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#contents - ホテル行く前に外で2発イカせてもらいますた! http://ston.mlstarn.com/2451895 -- てれれん (2009-06-02 20:19:50) - セフしさまさまだなwマジ天国www &br() &br()http://sersai%2ecom/hosakimenma/28454697 -- 大日にょ来 (2009-06-06 00:12:07) #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)   ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *9月1日(日) ブックオフの100円本 遙は僕との約束通り、朝、自分で起きてカミさんと話をつけたみたいだ。ピアノの練習をすこしだけしてから、カミさんと一緒に8時の電車に乗って神戸に向かった。 その後店に行く車の中で、NHKFMのピーター・バラカンがDJやっている洋楽番組を久々に聞く。僕は彼の選曲・解説が大好きである。昔はエアチェック(懐かしい言葉だ)しながらこの番組を聞いたもんだ。 午前中、社民党支部連合の幹事会。この前の参院選の総括をする。票がまた減った。原因はわかっている。今の党のメンツでは、どうすれば打開できるかがわかからない。 その後店に戻り、新聞整理の続き。06年、05年の分を終わる。 ライブドア事件でホリエモンが逮捕されたときの号外が出てきた。号外が出るほどの大事件だったんだな。遠い昔のような気がする。 夜、ブックオフへ。100円本ばかり35冊買う。 僕は、これら買った本をいずれアマゾンに出品するのだが、基本的には売るために買っているのではなく、自分が読みたいから買っているのだ。でも、読まなくてもアマゾンで売れるんだ、というのが担保になって、すこし気が向いた本は何でもポンポン買い物カゴに放り込めるようになった。アマゾンで売り始める以前は、たとえ100円本でも、「読めなかったらムダだ、もったいない」という考えで、1冊1冊買うのにずいぶん迷ったもんだった。 問題は本を置くスペースである。今でもかなり厳しいが、将来引っ越すとなったときは大変だろうな。でも、好きな本をどんどん買う、という快感には抗しがたい。 今日買った本のうち文庫本だけを紹介することにしよう。 まず岩波文庫。93年のリバイバル復刊3冊が美本で出ていた。『桐一葉・沓手鳥孤城落月』(坪内逍遙)、『藪柑子集』(吉村冬彦)、『芭蕉俳諧論集』。「桐一葉」は高校生のときに読んだことがある。いまページをめくったら古くさい文体でずいぶん読みにくそう。ようこんなもん高校生のとき読んだなと感心。吉村冬彦という人とその著書のことは全く知らない。芭蕉は好きだから手当たり次第集めている。 そのほかの岩波文庫5冊。 『ドン・キホーテ続編』の2巻と3巻。美本である。僕はすで正・続全巻持っていて、読破している。もう一度読みたいから売るわけにいかない。今日買ったのは、売るためだ。 『ニーベルンゲンの歌』前編。まあ、よっぽどひまにならないと読まんだろうなあ。 『原爆の子』上巻。このあいだ広島へ行って来たことが頭にある。 『ロシア革命史』第1巻(トロツキー)。昔神田の古本屋の店頭ワゴンの中に、当時絶版になっていた角川文庫旧版全6巻(うち1冊、最終巻欠)のやつを見つけて即購入し、読み始めたらとまらないほどおもしろくて数日で読み上げてしまった(っていっても最終巻はないから読めなかったが)。そのことを友人に言ったら、「僕も読みたい」と言うので気前よくその5冊を彼にやってしまった。数年前、その角川版がリバイバル復刊したので即セット購入したが、未読の最終巻はいまだに読まずじまいでしまってある。