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[[◎歴史の本棚06]] より続く [[◎歴史の本棚]] #contents #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)   ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *室町絵巻の魔力―再生と創造の中世 [著]高岸輝 [掲載]2008年10月12日 [評者]石上英一(東京大学教授・日本史) ■室町幕府が舞台の歴史小説の趣  絵巻は、紙や絹を継ぎ、絵を描き、詞書(ことばがき)を加えた巻物である。絵巻の制作・収集は、南北朝・室町時代、足利歴代の将軍にとって権力の象徴であった。  左大臣西園寺公衡(さいおんじきんひら)は、氏神である春日明神の霊験を描く「春日(かすが)権現験記(ごんげんけんき)絵巻」を制作した。鎌倉時代の傑作とされるこの絵巻は京の北山の西園寺家にあり、彼が1315年に没した後、奈良の春日社に奉納された。1392年に南北朝合体を遂げ権力の絶頂にあった足利義満は、1400年ごろにこの絵巻を春日社から請(しょう)じ、古今の絵巻の優劣を競う絵合(えあわせ)を行った。  義満は1394年に将軍を義持(よしもち)に譲り、翌年出家。次いで受戒して自らを法皇に、97年に造営した北山第(きたやまてい)を仙洞(せんとう)御所に擬したという。北山第は西園寺家の地、現在の金閣寺の地で、絵合はここで行われたと著者は推定する。南都の重宝は京に運ばれ、西園寺邸を継ぐ北山第に披(ひら)かれた。絵合に参じた皇族、春日社を氏神とする藤原氏の公卿(くぎょう)らは、秘宝を前に義満と源氏一統の力を再認識したに違いない。  足利義詮(よしあきら)・義満・義教らの追善に関(かか)わり制作された「融通念仏縁起(ゆうずうねんぶつえんぎ)絵巻」、近江に亡命政権を置いた足利義晴がその地を国土の中心、薬師浄土として制作した「桑実寺縁起(くわのみでらえんぎ)絵巻」なども、足利将軍の盛衰の中に位置づけられる。美術史の書ながら、室町幕府を舞台にした歴史小説を読むがごとくに引き込まれる。  土佐光信画「槻峯寺(つきみねでら)建立修行縁起(こんりゅうしゅぎょうえんぎ)絵巻」は摂津と丹波の境なす剣尾(けんび)山の月峯寺(げっぽうじ)の縁起を描く。この絵巻は、1493年に将軍足利義材(よしき)(後に義稙〈よしたね〉)を廃する政変を起こした細川政元が、分国支配、西方の敵大内氏の調伏、瀬戸内海の制海権を願って制作したと推定する。光信については、古典学習と抜群のデッサン力を基に、淡彩による空間表現や金銀の色彩化などによる繊細で洗練された新様式を創出したと評価し、絵師から芸術家への転換の可能性を示唆する。  著者は剣尾山を訪れ、光信自らが現地に赴いて霊峰を描いたことを確信した。絵巻のコピー片手に故地巡りをするのも魅力かもしれない。  たかぎし・あきら 71年米国生まれ。東京工大准教授。他に『室町王権と絵画』。 出版社:吉川弘文館  価格:¥ 3,990 この商品を購入する|ヘルプ URL:http://book.asahi.com/review/TKY200810140181.html *広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 [著]服部龍二/昭和天皇・マッカーサー会見 [著]豊下楢彦 [掲載]2008年9月7日 [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史) ■外交家の限界としたたかさを冷徹に  昭和の戦前・戦中期に、外相、さらに首相として、軍部からの強硬な要求をかわそうと努めていたにもかかわらず、戦後にはA級戦犯として処刑されるに至った、悲劇の宰相。広田弘毅については、城山三郎の伝記小説を通じて、そうした評価が定着している。  しかし服部龍二の新著によれば、広田は早くからアジア主義の団体に親しみ、政党政治を批判する官僚や軍人の集団とも交流を持っていた。外交官としては本流の、欧米との協調路線に基づきながら、中国・ソ連との和平も求め、「国士の風」を持ちあわせる。その個性ゆえに外相に任ぜられ、首相にまで昇りつめたのである。  だがその人物が権力を握ったとたんに、部下の独走や軍部の要求にひきずられ、日中戦争をなしくずしに拡大してしまう。それはまた、戦果によって世論を煽(あお)り、政権への支持を得ようとするポピュリズムの政策が招いた結果でもあった。服部はそこに、外交指導者としての広田の限界をきびしく指摘する。  