいぶんくしゃみと鼻水が出ると思ったら今日はもっとひどい。昼頃から悪寒がし、夕方から頭がくらくらしてきた。カイゲン感冒カプセル飲む。

でもカミさんは福岡出張から深夜帰宅の予定で駅に迎えに行かなければいけないので、「遊んでえ」というムスコとなんやらいろいろなことをしながらがまんして起きている。

夕食は、「王将」の持ち帰りで、ムスコはいつもの天津飯、僕は焼きそば、餃子、麻婆豆腐。風邪ひいてるわりに食欲あるじゃん。

大相撲時津風部屋の若手力士の死亡がリンチによるものではないかと問題になっている。当初は「捜査の推移を見守る」と相撲協会は独自の調査をしない方針だったが、監督庁の文科省は、協会に調査を命じた。協会制度、部屋制度そのものが曲がり角に来ているような印象だ。

法律の勉強は30分。

9月29日(土) 死んでた一日

昨夜12時すこし前に返ってきたカミさんは、気分悪いと言ってすぐ寝たが、夜中にもどしてすごくつらそう。食あたりみたい。僕も寝てても頭ズキズキ。
今朝は家族で930まで寝る。

ムスコの運動会のお弁当材料を買いにメッサへ。七曲市場にも寄って、おやつ用にムスコの好物の鶏軟骨を買う。

カミさんはずっと寝てる。僕も1時間ばかり昼寝。でもムスコが音楽を大きな音でかけるので眠れない。
「ねー、もう起きてー。遊ぼーよー」とムスコが起こすので、起きて、さきほど買ってきた『路線バスでゆっくり巡る 京都すてきな旅』という本を読んであげる。

ムスコが放免してくれたあと、法律の勉強をするが、頭がぼーっとしてすぐ居眠りになる。

夕食は、ソーメン。

9月30日(日) 小沢の安全保障論/本の読み方/沖縄こそが希望だ

10時就寝730起床。ぐっすり眠れた。寝過ぎで腰が痛いくらいだがまだ眠い。鼻水と悪寒は止まった。

カミさんと二人で弁当をつくる。今日は豪華版だ。きっと僕が買い物をしたからだ。牛肉、エビ、ホタテ、シシトウの焼き物、卵焼き、鶏からあげ、軟骨、ほうれん草おひたし、ウズラの卵入りかまぼこ、キュウリのサラダと、おにぎりだ。

9時から運動会。始まると同時に雨が降ってきて、1種目やったところで中断し、体育館で雨宿り、そして中止が決まる。明日に順延。

家でお弁当を食べ、ムスコとうだうだ過ごす。僕の方はひまがあったら本を読みたいのだが、ムスコはそうさせてくれない。いっしょに何かをしたがるのだが、ムスコは体を動かすのが嫌い、僕はゲームなど頭を使うのが嫌いで、何して遊んでいいかわからない。
びりびりに破いていい本はないかとムスコが聞くので、古い図書目録をあげると、熱狂して破りまくり、部屋中に紙吹雪をばらまいた。ストレスたまってんのかなあ?

民主党の機関紙「プレス民主」は月2回刊であるが、数年前から我が家には無料で郵送されてきている。参院選に勝って紙面もなにがしか意気が上がっているように思う。
9月21日号に、参院民主党の研修会で小沢党首が行った安保政策についての講演要旨が出ている。タイトルは、「戦争放棄の理念 国連憲章、憲法、安保は同じ」という。
国連憲章は、個別と集団の自衛権を認め、攻撃されたときのみ武力反撃を認めており、戦争一般は禁じている。それが日本国憲法9条の理念と一致し、また日米安保条約の理念とも一致するというのだ。
小沢の憲法からは、9条2項はすでに削除されているみたいだ。国連憲章と日米安保が上で、日本はそれにそった「普通の国」になればいいということだ。集団的自衛権が行使できるなどいうのは当然のことだ。小沢は、自民党の幹事長として湾岸戦争時に自衛隊を多国籍軍の後方支援で派遣するように動いた(党内でも反対にあってつぶされた)が、このことをこの講演でも正当化し、国連のお墨付きさえあれば、海外で武力の行使までできるんだ、ということを示唆している。
このような講演(研修!)を、民主党の参院議員たちが黙って聞いて反論もしなかったとしたら、もはや民主党には護憲派というものはいないと断ずるしかない。

もっともっと本を読みたい。古典も、新しい本も、手当たり次第に読みたい。でも時間がない。難しい本には頭がついていかないで、時間ばかりかかる。どうにか読んでもすぐに忘れて、血肉になっている気がしない。どうすればいいだろう。
速読法は何度か試みたが、あきらめた、というよりムダだ、と思った。速読法で頭に入るような本は、読まんでもいいような本だ。情報をとるだけの本だ。
いろいろな読書法本で勧めているのは、1ページ目から順に最後まで1冊全部目を通そうとしない、ということだ。ところが僕は、読書に関してはわりと完璧主義的なところがあって、飛ばして読むと読んだ気がしない。でもその完璧主義はもう捨てようと思う。