ところがその角川版は英語かなんかからの重訳だったらしい。岩波文庫版は初のロシア語からの訳だ、と帯に歌ってある。これでもう一度読み直したいと思う。 岩波文庫は、自分の持っていない本で美本が100円で出ていれば基本的には買うようにしている。今日買ったのは端本が多いが、アマゾンでは端本も出品できるし、それが結構売れるのだ。自分が読んで続きが欲しくなったら、アマゾンで探せばたいてい見つかるから、端本でもどんどん買うことにしている。 中公文庫『レイモンド・カーヴァー傑作選』(村上春樹編・訳)。村上の選択眼は信用できると僕が好きな評論家・豊崎由美が言ってるから、買った。 武田泰淳『士魂商才』(岩波現代文庫)。これは、武田もまあまあ好きだが、巻末に丸山真男の解説があるというので買った。 川勝平太『富国有徳論』(中公文庫)。中公文化人らしく大風呂敷の川勝、特に好きな著者ではないが、話題になった本なので買った。 中野孝次『実朝考』。この著者には旧制高校風の人格主義風なイメージがあり、あまり好きではないが、講談社文芸文庫はアマゾンでの値段もいいので、一応買っておこうと。それに実朝は好きな歌人だ。吉本隆明の『源実朝』は、吉本の本の中でも特に印象に残っている。それと比べてどうかな? ドナルド・ドーア『イギリスの工場・日本の工場』(下)。とってもよく日本のことを理解していて、日本人の思いつかない角度から日本を評価するドーア先生。この本は前から読みたいと思っていた本。 以上、ぜーんぶで新刊書1冊分にもならないお値段。ああ、文庫本に感謝、ブックオフに感謝。 *9月10日(月) 黒崎書店/『下流社会』 NPO関係の会議で、大阪へ出張。 初めて合う人も十数人いる。こういうところで、「初めましてどうぞよろしく」と自分から名刺を差し出しに行き、「いかがですかおたくは」というようなことを二言三言しゃべるというようなことが僕は苦手である。そこで、会合場所にはなるべく定刻直前に入る、そして会議が終わるとすぐに出てくる。もちろん、何か特定の人に挨拶する必要とか、ものを聞きたいとかいう場合は、きちんと自分から話しに行くのだが、興味のない人に対して儀礼だけの挨拶というのはしない。 儀礼であっても、自分から行ってしゃべってくると、思わぬ情報をもらったり、向こうが気さくな人で話が弾んで親しくなる、ということがあるのは重々わかっているのだが、苦手なものは苦手である。無理をしないことにしている。 帰りに、前から一度行きたいと思っていた、阪和線南田辺駅前の古書店「黒崎書店」に寄る。ネットで調べると膨大な在庫を誇る店であるが、間口2間の小さな店であった。しかし、置いてある本はなかなか質が高い。マンガやタレント本、ハウツー本などは一切ない。なんでこんな場所にこんなグレードの高い古書店があるんだろうと不思議に思う(和歌山にはないぞ!)。そして場所柄であろうか、値段は低めに設定してある。期待していたとおり、100円均一のワゴンの中にも絶版の良書がきらり。5000円で、大きな紙袋に一杯買って帰る。 行き帰りの電車の中で、昨年話題になった三浦展『下流社会』を読了。 若い世代(団塊ジュニア世代)では、自分が「上」「中」「下」のどの階層に属すると感じているかという「階層意識」調査で、「中」が減って、少数の「上」と多数の「下」に分裂しているのだという。現実にその世代が就職氷河期にあたってフリーターなど所得の低い層が多い、ということはある。しかし、著者が注目するのは、むしろ、上昇を目指さない、「下流」に安住する若者たちの生活意識だ。 「『下流』とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである」と。 団塊ジュニアの世代は、生まれてきたときにはすでに周囲にモノがあふれ、青少年の頃にはバブル全盛で消費の欲望がいやがうえにもふくらまされ、そして社会に出る頃から一転して長期の不況に遭遇して安定的な職に恵まれないことが普通になった。  