実は、服部が引く証言によれば、この広田の決断力のなさを批判した同時代人の一人は、昭和天皇その人であったという。その昭和天皇が、特別な外交家としての能力を、戦後の占領期にも発揮していたようすを、豊下楢彦の本は克明に描く。  昭和天皇は、米国が主導する占領体制にいち早く協力を示すことで、皇室の存続を確保する。日米安保条約の作成にさいしても、方針の揺れる吉田茂内閣とは別に、みずから交渉の回路を開き、米軍基地の維持を日本側から求める手順へと、路線を定めようとした。  豊下の理解では、三種の神器が象徴する皇室の存続が、昭和天皇の重んじる至上の規範であった。そのため、共産主義に拠(よ)る「革命」勢力に抗する手段として、あえて米軍の駐留を望んだのである。  だが、昭和天皇自身にとっては、皇室の存続は、国家が永遠に生きのび、国民が新しい世代へ続いてゆくことと不可分だったはずである。その点を重視するなら、国内外の困難な状況に向きあいつつ、あらゆる手段を講じて国家の理想を実現しようとする、したたかな外交家の姿を、そこに見ることもできるだろう。  豊下は著書のなかで、歴史に対する「リアルな政治分析の眼(め)」の必要を説いている。広田弘毅も昭和天皇も、しばしば感傷に満ちた悲劇の主人公のように語られてしまう。そうした伝説に惑わされず、史料と歴史状況とをつきあわせ、彼らが本当に意図していた内容を、冷徹に解きあかすこと。ちょうど外交家に求められるものに似た、リアルな思考が、この二つの歴史書の叙述には息づいている。     ◇  はっとり・りゅうじ 68年生まれ。中央大学准教授。  とよした・ならひこ 45年生まれ。関西学院大学教授。 広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書 1951) 出版社:中央公論新社  価格:¥ 903 昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫 学術 193) 出版社:岩波書店  価格:¥ 1,050 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200809090135.html *「近代の超克」とは何か [著]子安宣邦 [掲載]2008年8月10日 [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)■昭和日本のイデオロギーを読み解く  本書が注目するのは、開戦直後に京都学派の知識人が持ち出した「近代の超克」という思想である。京都学派においては、明治以来の日本の近代はヨーロッパをまねたものでありその近代の支配を受け入れたものであったが、英米の支配に反発する大東亜戦争はそれをついに超克する思想の体現なのだとされる。大東亜戦争は「近代の超克」として正当化されたのだ。  著者は多角的な分析の末、この京都学派の思想は、戦争の自己弁護的なものに過ぎないとするが、しかし、戦後においてこの思想が竹内好によって高く評価されたことを問題にする。  著者によれば、竹内はかれ自身の「近代の超克」論を展開し、京都学派にはない「アジア」をそこに持ち込んだ。明治以来の「近代日本はアジアに在ってアジアではない」とする竹内によれば、「近代の超克」とはアジアの原理によって近代日本を超克する思想なのだ。近代欧米の駆逐の思想なのではない。そのアジアの原理とはなにか。それは、アジア固有の実態的原理ではなくて、自由や平等のような「西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する」姿勢である。 出版社:青土社  価格:¥ 2,310 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200808120129.html *近代日本の分岐点―日露戦争から満州事変前夜まで [著]深津真澄 [掲載]2008年8月10日  1945年8月の破局に至る激動の昭和を用意したのは、どんな時代だったのか。日露戦争から満州事変へとつながる政治・外交史を小村寿太郎、加藤高明、原敬、石橋湛山、田中義一の5人に焦点を当てて検証する。そして、朝鮮で「三・一独立運動」、中国で「五・四運動」が起きた1919(大正8)年を帝国日本の「決定的な岐路」だったとみる。この岐路にあって、植民地保有の矛盾を深く自覚するには歴史的限界があったと分析する。複雑に絡まる歴史の糸を解きほぐし概観できる。 