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◎歴史の本棚06

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◎書評・超われわれ史 ラインナップ

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ビッグ・ピクチャー--ハリウッドを動かす金と権力の新論理●=エドワード・J・エプスタイン著

 (早川書房・2835円)

 ◇日本の技術が変えた米映画界の基盤

 アメリカの主要映画製作会社の二〇〇三年の収入は、全世界で四〇〇億ドル強(約四兆八千億円)であり、そのうち映画館での入場料収入は、なんと一八%ほどに過ぎなかったという。もちろん一昔前、著者が視点を当てている一九四八年は収入のすべてが入場料であった。

 何がこのような激変をもたらしたのか。

 この本は、入手が難しい経営数値--売上高、コスト、収益等を用い、たんねんな調査の上に書かれたアメリカ映画産業の歩みの記録でもある。

 一九四七年はアメリカ映画産業の旧き良き時代である。この年をとりあげたのは正しい。映画産業史によると一九三〇年から四八年までは安定と繁栄の時代であり、四八年以降は変動と混乱とテレビとの競争の時期だからである。

 経済史の本はこの時点で、五大映画企業の市場支配を論じている。だがこの本は、これに一社を加える。当時の例外的な一社--それはディズニーであり、それが映画界の未来を示している点で卓見である。

 一九四七年まで五大会社は、アメリカでの映画製作、配給、興行を支配していた。これらの会社は有名俳優と専属契約を結んで囲いこみ、主要都市で主要な映画館を所有し、配給網を整備し、垂直的独占ともいえる組織を作っていた。だがディズニーはこうした組織を作っていない独立業者であり、自社支配の劇場を持たず、専属契約の俳優はいなかった。五大会社の入場料依存とちがって、ミッキーマウス、白雪姫等映画に登場した主人公たちからのパテント代、子供を対象にしたキャラクターグッズの売行きで会社を支えた。入場料以外の収入源に依存するという点でディズニーは新しい時代のパイオニアだったのである。

 一九四七年を境に、映画館に行く人はテレビその他にくわれて減少の一途をたどった。この本によれば、一九四七年、アメリカ中で四七億枚売れた入場券は二〇〇三年には十五憶七千万枚である。人口はほぼ倍になったのに入場者は三分の一に落ちたのである。

 映画界の苦境を救ったのは日本のハイテク技術だ、と著者はいう。まずソニー、これに東芝と松下が加わり、ビデオ、ついでDVDの登場である。

 はじめ映画大手はテレビを敵視し、ビデオも排除しようとした。ソニーとの訴訟である。ソニーは頑張りこれに勝つ。ソニーの当事者盛田には一節がさかれている。

 二〇〇三年のアメリカ映画会社の収益の四六%がビデオとDVDからのものであり、テレビからのものが三六%、かつて敵視したもので支えられている。アメリカ全土いや全世界のレンタル・ビデオショップが、映画のビデオを複数買うようになり、売上予想が安定しだしたのである。テレビのチャンネル数の増加が旧い映画の上映をふやしだした。経営基盤の変化がよくわかる。アメリカの最大の輸出品は今やハリウッドが作りだすコンテンツであり、それが世界を支配する文化グローバリゼーションを押し進めている。

 日本のハイテク技術はハリウッドで映画の製作方法も配給組織も変えてゆく。

 人の動きを電子技術でコンピューター上に移し、これに顔を合成し、コンピューター内で映画を作っていく。子供向のファンタジー映画製作のこの手法は、法外な出演料となったスターを使わず、映画を作りだす。

 デジタル化された映画は各地の映画館に電送され、フィルム配給網を不要なものとしだした。大きなコスト削減である。ひとつの建物の中にいくつもの小規模の上映館を置くというシステムもこうして生れた。デジタル技術の立役者ソニーはコロンビアとMGMを買収し、東芝はワーナーの大株主となり、松下はユニバーサルに触手を伸ばしたことを、著者は強調する。

 この本の面白さは、経済的視点だけでなく、社会、文化の視点も含め、アメリカ映画界のインサイド・ヒストリーを展開している点である。例えば、パラマウント社の基礎を築いたズーカーは、十六歳でハンガリーを離れたユダヤ系移民で、エジソンの系列会社ほかが持つ特許と、コダックフィルムの結合による支配から逃れ、特許侵害を免かれるためハリウッドに移ったという。ハリウッドの他の会社の創設者も似たりよったりの経歴でユダヤ系である。対する特許独占の所有者たちはアングロサクソン。五大会社と異質の経営を行ったディズニーはアングロサクソンである。

 注意すべきは一九九九年から二〇〇四年まで十億ドル以上をかせいだ十本の映画は、すべてスターを使わず、児童向のアニメ手法で--広い意味でディズニー系であるという。

 盛りこぼれるばかりの内容。それでいて、入場料では成りたたない映画界でミニ・シアター向の芸術映画はどうなるのかを考えざるをえない。(塩谷紘・訳)