社会全体が上昇志向のときには、特に上昇意欲の強い人間でなくてもともに上昇していくが、社会全体が停滞しているときには、上昇意欲の乏しい人間はそのまま落ちこぼれていき、ますます意欲を喪失する、という。なるほど。 *9月15日(土) 林真須美さんから 645起床。ほんとうは起床直後の1時間を、今一番優先順位の高い法律勉強に充てたいと思っているのだが、どうも頭がぼー、っとして、おまけに眼もぼーっとして(起きた直後は眼の筋肉が弛緩しているみたいで、細かい本の字に焦点を合わせられない。前はそういうことはなかったから、老化だな、これは)、5分と集中できないので、漫然と朝刊を読んでしまい、妻子が起きてくる時間となる。体操でもして目を覚まし、パソコンで日記を書いて頭をしゃきっとさせる、という方がいいかな。明日からはそうしよう。 店へ行き、母と朝ご飯を食べて朝の連続テレビ小説「どんと晴れ」を見る。主人公が若女将を務める老舗旅館が、義理の弟のしくじりによって乗っ取り屋にねらわれる危機。真剣に見てしまう。 10時より社民党県連事務所で、Mさんといっしょに、党機関誌「社会新報」(週刊)の県内定期購読者への発送作業。月に一回輪番で回ってくる任務だが、今日は初めてムスコを連れて行って手伝わせる。初めてのことだからおもしろいらしく一生懸命やってくれる。 その後昼飯をMさんにごちそうになる。実は、ムスコには、「手伝ってくれたら、Mさんがおいしいおそばをごちそうしてくれるで」といって釣ってきたのだ。ムスコにとっては初めての新内の「信濃庵」、食べたあとに点数を聞いたら、「100点」ということだった。ここはそばもうまいが、定食につくだし巻き玉子が楽しみだ。 Mさんと別れて、「社会新報」を郵便局に出しに行ってから、ホームセンターと書店に寄って買い物。 途中、いきなりものすごい土砂降りのにわか雨。5分くらいでぴたりとやんで、あとは真夏を思わせるカンカン照りに。 カミさんが、「いつまででも行ってきて」って言うので、家には帰らず、ムスコと店に戻った。 机の上に分厚い封書が置かれている。差出人は「林真須美」。うん? あけて見ると、なんと、毒物カレー殺人事件の犯人として有罪判決を受けて拘留中のあの人の支援団体のニュースとチラシが入っている。なんで僕に? とりあえず内容を走り読み。えん罪を主張しているわけだが、たしか彼女は、一審では、何も語ろうとしなかった、と記憶している。僕には、証言拒否は納得できない。法廷で堂々と反証すべきだと思う。 えん罪であるおそれはある。だったらたいへんなことだ。もっときちんと自分で調べて考えるべきだろうが、今は申し訳ないが、そういう関心がわかない。 彼女を、あの三浦和義氏が支援していることは知っていた。三浦氏は裁判で無罪になったわけだが、僕はかつて島田荘司の分厚い『三浦和義事件』を読んでも、かれが果たして本当に無罪なのか確信が持てなかった。まあ、刑事裁判というのは、有罪という確証がなければ無罪になるものだから、第三者の心証と判決が食い違うのは当然なのだ。裁判を、被害者や被告と特別関係のない普通の市民が、自分で評価し、批判するのは、難しい。強く持続する関心がなければ。 店で、二人それぞれの宿題をやる。ムスコは算数の。僕は、明日の平和運動グループの街頭署名のときに配るビラの原稿書きの。 夕食は、カミさんの料理で、栗ご飯、高野豆腐と椎茸の煮物、野菜サラダ、ジャコおろし。焼酎ロックで3杯。 食後は、書斎に戻らなきゃ、と思いながら、書斎が暑いのでついつい居間に居続けて、カミさんも見たいと言うのでもう一度かけたDVDの「アマデウス」やテレビの「ブロードキャスター」を見てしまう。 福田総理誕生がもはや既定事実のように報じられる。安倍首相誕生のときと同じような、いやそれ以上の雪崩現象で自民党議員が一人の総裁候補になびいていく。これだけ批判されてもだ。福田で一時の人気挽回はできると思うが、党全体がこのていたらくでは、再建は遠いなと思う。 法律の勉強は今日もさぼってしまった。 *[[自己啓発反省日記07年8月下]] より続く