近代日本の分岐点―日露戦争から満州事変前夜まで 著者:深津 真澄 出版社:ロゴス  価格:¥ 2,730 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200808120102.html *ベルリン終戦日記―ある女性の記録 作者不詳 [掲載]2008年8月3日 [評者]多賀幹子(フリージャーナリスト) ■最後の2カ月の惨状を赤裸々に  当時34歳の女性ジャーナリストが、45年4月20日から約2カ月間のベルリン陥落前後を日記に記録した。爆撃や首都占領、ヒトラー自殺などの惨状を背景に、ロシア兵によるドイツ人女性への集団暴行を赤裸々につづっている。  匿名で60年にドイツ語版が出ると「ドイツ人女性の名誉を汚す」などとして騒ぎが起きた。身を守るための性的協力は、戦後はタブーとされたのだ。著者は再版を望まず、01年に90歳で死去後、03年に「作者不詳」として新版が再版されたとの経緯をたどる。  著者はロシアを旅行したことがあり、ロシア語を多少話せた。暴行を続けるロシア兵を狼(おおかみ)にたとえ、「強い狼を連れて来て、他の狼どもが近づけないようにするしかない」と決意、敵軍の中から高位のパトロンを探す。  彼女のたくましさには圧倒されるが、同時にバランスの取れた人物観察力には驚嘆する。周囲のドイツ人男女ばかりでなく、ロシア兵さえ様々な背景を持つ“個人”として生き生きと描かれる。  待ちに待った婚約者が帰国したのに、「凌辱(りょうじょく)」を巡って2人は気まずくなる。「生き延びたのは幸福だったのか」との自問はあまりに痛々しい。反戦メッセージを充満させて、今にも火を噴きそうな一冊だ。 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200808050104.html *中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景 [著]榎原雅治 [朝日]2008年6月22日 抜粋 [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)■紀行文をたどって当時の光景を復元  鎌倉時代、京から鎌倉に向かうには、近江から美濃の不破を越え熱田に至った。そこで、中世の揖斐川・長良川・木曽川の流路変遷を、濃尾地域の地殻変動などから検討し、東海道の景観を河川とのかかわりで復元する。  鳴海からさらに東に進むと浜名湖に至る。通説は、明応7(1498)年の東海地震で浜名湖が沈降し、海水が流入して汽水湖になったとする。著者は、紀行文が描く光景と明応地震史料の分析から通説を批判し、中世の浜名湖は遠州灘と潮入りの水路で結ばれ、橋を架ける渡河点に橋本宿がある景観を復元する。  著者は、中世東海道の紀行文を読むという主旋律に乗せ、歴史学、考古学・文学・地理学や地震学・地質学などの事実を合奏させると言う。新しい歴史学の試みの書である。 著者:榎原 雅治 出版社:中央公論新社   URL:http://book.asahi.com/review/TKY200806240154.html *0612 近代・アジア・陽明学 [著]荻生茂博/荻生徂徠 [著]田尻祐一郎 [朝日] [掲載]2008年06月01日 [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)  一昨年に逝去した思想史家、荻生茂博の遺著である『近代・アジア・陽明学』は、徳川時代の陽明学について専門家の間でもかつて流布した定説に、根本から疑問を投げかける。体制擁護の理論である朱子学に対して、改革と抵抗の側に立つ儒学という思想像。それを代表するのが、公儀に対して反乱を起こした大塩中斎(平八郎)であるとされてきた。  しかし、東アジア全体にわたる知の交流という観点からとらえなおすと、まったく別の姿が浮かびあがる。中国の陽明学の学統から見れば、中斎が学んだのは、むしろ朱子学との折衷をめざす潮流であった。心情の純粋性と激しい実践を陽明学の特色とするのは、むしろ近代になってから、ナショナリズムと結びつけて創(つく)られた思想像なのである。  このように荻生は、中国と朝鮮の儒学思想にもわけいり、近代の国民国家が育てた各国別の歴史像を打ち破って、海を越えて広がる思想空間へと、個々の言説を投げ返した。その壮大な試みは残念ながら中断されたが、遺(のこ)されたこの本は、歴史の見取り図を刷新するさまざまな可能性を、指し示している。  かつて徂徠の思想は、徳川支配体制の御用思想家とか、政治原理における「近代」の萌芽(ほうが)とかいった総括を、研究者によって被(かぶ)せられてきた。