兵学と朱子学・蘭学・国学●前田勉

出版社:平凡社
発行:2006年3月
ISBN:4582842259
価格:¥2940 (本体¥2800+税)
 中国古典の『孫子』で知られる兵学の思想については、根強い人気がある。いまでも「孫子の兵法に学ぶ」と掲げるビジネス書の類は多く、本場では中心思想であった儒学よりも、なじみがあるかもしれない。

 この本によれば、日本人の兵学好きには、深い歴史上の由来がある。武士たちの軍隊編成を、そのまま平時の支配組織に用いる、独特の体制が徳川時代には続いたために、「支配の理論と方法」として兵学が重んじられたのである。

 この点を主軸において、著者は近世思想史の全体を通観する。科挙が行われない日本では、朱子学は現実の政策論議から遊離したまま「道理」を論じる性格を強めた。だがそのことが朱子学の理想主義に純粋さをもたらし、徳川末期には西洋の国家平等観のいち早い受容も可能にする。

 理想の追求が現実主義となかなか交わらない、おなじみの傾向も、歴史の浅いものでは決してない。(平凡社、2800円)

評者・苅部 直(東京大学助教授)

(2006年5月1日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060501bk08.htm

ウィルソン外交と日本●高原秀介

出版社:創文社(千代田区)
発行:2006年2月
ISBN:4423710676
価格:¥8400 (本体¥8000+税)
 ウィルソン外交の評価は難しい。普遍主義的理念の強調は、各国に戸惑いを与え国際関係に混乱をもたらした。理念はしばしば利己的国益の隠れ蓑(みの)とされ、その偽善性が批判された。著者はウィルソンの掲げた理念が単なる利益の正当化ではなく、普遍性に根ざす力を持っていたことを評価した上で、それが対日外交の場に移されたときの現実との交錯を丁寧に描き出している。特に、米政府内の大統領を取り巻く外交担当者たちに関する分析が優れている。

 米国の理念に基づく新しい外交は必ずしもストレートには展開されなかった。それゆえ、旧い外交に慣れきった日本の誤解を招くことが少なくなかった。一方ウィルソンは、彼の理念に反する対華二十一箇条(かじょう)要求によって対日不信を強めたために、シベリア出兵をめぐって米国の意向にこたえ対米協調を図ろうとした原敬の努力の真剣さに気づかなかったという。何ともやりきれない思いがする。(創文社、8000円)

評者・戸部 良一(防衛大学校教授)

(2006年4月17日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060417bk08.htm

裏社会の日本史●フィリップ・ポンス

[掲載]2006年04月30日
[評者]斎藤美奈子

 もちろん書き手によるけれど、海外の読者に向けて日本を紹介した本は国内の読者にも有効な場合が少なくない。あうんの呼吸でわかったような気になっている(でも本当はまるでわかっていない)事象が一から解きほぐされることで、霧が晴れるような気分がまま味わえるのだ。

 本書でいう裏社会とは、排除されることで漂泊の民となり、社会の周縁に押しやられた人々のこと。第一部で語られるのは中世の賎民(せんみん)に起源を持つ被差別民、明治以降の下層労働者、横山源之助が『日本之下層社会』で描いたような貧困層、そして著者が「どんづまりの街」と呼ぶ現代の山谷や釜ケ崎の住民までを含む「日陰の人々」である。

 一方、第二部の主役は「やくざ」である。これには博徒とテキヤの二系列があると著者はいう。江戸の侠客(きょうかく)。明治の義賊。極右思想と結びつき軍との協力関係さえ築いた戦前の「愛国的やくざ」。そして、戦後の政界や財界との結びつきを強めた「黒幕」や三大暴力団の「親分」。

 貧窮者とやくざが一冊の中に同居する。そこがこの本のキモというべきだろう。〈社会は「良き」貧者と「悪(あ)しき」貧者、また「おとなしい」放浪者と「手ごわい」放浪者との区別には無関心だった〉と著者は書く。

 〈表面上は国家への異議を唱えているようでいて、結局は並列的かつ補完的な国家のコマ割だった〉と断罪されるやくざと、〈最後の偉大な拒絶のヒーロー〉かもしれない物言わぬ貧窮の民。

 最終的に下される判断は逆だけれども、そこには確かに連続性が認められるのだ。17世紀から20世紀末までを俯瞰(ふかん)した論証は緻密(ちみつ)で、「へぇへぇへぇ」の連続。

 著者のフィリップ・ポンス氏は、04年4月のイラク邦人人質事件の際、人質になった3人の若者を力強く弁護する論評を「ルモンド」紙に載せ日本の世論に鋭い一撃を加えた、あの東京支局長である。とかく「同質性」が強調される日本社会の多様性を浮き彫りにし、〈日本列島は不服従の者たちの住処(すみか)でもある〉ことを示した快著である。
出版社: 筑摩書房
ISBN: 4480857826
価格: ¥ 4,515
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605020230.html