#contents #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)   ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *9月1日(日) ブックオフの100円本 遙は僕との約束通り、朝、自分で起きてカミさんと話をつけたみたいだ。ピアノの練習をすこしだけしてから、カミさんと一緒に8時の電車に乗って神戸に向かった。 その後店に行く車の中で、NHKFMのピーター・バラカンがDJやっている洋楽番組を久々に聞く。僕は彼の選曲・解説が大好きである。昔はエアチェック(懐かしい言葉だ)しながらこの番組を聞いたもんだ。 午前中、社民党支部連合の幹事会。この前の参院選の総括をする。票がまた減った。原因はわかっている。今の党のメンツでは、どうすれば打開できるかがわかからない。 その後店に戻り、新聞整理の続き。06年、05年の分を終わる。 ライブドア事件でホリエモンが逮捕されたときの号外が出てきた。号外が出るほどの大事件だったんだな。遠い昔のような気がする。 夜、ブックオフへ。100円本ばかり35冊買う。 僕は、これら買った本をいずれアマゾンに出品するのだが、基本的には売るために買っているのではなく、自分が読みたいから買っているのだ。でも、読まなくてもアマゾンで売れるんだ、というのが担保になって、すこし気が向いた本は何でもポンポン買い物カゴに放り込めるようになった。アマゾンで売り始める以前は、たとえ100円本でも、「読めなかったらムダだ、もったいない」という考えで、1冊1冊買うのにずいぶん迷ったもんだった。 問題は本を置くスペースである。今でもかなり厳しいが、将来引っ越すとなったときは大変だろうな。でも、好きな本をどんどん買う、という快感には抗しがたい。 今日買った本のうち文庫本だけを紹介することにしよう。 まず岩波文庫。93年のリバイバル復刊3冊が美本で出ていた。『桐一葉・沓手鳥孤城落月』(坪内逍遙)、『藪柑子集』(吉村冬彦)、『芭蕉俳諧論集』。「桐一葉」は高校生のときに読んだことがある。いまページをめくったら古くさい文体でずいぶん読みにくそう。ようこんなもん高校生のとき読んだなと感心。吉村冬彦という人とその著書のことは全く知らない。芭蕉は好きだから手当たり次第集めている。 そのほかの岩波文庫5冊。 『ドン・キホーテ続編』の2巻と3巻。美本である。僕はすで正・続全巻持っていて、読破している。もう一度読みたいから売るわけにいかない。今日買ったのは、売るためだ。 『ニーベルンゲンの歌』前編。まあ、よっぽどひまにならないと読まんだろうなあ。 『原爆の子』上巻。このあいだ広島へ行って来たことが頭にある。 『ロシア革命史』第1巻(トロツキー)。昔神田の古本屋の店頭ワゴンの中に、当時絶版になっていた角川文庫旧版全6巻(うち1冊、最終巻欠)のやつを見つけて即購入し、読み始めたらとまらないほどおもしろくて数日で読み上げてしまった(っていっても最終巻はないから読めなかったが)。そのことを友人に言ったら、「僕も読みたい」と言うので気前よくその5冊を彼にやってしまった。数年前、その角川版がリバイバル復刊したので即セット購入したが、未読の最終巻はいまだに読まずじまいでしまってある。ところがその角川版は英語かなんかからの重訳だったらしい。岩波文庫版は初のロシア語からの訳だ、と帯に歌ってある。これでもう一度読み直したいと思う。 岩波文庫は、自分の持っていない本で美本が100円で出ていれば基本的には買うようにしている。今日買ったのは端本が多いが、アマゾンでは端本も出品できるし、それが結構売れるのだ。