そうした早急な結論づけを避け、著作の内にある論理をていねいに解きほぐすことを通じて、田尻は歴史哲学者もしくは文明批評家としての徂徠の全体像を、明快に描いている。  評伝の末尾には、同時代の中国や朝鮮の儒学者も徂徠の著書を読み、自著に引用したという指摘がある。一人の思想家の思想を掘り下げて理解する方法と、国境をこえる議論の空間に、その思想を位置づける方法と。両者の接近手法は、対極にあるように見えながら、過去の思想にむきあう、共通の学問倫理に発している。そうした探求の厳しさと喜びが、二つの新著から伝わってくる。 出版社:ぺりかん社 価格:¥ 7,560 出版社:明徳出版社 価格:¥ 3,150 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200806030104.html *0525 稲作渡来民―「日本人」成立の謎に迫る [著]池橋宏 [朝日] [掲載]2008年05月25日 [評者]柄谷行人(評論家)  柳田国男は『海上の道』で、南島づたいに日本に稲作が伝えられたと主張した。以来、それを否定する人たちも、渡来した稲作民(弥生人)の技術を、先住民(縄文人)がどのように受容したかを主要な関心事としてきたといえよう。しかし、と、著者はいう。そのような見方は、一般に、狩猟採集民にとって農耕への飛躍がいかに困難であるかを無視するものだ。小規模な畠作(はたさく)農業ならともかく、水田稲作のように特殊な技術を要するものを進んで受け入れることは考えられない。  著者は、中国の春秋時代に長江下流域で開始された水田稲作の技術をもった人たちが山東半島に進出し、朝鮮半島南部を経て、日本に渡来したという。本書は、それを多角的な観点から立証しようとするものである。水田稲作の起源は、日本人の起源・日本語の起源という問題と重なっている。本書は、最新の考古学、自然人類学、言語学の成果を動員して、それらを一挙に解決しようとする壮大な試みである。  かいつまんでいうと、稲作民は小舟で少しずつ渡来した。そのため、言語的には先住民の言語に同化した。だが、稲作民は当初少数であっても、生産力とともに人口増加率が非常に高く、やがて圧倒的な主流派となった、というのが著者の考えである。 出版社:講談社 価格:¥ 1,785 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200805270132.html *0525 欧米人の見た開国期日本―異文化としての庶民生活 [著]石川榮吉 [朝日] [掲載]2008年05月25日 [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)  石川榮吉は、オセアニア・インドネシア社会調査、ポリネシア史、日本人のオセアニア観・ヨーロッパ観の研究を進めた社会人類学者である。石川は、17世紀末にオランダ商館の医師として滞在したケンペル、19世紀のシーボルト、ペリー、ハリス、オールコック、アーネスト・サトウ、東大で動物学を講じたモースなどの40の記録を網羅し、欧米人の見た近世・維新期、明治前期の日本を紹介する。また、明治11年に東京から北海道まで旅行した英国のイザベラ・バードの旅行記、勝海舟の三男梅太郎の妻となったクララ・ホイットニーの日記など、女性の視点も紹介する。 出版社:風響社 価格:¥ 2,625 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200805270146.html *古代の風景へ [著]千田稔 [朝日] [掲載]2007年08月05日 [評者]野口武彦(文芸評論家) ■大和の山川に宿る歴史、現在から読む  大和は国のまほろば。  奈良盆地の東端を桜井から天理へと続く山の辺の道は、歩く人々を不思議な懐かしさで包み込む。この独特な風景は、周辺一帯が「大和王権の誕生の地」であった歴史と無関係ではなかろう。  風景の原義は、《空気と光のたたずまい》にすぎない。眼(め)の前の山川草木に特定の立体感を与えるのは、その土地の歴史の残像だ。著者の視線が向かう先々で、風景から歴史が身を起こしてくる。  やがて日本国全体の異称になる「やまと」は、もともと大和の国の一郷の小地域名から発祥している。その場所はどこであったか。それを検証する第一章「周濠(しゅうごう)と聖水」では、地理に想像力の補助線を加え、三輪山と巻向山(まきむくやま)との間に新羅(しらぎ)系・出雲系両集団による権力争奪の対峙(たいじ)ラインを引く。従来の三輪王権論と一線を画して、この土地に卑弥呼の推戴(すいたい)に至る倭国大乱(わこくたいらん)の跡を仮想するのである。  