世俗の形成―キリスト教、イスラム、近代●タラル・アサド

[掲載]2006年04月23日
[評者]酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)

 慎重な本、というのが、第一印象である。単純化、平易化によって生じる誤解を避け、丁寧に論を進める、著者の真摯(しんし)な姿勢がうかがえる。

 それは、サウジアラビア生まれのムスリムで米国在住の学者、という著者の出自と無関係ではない。9・11以降蔓延(まんえん)するイスラムや宗教一般を巡る議論が、いかに短絡的に過ぎることか。序章での「西洋・非西洋を問わず、……無差別な残虐行為を正当化するために聖典の権威に訴える必要があったことはない」との謂(い)いは、けだし名言である。

 だが本書は、ムスリム社会の代弁ではない。近代一般に関(かか)わる哲学的課題であり、普遍とみなされる近代・世俗概念への批判的考察である。

 本書の核には、「なぜ『近代』が政治的目標として支配的なものとなったか」という疑問がある。そしてヨーロッパ近代の中心的概念とみなされる「世俗」を取り上げ、それが宗教と固定的に切り離されるものではないこと、聖性と相互関連しあうことを指摘する。著者の前作「宗教の系譜」と対になる議論である。

 ここでの鍵概念は、「権力」と「近代国民国家」だ。「イスラム主義が国家権力に傾倒しているのは……正当的な社会的アイデンティティーと活動の場を形成せよと、近代国民国家に強要されているから」だ、との指摘は興味深い。「近代国民国家は、個人の生のあらゆる側面を……規制しようとしている」がゆえに、彼らも「世俗的世界における国家権力に無関心なままではいられない」。イスラム主義もまた、近代の中にある。

 だが、近代ヨーロッパのアイデンティティー形成の中で、イスラムは鏡像的位置に置かれてきた。最も近い他者であるがゆえに、常に否定と矮小(わいしょう)化の対象となる。

 ヨーロッパがイスラムを疑似文明視、脱本質化し、ヨーロッパ内のムスリムを同化させてきた、その背景に、著者は近代国家の多数派/少数派概念の問題性を見る。多数の中の少数としてではなく、世俗ヨーロッパにおける「さまざまな少数者と並ぶひとつの少数者」としての共存可能性への問いは、示唆に富む。

    ◇

中村圭志訳/Talal Asad 33年生まれ。ニューヨーク市立大学大学院教授。
出版社: みすず書房
ISBN: 4622071908
価格: ¥ 6,510
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200604250276.html

歴史のなかの天皇●吉田孝 [毎日]

 (岩波新書・819円)
五味文彦・評 
 ◇原始から現代まで、特質と時代性を探る

 皇位継承をめぐって、さまざまな議論があるなかで、きちんと歴史に即して天皇のあり方を探る、ないしは天皇を通じて歴史の流れを探ってみる。こうした試みは意外に少ない。天皇に関する問題をテーマ別に考えたり、また時代に限定して考えたりしても、通史として一貫して捉えることは多くないのである。

 そうしたなかで日本古代の天皇のあり方を究明してきた著者が、原始王権の時代から現代の天皇制に至るまで、天皇に関わる諸問題を考察したのが本書である。

 その視点は二つ。一つは、中国の周辺の東アジアに生まれた天皇と日本国家がどのような特質を帯びていたのかを探るというもので、これは古代史研究者としての著者の専門領域に属するもの。

 もう一つは、同じような形で成立した日本の王権がその後にどのような形で成長してきたのか、東アジアの諸国との比較を通じ、果たして時代を通じて一貫した性格を有していたのかを探るというもので、これに向けて著者は果敢にチャレンジする。

 そこではほぼ四つの段階を考えているように見受けられる。最初の段階は卑弥呼や倭の五王の時代であって、この原始王権のあり方を、文化人類学の成果などを利用しながら明快に指摘する。神聖王権とも、また複式王権とも捉えて、その動きを活写している。

 次の段階は統一王権の時代で、東アジア世界との文明接触のなかで天皇号が成立し、律令制が導入されるなどして、古代国家が整えられてゆき、その後の規範となる古典的な国制や文化が成立してくる時代である。

 たとえば天皇号はなぜ成立したのかという問題では、隋に派遣された小野妹子の外交交渉から興味深く指摘する。当初の国書には「日出(い)づる処(ところ)の天子」とあったため隋の皇帝に否認されると、次に「東の天皇」と国書に記したのであるが、妹子はこれを中国に提出しなかったのではないか、と著者は推測する。

 この点を始めとする叙述は、著者の専門領域だけに説得力のある議論が展開されている。なかでも女帝の問題を論じたところは、今日の議論に参考になることが多い。同じ時期には東アジアに女帝が存在することに注目し、日本の女帝の性格に迫る。

