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●戦争の傷跡

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戦争の傷跡 ラインナップ

  1. 虐殺10周年、絶えぬ涙 ボスニア・ヘルツェゴビナ
  2. ボスニア虐殺に1万9千人が関与 共和国政府が調査報告 [朝日]
  3. ポル・ポト時代を再現した食堂を閉鎖 カンボジア当局 [朝日]

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ポル・ポト時代を再現した食堂を閉鎖 カンボジア当局 [朝日]

2005年10月05日19時41分
 カンボジアのポル・ポト政権下で拷問・虐殺の場となったプノンペンの収容所跡そばに当時の服装や食事を再現した食堂が開店したが、政府は今月、「無許可営業」を理由に閉店させた。店側は「虐殺の歴史を忘れないため」と説明するが、悲惨な記憶を呼び起こすだけに物議を醸していた。AFP通信などが伝えた。

 店は9月半ばに、プノンペンの「S21収容所」(現ツールスレン虐殺博物館)の向かいにオープン。女性従業員が黒い服に紅白チェック柄のスカーフといったポル・ポト時代の服装をし、薄いおかゆなどを出していた。

 経営者(25)の妹の店長(17)は「私の祖父や親類もあの時代に命を落とした。収容所跡を訪れる人たちに、当時の生活を見せたいだけ」と話す。だが、住民らの反応は複雑で、店長の母親も従業員の服装を見てショックを受け、店を訪れなくなったという。

 開店後、政府当局者が調査の意向を表明し、虐殺を追及している民間団体のメンバーも「こんな店は必要ないと思う」と話していた。

 70年代後半のポル・ポト時代に、虐殺や強制労働で100万人以上が犠牲になったとされる。同収容所には多くの政治犯が連行され、1万数千人が拷問のうえ処刑されたと推定されている。
URL:http://www.asahi.com/international/update/1005/019.html

ボスニア虐殺に1万9千人が関与 共和国政府が調査報告 [朝日]

2005年10月05日21時47分
 ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人共和国政府は4日、第2次大戦後の欧州で最悪の虐殺となった95年のモスレム人7000人以上の虐殺事件に、セルビア人警官や兵士のほか、市民も含めた1万9473人が何らかの形でかかわっていたとの調査報告を発表した。

 AP通信などによると、政府の委員会が軍や治安機関などを調査。関与したうち1万7074人の身元がわかっており、捜査当局が今後訴追するかどうかを検討するという。

 虐殺事件は旧ユーゴ紛争で最も悲惨だったボスニア紛争末期の95年7月、東部スレブレニツァで、セルビア人勢力が1週間でモスレム人7000人以上を虐殺した。10年たった今も遺体収容、身元確認作業が続いている。
URL:http://www.asahi.com/international/update/1005/024.html

虐殺10周年、絶えぬ涙 ボスニア・ヘルツェゴビナ [朝日]

2005年07月11日23時36分
 第2次大戦後の欧州で、最大の虐殺が起きたボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで11日、虐殺から10周年を記念する式典が開かれ、5万人が参加した。

 「スレブレニツァの虐殺」は、旧ユーゴの民族紛争で最も悲惨だったボスニア紛争末期の95年7月に起きた。セルビア人勢力が7日間にイスラム系のモスレム人7000人以上を虐殺した。少数の国連部隊がいたが、虐殺を防げなかった。

 現地からの報道によると、この日は新たに身元が確認された14歳から95歳までの610人が埋葬された。式典を前に、遺族は肉親の棺にすがり、泣き崩れた。

 セルビア人によってボスニア各地に秘密裏に埋められた遺体の身元の確認は、DNA鑑定によって続けられているが、まだ5000人以上の身元が判明していない。

 虐殺を命令、実行したボスニアのセルビア人共和国のカラジッチ大統領とムラジッチ司令官は、ハーグの旧ユーゴ戦犯法廷により戦犯として起訴されているが、今も捕まっていない。
TITLE:asahi.com:虐殺10周年、絶えぬ涙 ボスニア・ヘルツェゴビナ - 国際
DATE:2005/07/12 09:52
URL:http://www.asahi.com/international/update/0711/013.html
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