自分が読んで続きが欲しくなったら、アマゾンで探せばたいてい見つかるから、端本でもどんどん買うことにしている。 中公文庫『レイモンド・カーヴァー傑作選』(村上春樹編・訳)。村上の選択眼は信用できると僕が好きな評論家・豊崎由美が言ってるから、買った。 武田泰淳『士魂商才』(岩波現代文庫)。これは、武田もまあまあ好きだが、巻末に丸山真男の解説があるというので買った。 川勝平太『富国有徳論』(中公文庫)。中公文化人らしく大風呂敷の川勝、特に好きな著者ではないが、話題になった本なので買った。 中野孝次『実朝考』。この著者には旧制高校風の人格主義風なイメージがあり、あまり好きではないが、講談社文芸文庫はアマゾンでの値段もいいので、一応買っておこうと。それに実朝は好きな歌人だ。吉本隆明の『源実朝』は、吉本の本の中でも特に印象に残っている。それと比べてどうかな? ドナルド・ドーア『イギリスの工場・日本の工場』(下)。とってもよく日本のことを理解していて、日本人の思いつかない角度から日本を評価するドーア先生。この本は前から読みたいと思っていた本。 以上、ぜーんぶで新刊書1冊分にもならないお値段。ああ、文庫本に感謝、ブックオフに感謝。 *9月10日(月) 黒崎書店/『下流社会』 NPO関係の会議で、大阪へ出張。 初めて合う人も十数人いる。こういうところで、「初めましてどうぞよろしく」と自分から名刺を差し出しに行き、「いかがですかおたくは」というようなことを二言三言しゃべるというようなことが僕は苦手である。そこで、会合場所にはなるべく定刻直前に入る、そして会議が終わるとすぐに出てくる。もちろん、何か特定の人に挨拶する必要とか、ものを聞きたいとかいう場合は、きちんと自分から話しに行くのだが、興味のない人に対して儀礼だけの挨拶というのはしない。 儀礼であっても、自分から行ってしゃべってくると、思わぬ情報をもらったり、向こうが気さくな人で話が弾んで親しくなる、ということがあるのは重々わかっているのだが、苦手なものは苦手である。無理をしないことにしている。 帰りに、前から一度行きたいと思っていた、阪和線南田辺駅前の古書店「黒崎書店」に寄る。ネットで調べると膨大な在庫を誇る店であるが、間口2間の小さな店であった。しかし、置いてある本はなかなか質が高い。マンガやタレント本、ハウツー本などは一切ない。なんでこんな場所にこんなグレードの高い古書店があるんだろうと不思議に思う(和歌山にはないぞ!)。そして場所柄であろうか、値段は低めに設定してある。期待していたとおり、100円均一のワゴンの中にも絶版の良書がきらり。5000円で、大きな紙袋に一杯買って帰る。 行き帰りの電車の中で、昨年話題になった三浦展『下流社会』を読了。 若い世代(団塊ジュニア世代)では、自分が「上」「中」「下」のどの階層に属すると感じているかという「階層意識」調査で、「中」が減って、少数の「上」と多数の「下」に分裂しているのだという。現実にその世代が就職氷河期にあたってフリーターなど所得の低い層が多い、ということはある。しかし、著者が注目するのは、むしろ、上昇を目指さない、「下流」に安住する若者たちの生活意識だ。 「『下流』とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである」と。 団塊ジュニアの世代は、生まれてきたときにはすでに周囲にモノがあふれ、青少年の頃にはバブル全盛で消費の欲望がいやがうえにもふくらまされ、そして社会に出る頃から一転して長期の不況に遭遇して安定的な職に恵まれないことが普通になった。  社会全体が上昇志向のときには、特に上昇意欲の強い人間でなくてもともに上昇していくが、社会全体が停滞しているときには、上昇意欲の乏しい人間はそのまま落ちこぼれていき、ますます意欲を喪失する、という。なるほど。 *9月15日(土) 林真須美さんから 645起床。