 それは親族組織のあり方と深く関わっていることや、唐の律令にはない太政天皇や女帝の規定が日本の律令に設けられていることの意味など、まことに示唆に富む指摘である。

 第三の段階は、古典的な国制や文化に基づいて、ウヂからイエへという社会組織の単位が展開するなかでの二重王権の段階として捉えられる。武家という性格の異なる王権が併存して、その武家が天皇を守護する体制は近世まで続くとみる。

 複式王権の説明と関わる形での把握と考えられるが、この付近は多少の異論も出てこよう。王権は天皇の朝廷にのみあるという見解も有力で、また九百年近くの時代を古典的な国制や文化で一括してしまってよいのかという疑問もある。ただ単に政治の流れのなかで天皇を考えるのではなく、能や浄瑠璃・歌舞伎などの文化の方面から考えている点でも貴重である。

 そして第四の段階としての近代国家における天皇制であって、明治維新、大日本帝国憲法、そして敗戦により天皇の位置付けがどう変化してきたのか、それらを西欧列強との関わりのなかで叙述する。

 ここでは王政復古により摂政・関白・将軍などを廃したことで古典的な国制が大きく転換したことを指摘している点が目につく。前近代の宗教の基礎にあった神仏習合も神仏分離政策によって崩壊したこともそれと関連づけている。

 明治政府は欧米列強から押しつけられた不平等条約の改正にむけて、近代的な憲法と法体系を整備したが、この大日本帝国憲法により天皇は規定されることになった。律令を越えた存在としての天皇はここに大きく変化した。だが同時に制定された『皇室典範』は天皇が定めた法であり、大臣の署名もなく議会も関与できなかった。

 昭和天皇は立憲君主として、世界的な君主制の危機の時代に登場したが、二・二六事件を経て現人神(あらひとがみ)として装われてゆき、日中戦争の果てに日米開戦へと踏み切ってゆく。こうして敗戦を迎え、象徴天皇制に基づく新憲法が発布され、通常の法として皇室典範も改正された。さらに昭和天皇が没するとともに、昭和天皇とは異質な新しい「象徴」天皇の時代が始まったと指摘して、筆をおく。

 天皇の問題というと、どうしても過剰な主張や思い入れが先行するか、あるいは問題を避けたがるのが普通である。しかし本書は天皇に関わる基本的な問題を豊かな構想力により的確に、かつバランスよく叙述しており、読後感のさわやかなものとなっている。

毎日新聞 2006年2月12日 東京朝刊
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060212ddm015070101000c.html

731●青木冨貴子 [朝日]

[掲載]2005年12月25日
[評者]最相葉月―書評委員のお薦め「今年の3点」
 (1)731(青木冨貴子著)

 (2)性と生殖の近世(沢山美果子著)

 (3)沼地のある森を抜けて(梨木香歩著)

 今いちばん困難な、未来に希望をつなぐという作業をこつこつと続けている人々が同時代にいる限り、私もまた放棄しない。

 青木さん。(1)は雑誌連載中から刮目(かつもく)していた。石井細菌部隊の徹底解明なくして日本の臨床試験は前に進めぬからだ。GHQ資料を渉猟した結果、明らかになった密約に息を呑(の)む。過去同じテーマに挑んだ人々の仕事から大きく前進した。

 沢山さん。(2)は津山藩などの古文書を繙(ひもと)き、性が藩の人口政策のもとで制御され、堕胎や間引きを人道に反する罪とみる意識が共同体と女性の内面に醸成された過程を検証。犯罪とみなすのはキリスト教導入以降とする見解を覆す労作。

 梨木さん。(3)はぬか床を舞台に家族史から生命進化へ広がる壮大な物語。困難から希望の糸を紡ぎ出そうとする静かな熱情がある。四十億年前、私が一個の細胞だった時の記憶が甦(よみがえ)る。
731
著者: 青木 冨貴子
出版社: 新潮社
ISBN: 4103732059
価格: ¥ 1,785

性と生殖の近世
著者: 沢山 美果子
出版社: 勁草書房
ISBN: 4326653078
価格: ¥ 3,675

沼地のある森を抜けて
著者: 梨木 香歩
出版社: 新潮社
ISBN: 4104299057
価格: ¥ 1,890
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512270303.html

戦陣訓の呪縛●ウルリック・ストラウス [読売]

出版社:中央公論新社
発行:2005年11月
ISBN:4120036804
価格:¥2100 (本体¥2000+税)
 太平洋戦争中に連合軍の捕虜となった日本軍将兵の数は約三万五千。欧州戦域での捕虜の数に比べると、きわめて少ない。その原因として「生きて虜囚の辱めを受けるな」と説いた戦陣訓の存在がよく指摘されるが、それは当時の日本独特の文化的・社会的規範でもあった。