風景に歴史を探るとは、自然地形に古代人の眼差(まなざ)しを注ぐことだ。「聖なる土地」だった飛鳥は、多武峰(とうのみね)を視界に入れることでその聖空間性がよみがえる。その秘密を解くヒントは近年発掘された亀形石造物にある、という見方がユニークだ。宮都構想の大本に、多武峰の神仙境を背に載せた亀がいるという道教思想の影響を見出(みいだ)すのである。  キトラ古墳の壁画をめぐる論も多くを教えてくれる。話題になった星宿図を高句麗起源とする説に従い、被葬者を百済(くだら)王家に連なる人物と「憶測」するのであるが、同時にそれを窓口にして、唐・新羅の連合軍と百済を支援する倭(やまと)との対立軸という「東アジアの地政学的な情勢」を読み取る視点が鋭い。  日本最古の都城とされる藤原京は、唐の長安をコピーして日常的な風景を直線で分断する「計画都市」だったが、周囲に香具山(かぐやま)・畝傍(うねび)・耳成(みみなし)の大和三山を配していた。  藤原京から平城京へ、さらに長岡京・平安京へとめまぐるしく移り変わった歴代宮都の遺跡は、「血で血を洗う政争」の残骸(ざんがい)だ。歴史は地理に宿る。古代の風景は眺める側の現在地を見返してくる。      ◇  せんだ・みのる 42年生まれ。国際日本文化研究センター教授、奈良県立図書情報館長。 古代の風景へ 著者:千田 稔 出版社:大阪東方出版 価格:¥ 2,100 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200708070309.html *残留日本兵の真実―インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録 [著]林英一 [朝日] [掲載]2007年08月05日 [評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史) ■1次資料を発掘して跡づけ  第2次世界大戦後にインドネシア独立戦争に参加した残留日本兵は、約千人に及んだという。本書は、インドネシア名をラフマットという残留日本兵小野盛が記した独立戦争期の第一次資料を発掘し、インドネシア独立の複雑な政治過程を丁寧に追いながら、彼が独立戦争に身を投じた過程を跡づけたものである。  著者は、残留日本兵の独立戦争への参加動機とされる、「アジア独立」をめざしてという理由づけは、むしろ後になって作られた説明であると推測している。ただし残留の動機は何であれ、元日本兵たちが軍人としての知識や経験を元手に、日本の国家や軍を離れた一個人として異国で生きようと決意したのは事実である。しかし自力で独立を勝ち取ったとするインドネシアのナショナリズムの論理は、独立に協力した元日本兵を「厄介者」に変えてしまう面があった。  本書は、一個人のアジアとの交流史という観点を強調しているが、小野の後半生を含め残留日本兵の人生は、高度経済成長期以降には、一度は捨てたはずの日本との関係に大きく規定されたようにも見える。なお著者は84年生まれであり、資料の博捜ぶりなどその早熟の才能に驚かされる。 残留日本兵の真実―インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録 著者:林 英一 出版社:作品社 価格:¥ 3,360 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200708070314.html *近代による超克(上・下) [著]ハリー・ハルトゥーニアン [朝日] [掲載]2007年08月05日 [評者]北田暁大(東京大学准教授・社会学) ■絡み合った多彩な思想の網の目描く  訳者もいうように、本書において展開される「戦間期日本の思想史」は、異国趣味的な関心から書かれた日本特殊論ではないし、またもっぱら日本人の専門的な思想史家を宛(あ)て名とした研究でもない。  「戦間期日本」という時空間で生み出された様々な言論と思想実践を、グローバルな経済的・政治的・文化的文脈に位置づけながら理解し、そうすることによって、(西洋的)近代を乗り越えようとする思想的試みが現れ出るプロセスの動態を浮かび上がらせていくこと。本書の試みは、まさしく「ポストモダンの思想史」と呼ばれるにふさわしい方法論的意識を内包している。  そうした方法論的意識を具体化するために著者がとっている戦略は、きわめて複雑なものとなっている。1942年の「近代の超克」座談会をはじめとして、村山知義、戸坂潤、権田保之助、和辻哲郎、九鬼周造、三木清、柳田国男、折口信夫などと実に多彩な人々の思想が俎上(そじょう)に載せられ、それらが網の目のように絡み合いながら、戦間期日本における「近代」「モダニズム」をめぐる思想空間を作り上げていく様子が詳細に描かれる。  