本によっては、導入部が回りくどくて退屈なことがある。まとまった時間があるならがまんしてページにそってゆっくりと本の世界に入っていくのがいいのだろうが、細切れ時間で読まざるをえない人間には、そうやって頭にはいらないところを何度も目で追っているうちに読書タイムは中断となる。次にまたページを開くときは、相当な努力をしないと本の世界に入っていけない。そして次第にその本から遠ざかって、途中で放り出したことになってしまう。そんなことの繰り返しをもう避けたい。

そこで、目次を頼りに、一番関心のある章にあたりをつけて、そこに一気に没入するのだ。本全体を把握しなくてもいい、痛切に感じられる一言半句にでも巡り会えれば、それは読んだ価値があるということだ、と割り切るのだ。そしてその一言半句を書き写して、反芻する・・・・。こういう読書法をいまから試してみよう思う。

小説でもそれは可能であるように思う。というのは、僕はこれまでに、何度か、新聞小説に夢中になったことがある。それは、最初から読み出したのではなくて、途中で何気なく読み出してはまってしまったのだ。もちろん登場人物も背景もわからないことがあるが、それは想像しながら読んでもけっこう楽しめるものだ。

というわけで、いま、僕の目の前の書棚に、遠藤周作の代表的小説『沈黙』がある。数年前にはじめの数ページだけ読んで放り出していたやつだ。こいつにいま述べたようなやり方で取り組んでみようと思う。

この小説には目次がない。章割りはあるが番号が付されているだけで表題はない。そこで、いきなり最後の章を読み始めた。

主人公のロドリゴはもう、弾圧に屈して棄教を誓い、獄舎にいる。そこにロドリゴを棄教に追い込んだ奉行がやってきて、なぜロドリゴが転んだか、そして日本にいったんは根付いたと思えたキリスト教とは何だったのか、ということについての会話が交わされる。それから、ロドリゴを奉行に売ったキチジローがやってきて、告解を聴いてくれとロドリゴに懇願する。ロドリゴは、彼に秘蹟を与える・・・・これでストーリーは終了である。そのあと、日本人名と日本人の家族を押しつけられて江戸に送られ幽閉されて生涯を閉じたロドリゴの様子が、「切支丹屋敷役人日記」という古文書を引用する形で紹介され、小説は締められている。引用部分は速読法の要領で走り読みをした。

以上を読んだだけで、小説としての大筋はわかった。著者の主題とするところもわかった。
そして、なにより大事なことだが、その主題について興味がわいた。遠藤がこの小説で問おうとした主題、「日本人にとって神とは何か」ということについて、この小説のほかのところではどういう会話や考察がなされているのか、知りたいという欲求がわき起こったのである。

そこで、僕はページをさかのぼって、ロドリゴが「転ぶ」ところ(本の後ろ3分の1くらいのところだ)を探し当て、そこをじっくり読むことにした。そこには、基本的に最後の章で展開される会話と同じようなことが述べられていた。僕の主題のとらえ方は間違っていないことが確認できた。この部分を読んだことによる収穫は、「沈黙」という題名の意味がわかったということ(それは残虐な弾圧に対する神の沈黙を指している)、そしてロドリゴの棄教に至る直接的な理由(拷問の恐怖よりも信徒たちを拷問にさらす罪悪感、と先輩宣教師の教唆)がわかったことだ。

以上でだいたい所要時間は30分であった。十分わかったとはいえないし、小説の世界にどっぷりとひたって読了したときのあの充実感と異世界にいるようなめまい(時差)を感じることはないが、これはこれで、読まなかったよりはよかったといえるのではないだろうか。次に時間ができたときに、物語の世界にはより容易にはいることができると思うのだ。

さて、この方法を次は、難しい哲学の本にでも試してみようと思う。

沖縄が凄い!「集団自決」に関する記述を教科書検定でつぶした文科省に対する抗議集会、超党派でやって11万人の結集だ。一か所に11万人!見てみたい。
高校生が、「政府は、わたしたちのおじいおばあが、嘘をついている、とでも言うのでしょうか?」と問いかける。きったその場がわあっと、盛り上がっただろうな。感激で泣いている若者がいる。テレビを見ながら僕も泣きそうになった。
さすがに、数は力だ。官房長官や文科相まで、即座に検定の見直しをにおわせだした。
沖縄こそが日本の希望だ。ここだけが、疲れていない。右向け右の監獄のような日本と違う、って感じがする。
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