 戦陣訓の呪縛(じゅばく)は、捕虜となった後の日本軍将兵にも作用し続けた。本書はその実情を、捕虜の手記やインタビューや米軍の記録を駆使し、収容所生活から帰国後に至るまでの彼らの境遇を丹念に追跡することによって、明らかにしている。米軍による捕虜取り扱いの実態も興味深い。米軍は日本人捕虜から様々の情報を得ていたが、それが成果を得るまでには尋問方法の試行錯誤があった。捕虜尋問にあたって最も重要なのは相手の言語と異文化に対する理解だったという。この点での日系二世の貢献の大きさを著者は強調している。吹浦忠正監訳。
評者・戸部 良一(防衛大学校教授)

(2006年1月16日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060116bk07.htm

銃後の社会史●一ノ瀬俊也 [読売]

出版社:吉川弘文館
発行:2005年12月
ISBN:4642056033
価格:¥1785 (本体¥1700+税)
 遺族の戦中・戦後・現在の体験に光をあてる。戦後、粗略な扱いを受けた銃後の人々。国が奪ったものを、国から返してもらう。その“当然の”要求を実現化すべく、遺族会が組織された。こうして「遺族」は、国家を基盤とするひとつのシステムとなる。戦後60年に、遺族会誌の丹念な読みを通して迫った力作。
(2005年12月22日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20051222bk04.htm

吉田茂●原彬久 [読売]

出版社:岩波書店
発行:2005年10月
ISBN:4004309719
価格:¥819 (本体¥780+税)
 サンフランシスコ講和会議の下交渉に、米国側から臨んだジョン・フォスター・ダレスは、相手方の首相、吉田茂について、「不思議の国のアリス」のようだと評したという。米国の世界戦略にはっきり迎合しながら、再軍備の要求をのらりくらりとかわし、言質を取らせない態度にいらだったのである。

 考えてみれば、戦前・戦中は外交官として軍部に抵抗し、戦後は「ワンマン首相」と批判されたこの人物、そもそも何をめざして政治の世界に生きていたのかわかりにくい。この謎に対し本書は、皇室を中心とする秩序への帰依を、吉田の言動の根本に見いだし、説得力をもって解明している。

 語り口は吉田その人に感化されたかのように、ときに諧謔(かいぎゃく)に富むが、「吉田ドクトリン」と呼ばれる外交方針に対する批判は手きびしい。その視線は、1人の人物をこえ、戦後という時代の全体へと及んでいる。
評者・苅部 直(東京大学助教授)
(2006年1月10日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060110bk07.htm

会津戦争全史 [著]星亮一

[掲載]2005年11月13日
[評者]野口武彦

 会津戦争を原点にすると、《日本人の戦争》が見えてくる。

 幕末会津藩の悲運は、輝ける明治維新の暗い裏面として、正史では隅っこに追いやられてきた。皇朝史観であれ、進歩史観であれ、戊辰戦争を「正義の戦争」と見る立場からは歴史の経常支出と見なされるこの内戦は、著者にいわせれば「日本近代史の汚点」であった。

 鳥羽伏見戦争で「朝敵」とされた会津藩主松平容保(かたもり)は、国元に帰って謹慎し、謝罪を申し出たにも拘(かか)わらず、薩長政権はそれを無視して、(1)容保の斬首、(2)会津若松開城、(3)領地没収の三点を要求して譲らない。会津の窮境を見かねた東北諸藩は連帯して奥羽越列藩同盟を結成し、足かけ二年にわたる戦乱の幕が切って落とされるのである。

 新政権軍の攻勢で列藩が次々と脱落するなか、孤立して戦った会津藩がついに力尽き、若松落城を迎える悲劇は、これまで独特の怨念(おんねん)と敗者の美学にいろどられて語り継がれ、本書でもクライマックスになっている。

 類書は多い。著者自身もこの題材で何冊か書いている。旧怨(きゅうえん)は消えないし、また忘れるべきでもない。問題はいかに相対化するかである。本書の新機軸は、会津戦争を受難と被害の視点だけからでなく、普遍的な《戦争と日本人》という論点から眺め直している点にある。

 判明している戦死者は2407人。これには農兵・人夫・「官軍」にレイプされて殺された女性が数えられていない。新政権軍の兵士は、相手が弱者と見ると徹底的にいたぶる軍隊だった。

 勝者の暴虐はもとより、敗者の側も批判をまぬかれない。行間からは敗北を必要以上に悲惨にした会津藩上層部への怒りが、まるで今日の出来事のようにたちのぼってくる。優秀な銃隊に向かって槍隊(やりたい)が突撃するしか戦法がなく、老人隊が前線に出て戦い、少年・婦女子が参戦して自害する。これは無能な指導部による《本土決戦》だったのである。

 東北人の著者が、奥羽越列藩同盟をアメリカ南北戦争における北軍になぞらえる意地の張り方にも敬服する。
出版社: 講談社
ISBN: 4062583429
価格: ¥ 1,680
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URL:http://book.asahi.com/review/TKY200511150272.html