ほんとうは起床直後の1時間を、今一番優先順位の高い法律勉強に充てたいと思っているのだが、どうも頭がぼー、っとして、おまけに眼もぼーっとして(起きた直後は眼の筋肉が弛緩しているみたいで、細かい本の字に焦点を合わせられない。前はそういうことはなかったから、老化だな、これは)、5分と集中できないので、漫然と朝刊を読んでしまい、妻子が起きてくる時間となる。体操でもして目を覚まし、パソコンで日記を書いて頭をしゃきっとさせる、という方がいいかな。明日からはそうしよう。 店へ行き、母と朝ご飯を食べて朝の連続テレビ小説「どんと晴れ」を見る。主人公が若女将を務める老舗旅館が、義理の弟のしくじりによって乗っ取り屋にねらわれる危機。真剣に見てしまう。 10時より社民党県連事務所で、Mさんといっしょに、党機関誌「社会新報」(週刊)の県内定期購読者への発送作業。月に一回輪番で回ってくる任務だが、今日は初めてムスコを連れて行って手伝わせる。初めてのことだからおもしろいらしく一生懸命やってくれる。 その後昼飯をMさんにごちそうになる。実は、ムスコには、「手伝ってくれたら、Mさんがおいしいおそばをごちそうしてくれるで」といって釣ってきたのだ。ムスコにとっては初めての新内の「信濃庵」、食べたあとに点数を聞いたら、「100点」ということだった。ここはそばもうまいが、定食につくだし巻き玉子が楽しみだ。 Mさんと別れて、「社会新報」を郵便局に出しに行ってから、ホームセンターと書店に寄って買い物。 途中、いきなりものすごい土砂降りのにわか雨。5分くらいでぴたりとやんで、あとは真夏を思わせるカンカン照りに。 カミさんが、「いつまででも行ってきて」って言うので、家には帰らず、ムスコと店に戻った。 机の上に分厚い封書が置かれている。差出人は「林真須美」。うん? あけて見ると、なんと、毒物カレー殺人事件の犯人として有罪判決を受けて拘留中のあの人の支援団体のニュースとチラシが入っている。なんで僕に? とりあえず内容を走り読み。えん罪を主張しているわけだが、たしか彼女は、一審では、何も語ろうとしなかった、と記憶している。僕には、証言拒否は納得できない。法廷で堂々と反証すべきだと思う。 えん罪であるおそれはある。だったらたいへんなことだ。もっときちんと自分で調べて考えるべきだろうが、今は申し訳ないが、そういう関心がわかない。 彼女を、あの三浦和義氏が支援していることは知っていた。三浦氏は裁判で無罪になったわけだが、僕はかつて島田荘司の分厚い『三浦和義事件』を読んでも、かれが果たして本当に無罪なのか確信が持てなかった。まあ、刑事裁判というのは、有罪という確証がなければ無罪になるものだから、第三者の心証と判決が食い違うのは当然なのだ。裁判を、被害者や被告と特別関係のない普通の市民が、自分で評価し、批判するのは、難しい。強く持続する関心がなければ。 店で、二人それぞれの宿題をやる。ムスコは算数の。僕は、明日の平和運動グループの街頭署名のときに配るビラの原稿書きの。 夕食は、カミさんの料理で、栗ご飯、高野豆腐と椎茸の煮物、野菜サラダ、ジャコおろし。焼酎ロックで3杯。 食後は、書斎に戻らなきゃ、と思いながら、書斎が暑いのでついつい居間に居続けて、カミさんも見たいと言うのでもう一度かけたDVDの「アマデウス」やテレビの「ブロードキャスター」を見てしまう。 福田総理誕生がもはや既定事実のように報じられる。安倍首相誕生のときと同じような、いやそれ以上の雪崩現象で自民党議員が一人の総裁候補になびいていく。これだけ批判されてもだ。福田で一時の人気挽回はできると思うが、党全体がこのていたらくでは、再建は遠いなと思う。 法律の勉強は今日もさぼってしまった。 *[[自己啓発反省日記07年8月下]] より続く

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