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150409 天皇の慰霊 歴史見つめる機会に(社説) [朝日]

 あの戦争は何だったのか。身近に考える機会にしたい。

 戦前、日本が統治し、太平洋戦争で激戦地となったパラオ共和国を、天皇、皇后両陛下が訪ねている。戦後70年に合わせた「慰霊の旅」である。

 多くの戦死者が出たペリリュー島にきょう渡り、日米それぞれの犠牲者の碑に赴く。

 「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。天皇陛下は出発にあたり、こう述べた。

 天皇の慰霊の旅が印象づけられたのは、戦後50年の95年の夏に、長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪ねたときだ。

 戦後60年には、海外での初の慰霊の旅として米自治領サイパンを訪ねた。日本人が海に身を投げ集団自決した「バンザイクリフ」などに赴き、元日本兵が話す当時の様子に耳を傾けた。

 その年の誕生日に際した会見で、「61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」と語っている。

 パラオ訪問は当時も検討されたが、交通状況などで断念した。今回は海上保安庁の巡視船をホテル代わりにする異例の措置で実現した。ペリリュー島へは巡視船からヘリで向かうといい、80歳を超える両陛下にとって、たやすい道行きではない。

 風化しがちな戦争の歴史と向き合わねばならないという、強い思いが込められている。

 天皇陛下は今年の年頭の感想で「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと」の大切さに触れている。

 当時の語り部や、その伝承に取り組む人びとの声に耳を傾け、歴史と謙虚に向き合い、戦禍を二度と繰り返さない。それは、国民一人ひとりが続けねばならない営みだと感じさせる。

 今ではダイビングで知られるパラオを約30年間日本が統治し、日米双方が多くの命を失ったことはあまり語られない。

 戦後、94年まで国連の米信託統治領だった。ほかの太平洋諸島より独立が遅れたのは、画期的な非核憲法を81年、住民の手でつくったからだった。

 米国は、その憲法を長く疎んじ、最終的に非核条項を凍結することで独立を認めた。パラオは防衛権を米国にゆだね、代わりに経済援助を受け続けるという苦しい選択をしたのだ。

 終戦後もなお、安全保障などをめぐり大国との関係に翻弄(ほんろう)されてきた、その歴史から考えさせられることもまた多い。

150408 巡視船宿泊、ペリリュー島で慰霊 両陛下が強く願い実現 [朝日]

 太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国に向かった天皇、皇后両陛下。現地での宿泊先に選ばれたのが、海上保安庁の巡視船「あきつしま」だ。通常は領海警備などにあたる船で、船内の設備は宿泊には適していない。異例の措置がとられた背景に、両陛下の戦没者慰霊への強い思いがあった。

両陛下、パラオに出発
「美しい島々で悲しい歴史」陛下お言葉全文
 「あきつしま」は全長150メートル、総トン数6500トンで世界最大級の巡視船だ。2013年11月に就役。沖縄・尖閣諸島の警備や東南アジアでの海賊対策や中国漁船によるサンゴ密漁の取り締まりといった重要任務を担っている。

 実は、両陛下のパラオ訪問は10年ほど前に検討されながら、断念した経緯がある。日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」があるペリリュー島はパラオ中心部から南に約50キロ離れた小島。両陛下と随行員、警備関係者ら一行を乗せた旅客機が離着陸できる空港がなく、船で行き来するにも片道1時間以上かかる。両陛下への負担や安全面の問題が立ちはだかった。

 そこで浮上したのが海保巡視船に搭載されているヘリコプターだ。「あきつしま」には最大21人乗りのヘリ「スーパーピューマ225型」が2機搭載されている。両陛下が「あきつしま」に宿泊し、船から直接ヘリでペリリュー島に向かう計画によって、今回の慰霊の旅が実現することになった。

 だが、旅行用の客船ではないため、高齢の両陛下が宿泊するには不安もある。船内には段差や仕切りが多く、転倒する危険性が拭えない。貴賓室などはなく、両陛下は船長室に宿泊するが、そこに向かうには急な階段を上がらなければならない。お世話をする職員や侍医が待機する部屋も離れた場所だ。

 今回、両陛下用に船内に手すりをつけたり、通常は1人用の船長室内のレイアウトを変えたりするなどの対策が講じられた。決して快適とは言えない状況だが、両陛下は納得の上で計画を受け入れたという。宮内庁幹部は「戦没者慰霊を実現させたいという両陛下のお気持ちの表れでしょう」とみる。

 前侍従長の渡辺允さん(78)によると、天皇陛下は折々に「南太平洋に慰霊に行くことはできないか」との意向を述べていた。南太平洋とはパラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦。今は観光地となっているが、陛下は「美しい海でどれだけ多くの犠牲者が出たか思い出して欲しい」とも話したという。

 今回、慰霊碑にはこの3カ国の大統領夫妻も同行し、ともに拝礼する。

 巡視船の運用をめぐっては、尖閣諸島周辺での領海警備の必要性が高まり、やり繰りが厳しい状態が続いている。宮内庁の風岡典之長官は会見で「(業務に)支障が無いということで利用させていただくことになった」と説明し、「戦後70年の特別な陛下のご訪問。大きな目的のために使うのは許されるのではないか」との見解を示した。別の宮内庁幹部も「巡視船からヘリで移動するのが一番円滑に日程をこなせる。ヘリがなければ今回の訪問は実現しなかった」と話している。(中田絢子、工藤隆治)

150408 「美しい島々で悲しい歴史」パラオ訪問の陛下お言葉全文 [朝日]

 天皇陛下は8日午前、パラオへの出発に先立ち、おことばを述べた。全文は次の通り。

     ◇

 本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。

 私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。

 パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和10年頃には、島民の数より多い5万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。

 終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。

 この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。

 この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

 終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。