証言 戦後日本経済―政策形成の現場から [著]宮崎勇 [朝日]

[掲載]2005年11月13日
[評者]青木昌彦

 本書は、戦後日本の経済政策の形成に枢要な役割を果たしてきた宮崎勇氏のインタビューの記録である。

 氏は戦後大学卒業とともに経済安定本部に入り、傾斜生産方式の運営に携わったのを始めとして、経済企画庁で所得倍増計画の作成、高度成長時代の『経済白書』の執筆、石油ショック時代と初期サミットにおける国際交渉、退官後の構造改革プランへの参画、村山内閣への入閣など、日本経済の戦後史のあらゆる局面で、要になる現場にいた。氏の精密な記憶力と正確な表現力、バランスのとれた評価、情緒を排した語り口は、インタビュアー(中村隆英氏ら)の用意周到な問いと相まって、この本をオーラルヒストリーとして価値ある作品に仕上げた。戦後経済史を学ぶのに必読書となるだろう。

 だが評者は、この本に単なる歴史の当事者の証言、記録にとどまらない現在的な価値のあることも感じた。一つは制度改革と安定的なマクロ経済運営はお互いに補い合う関係にあり、どちらか二者択一の関係というわけではない、という氏の洞察である。最近英国の「エコノミスト」誌が展望したように、失われた十年来の漸増的な(インクレメンタル)改革が累積して、日本は新しい安定的な成長軌道を可能にしうるような制度変化を成し遂げつつある。これをさらに推し進めるには、残る大きな問題である財政と社会保障の改革を、きちんとしたマクロ予測にもとづいて処理することが必要だ。氏は90年代央における景気回復が、性急な財政改革の試みによって挫折したことを痛恨の念を持って回顧するが、それは政治家に対し正確な情報を伝達せず、ミスリードした財政当局に責(せめ)があったとみる。

 本書は氏の国際協調への熱情をも明らかにする。軍縮へのエコノミストとしてのかかわり、中国の経済学者や政策当局者との持続的な交流、OBサミットの運営など、その活躍は多岐にわたるが、かつて特攻隊員を教官として送り出したという辛(つら)い経験が原点にあるのだろう。国際協調を前提とした愛国心を「新世紀のエコノミスト」に望むとき、沈着冷静をもって鳴る氏の言葉は熱を帯びる。
出版社: 岩波書店
ISBN: 4000233343
価格: ¥ 3,990
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200511150270.html

戦後60年 ●上野昂志

出版社:作品社
発行:2005年8月
ISBN:4861820413
価格:¥2310 (本体¥2200+税)
 評論家の上野昂志(こうし)が、敗戦から現在に至る日本社会の諸相を53のトピックスを通じて再考した私家版戦後史『戦後60年』(作品社、2200円)を出した。10年ごとに区分された項目は、東京裁判、平凡パンチ、連合赤軍、おたく、オウム真理教などさまざま。語り尽くされたかに思われた歴史の一コマが、アウトサイダー的な知性によって細密、流麗に語られる。

(2005年9月12日 読売新聞)
TITLE:戦後60年を通覧 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2005/09/12 16:46
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20050912bk16.htm


世界文明一万年の歴史 [著]マイケル・クック

出版社: 柏書房
ISBN: 4760127313
価格: ¥ 2,940
[掲載]2005年08月21日
[評者]酒井啓子

 一つの話題から十も百も議論が発展する頭の柔らかい人と話すのは、想像力をかきたてられてわくわくする。著者はイスラーム史家だが、歴史家にありがちな蛸壷(たこつぼ)型の専門家ではなく、人類発生からNASAに至るまで縦横無尽に議論を展開し、他領域に「でしゃば」る。「ある地域で起きたことが何故別の地域で起きなかったのか」という素朴な問いが、全体に通底する問題意識だ。

 まず、本書が時間的な流れに縛られていないことと、これまで歴史的大事件と当然視されてきた近代史の諸事実を大胆にすっぽりと抜かしていることに驚かされる。つまり「西欧近代」が徹底して相対化されているのだ。「今が昨日より進んでいる」という時間中心主義に留保をつけることで、自国史優先、進化論的発想を見直す。日本の公教育で一番重視される近代ヨーロッパにはちょっと触れるだけで、「西欧近代」ではない方法で発展を目指そうとした別の方法??つまりマルクス主義とイスラーム原理主義に、むしろページを割く。

 時を追って歴史を見ることに慣れている我々には、18世紀まで続いたオーストラリアの狩猟採集社会や8世紀のアフリカのガーナ王国に触れた後に、インダス文明や秦の統一が来る章立ては、一見ランダムな印象を与える。そのなかで、著者の最大関心は「いかに文明が継承されたり途絶されたりするか」だ。

 文字を持つ文明は、後世の社会がそれらを再生可能な史的材料を大量に残したことで引き継がれやすい(だから「復興」とか「原理主義」が常に有効性を持つのだ、という指摘は説得力がある)。だが、無文字社会でも、遺伝子的変化や技術、牧畜のあり方などで、文明は花開く。文字のない東アフリカの年齢組制度やメソアメリカの暦が、いかに複雑であることか。しかし新大陸では、他文明から孤立していたために競争という刺激を受けず、その文明は衰亡した。

 逆に、最初に世界を均一化したイスラーム文明は、征服と巡礼による人の広範な移動によって生まれた。グローバル化もまた、西欧近代の専売特許ではない。
TITLE:asahi.com: 世界文明一万年の歴史 [著]マイケル・クック - 書評 - BOOK
DATE:2005/09/05 14:06
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200508230244.html


「終戦日記」を読む ●[著]野坂昭如 [朝日]

出版社: NHK出版
ISBN: 4140810564
価格: ¥ 1,365
[掲載]2005年08月28日
 首相の靖国参拝、「新しい歴史教科書」採択、60年前に敗れた戦争をどう総括するのかはいまだに深刻な論議の的だが、著者は山田風太郎、大佛次郎、永井荷風、中野重治らの残した日記を紹介しつつ、そこに少年として神戸の空襲に遭遇し、焼け跡をさまよったおのれの体験を重ねつつ、あのころ日本人は何を考え、どう生きていたかを探るうち、真の「大人の思考」とは何か、ということが、現代に及ぶ問いとして存在すると思い至るのである。
TITLE:asahi.com: 「終戦日記」を読む [著]野坂昭如 - 書評 - BOOK
DATE:2005/09/05 14:06
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200508300375.html


戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ ●[著]マイク・モラスキー [朝日]

[掲載]2005年09月04日
[評者]中条省平
(抜粋)
 本書はジャズという音楽の受容史ではない。副題がしめすように、日本文化のさまざまな領域がジャズという刺激を受けていかに変容していったか。その動きを多角的に読み解く試みである。その結果、一九六〇~七〇年代の日本文化の異様な活力の秘密の一端が明らかにされた。著者は、戦後占領下の日本と沖縄の文学を専攻するアメリカの学者だが、東京のジャズクラブなどに出演するピアニストでもあり、そうした感性の柔軟さを十分に発揮して、明晰(めいせき)な論理性に裏打ちされながら読んで面白い労作に仕立てあげた。
TITLE:asahi.com: 戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ [著]マイク・モラスキー - 書評 - BOOK
DATE:2005/09/08 11:23
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200509060314.html


昭和天皇と立憲君主制の崩壊 ●伊藤之雄 [読売]

出版社:名古屋大学出版会
発行:2005年5月
ISBN:4815805148
価格:¥9975 (本体¥9500+税)
 昭和天皇はいかなる君主だったのか。特に敗戦前の彼の役割をどのようにとらえればいいのか。この問題は、いまだに論争の的である。

 一方には、天皇は立憲君主として、政府や統帥部の決めたことを自動的に承認しただけに過ぎない、つまり政策決定や軍事作戦に影響を与えることはできなかったのだ、という見方がある。他方には、天皇は専制君主であり政治や軍事の決定に実質的な影響を及ぼした、したがって開戦を避けることも戦争の犠牲を小さくすることも、やろうと思えばできたのだ、とする見方がある。本書は、この両者を否定し、また新たな別の解釈を提示した。

 本書が強調するのは、昭和天皇の政治的未熟さと、それを助長した宮中側近たちの補佐の不適切さである。明治天皇が、指導者間に対立が生じたときの調停にその政治関与を自制したのに対し、即位直後の昭和天皇は生真面目(まじめ)に、気負って政治過程のなかに強く踏み込んだ。張作霖爆殺事件の処理をめぐり田中義一内閣を総辞職に追い込んだことがその一例である。天皇は、「国粋主義者」や軍人から、「君側(くんそく)の奸(かん)」に操られていると見られ、その威信を弱めてしまう。そして、彼らの反発を受けたがゆえに、満州事変で軍を抑えるべきときに、それを躊躇(ちゅうちょ)して事変の拡大を許すことになる。いわば、昭和天皇の政治関与のブレ、一貫性のなさが立憲制を崩壊させ昭和の悲劇を招く一因であった、と著者は言う。

 著者の解釈はきわめて刺激的かつ論争的である。イギリスの立憲君主制や明治天皇との比較も興味深い。昭和天皇崩御以後に利用可能となった史料を駆使して構築されたこの「仮説」は、今後多くの研究者によって検証され、批判も受けることだろう。天皇制に対するイデオロギー的あるいは生理的反感とも、情緒的な天皇崇拝とも無縁の、実証的な昭和天皇研究、近代日本の君主制研究の一つの到達点と言えよう。
 ◇いとう・ゆきお=1952年生まれ。京都大学教授。著書に『政党政治と天皇』など。
名古屋大学出版会 9500円
評者・戸部 良一(防衛大学校教授)
(2005年8月15日 読売新聞)
TITLE:昭和天皇と立憲君主制の崩壊 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2005/09/05 14:12
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050815bk05.htm


御巣鷹の謎を追う 日航123便事故20年 ●米田憲司 [朝日]

[掲載]2005年08月28日
[評者]佐柄木俊郎
(抜粋)
 日航ジャンボ機墜落事故20年のこの夏、新聞やテレビには回顧企画が溢(あふ)れたが、捜索をめぐる謎を含め、事実に改めて肉薄し、悲痛な記憶を人々に鮮烈に蘇(よみがえ)らせたという点では、本書にとどめを刺すといっていいかもしれない。

 著者は、この事故の報道にあたった日本共産党の機関紙「赤旗」社会部取材チームの中心メンバー。墜落現場を目指した発生当夜の体験に始まり、その後、なぜ救出が遅れたのか、事故原因の真相は何か、を長期にわたって追い続けてきたベテラン記者だ。思い返せば、この事故報道では赤旗紙の健闘は光っていた。

 長期取材の集大成ともいえる本書は、なお数多くの疑問を浮き彫りにする。自衛隊機が繰り返し墜落現場を確認しながら、なぜ四度も間違いの発表をしたのか。真っ先に到着した米軍ヘリに、なぜ救助活動を依頼しなかったのか。運輸省航空事故調査委員会(事故調)の報告は、客観的な事実と矛盾する部分が多すぎ、公表されたボイスレコーダーの記録にも作為があるのでは、等々だ。

 「私たちも(略)断定できるだけの材料は持ち合わせていない」と、明確な答えは示さず、ミサイル撃墜説は「荒唐無稽(こうとうむけい)」と退けるなど、科学的な分析に終始している。評者には「日本では救助活動にも上の許可が必要」とか「米軍の帰還命令は自衛隊の面子(めんつ)を考えた政治判断では」「事故調は、初めから結論ありき」といったあたりの指摘が興味深く、案外謎解きのカギを握るのでは、と感じられた。
TITLE:asahi.com: 御巣鷹の謎を追う 日航123便事故20年 [著]米田憲司 - 書評 - BOOK
DATE:2005/09/04 15:26
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200508300350.html


メディアの支配者 上・下 ●中川一徳 [朝日]

[掲載]2005年08月28日
[評者]野口武彦
(抜粋)
 (鹿内)信隆は、退役主計中尉で終戦を迎え、戦時の曰(いわ)くありげな人脈・金脈を使って戦後経済に浮上してきた人物である。一九五〇年代に電波事業に手を拡(ひろ)げ、ニッポン放送・フジテレビ・産経新聞の実権を次々に握って、着々と支配力を強め、ついに六八年、「商業右翼」を社是とするフジサンケイグループ会議議長に就任した。

 新聞論調としては反共右翼、テレビでは軽佻浮薄(けいちょうふはく)というユニークな営業路線が確立され、「彫刻の森」美術館や世界文化賞設置などの文化事業も手がけられる。美術品がいかに営利と結びつくかのカラクリは、一時有名になった「持株(もちかぶ)比率15パーセント」とは何かをはじめ、ニッポン放送とフジテレビの入り組んだ持株関係と共に図解されていてわかりやすい。

 八五年、議長職は信隆の長男春雄に世襲され、鹿内一族のグループ支配は安泰と見えた。ところが八八年、春雄が急死し、その後継者に娘婿のエリート銀行マン宏明が指名されたことから家族の内紛が勃発(ぼっぱつ)する。それとタイアップして、三代にわたる鹿内独裁への反逆を呼号し、宏明の罪状を数え上げて追放しようと日枝グループのクーデター計画が胎動しはじめる。

 息も継がせぬ展開である。宏明が最後の武器として握りしめていたニッポン放送株を無力化するために、日枝が株式上場と公開買い付けに打って出ざるをえなかった理由が、これで明快に了解される。その目論見(もくろみ)が、堀江貴文の介入という思いがけぬ事態の出現であえなく反転した経過は、まだ読者の記憶に新しい。

 本書は著者の単行本第一作の由であるが、天下の公器を私物化する勢力への怒りが行間にふつふつとたぎっていて小気味よい。驚くべき取材力を発揮して、放送・テレビ・新聞と「マスコミ三冠王」を誇ったフジサンケイグループの奥の院に踏み込んでいるだけではない。この堅固な筆力には、複雑な事件の連鎖を一望のもとに構成する独自の《史眼》が光っている。

 シカナイ伝説(サガ)ともいうべき一族の愛憎劇から昭和・平成史が見えてくる。浮かび出るのは、株主が投資先の社会的使命を問わず、ただ配当のみを追求する現代日本の縮図である。
TITLE:asahi.com: メディアの支配者 上・下 [著]中川一徳 - 書評 - BOOK
DATE:2005/09/04 15:26
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200508300348.html
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