だから本書は、戦間期日本における思想を時系列に沿ってマッピングした「列伝記」ではない。読者は、時間的に行きつ戻りつする込み入った議論を追尾することによって、複雑に絡み合った言論のネットワークのダイナミズムを――ときに同時代における国外の思想との照応関係を確認しつつ――体感することとなるだろう。すべて読み通した後に、(少々難解な)「序」における著者の問題意識が、遡及(そきゅう)的にじわじわと伝わってくる本である。  複雑な記述スタイルであるとはいえ、もちろん道標がないわけではない。様々な思想家たちが微妙な差異を伴いながら用いている「日常性」といったキーワードなどは、一つの手かがりとなるだろう。丁寧な訳者解説もある。このチャレンジングな思想史の試みが日本でどう受け止められるか、注目していくこととしたい。      ◇  OVERCOME BY MODERNITY/梅森直之訳/Harry Harootunian ニューヨーク大学教授・東アジア研究所長。 近代による超克 上―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (1) 著者:ハリー・ハルトゥーニアン 出版社:岩波書店 価格:¥ 3,885 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200708070303.html
[[◎歴史の本棚06]] より続く [[◎歴史の本棚]] #contents - 本番OKらしいです(´-ω-)♂ http://64n.co/ -- 名無し (2012-03-03 04:58:19) #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)   ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *室町絵巻の魔力―再生と創造の中世 [著]高岸輝 [掲載]2008年10月12日 [評者]石上英一(東京大学教授・日本史) ■室町幕府が舞台の歴史小説の趣  絵巻は、紙や絹を継ぎ、絵を描き、詞書(ことばがき)を加えた巻物である。絵巻の制作・収集は、南北朝・室町時代、足利歴代の将軍にとって権力の象徴であった。  左大臣西園寺公衡(さいおんじきんひら)は、氏神である春日明神の霊験を描く「春日(かすが)権現験記(ごんげんけんき)絵巻」を制作した。鎌倉時代の傑作とされるこの絵巻は京の北山の西園寺家にあり、彼が1315年に没した後、奈良の春日社に奉納された。1392年に南北朝合体を遂げ権力の絶頂にあった足利義満は、1400年ごろにこの絵巻を春日社から請(しょう)じ、古今の絵巻の優劣を競う絵合(えあわせ)を行った。  義満は1394年に将軍を義持(よしもち)に譲り、翌年出家。次いで受戒して自らを法皇に、97年に造営した北山第(きたやまてい)を仙洞(せんとう)御所に擬したという。北山第は西園寺家の地、現在の金閣寺の地で、絵合はここで行われたと著者は推定する。南都の重宝は京に運ばれ、西園寺邸を継ぐ北山第に披(ひら)かれた。絵合に参じた皇族、春日社を氏神とする藤原氏の公卿(くぎょう)らは、秘宝を前に義満と源氏一統の力を再認識したに違いない。  足利義詮(よしあきら)・義満・義教らの追善に関(かか)わり制作された「融通念仏縁起(ゆうずうねんぶつえんぎ)絵巻」、近江に亡命政権を置いた足利義晴がその地を国土の中心、薬師浄土として制作した「桑実寺縁起(くわのみでらえんぎ)絵巻」なども、足利将軍の盛衰の中に位置づけられる。美術史の書ながら、室町幕府を舞台にした歴史小説を読むがごとくに引き込まれる。  土佐光信画「槻峯寺(つきみねでら)建立修行縁起(こんりゅうしゅぎょうえんぎ)絵巻」は摂津と丹波の境なす剣尾(けんび)山の月峯寺(げっぽうじ)の縁起を描く。この絵巻は、1493年に将軍足利義材(よしき)(後に義稙〈よしたね〉)を廃する政変を起こした細川政元が、分国支配、西方の敵大内氏の調伏、瀬戸内海の制海権を願って制作したと推定する。光信については、古典学習と抜群のデッサン力を基に、淡彩による空間表現や金銀の色彩化などによる繊細で洗練された新様式を創出したと評価し、絵師から芸術家への転換の可能性を示唆する。  著者は剣尾山を訪れ、光信自らが現地に赴いて霊峰を描いたことを確信した。絵巻のコピー片手に故地巡りをするのも魅力かもしれない。  たかぎし・あきら 71年米国生まれ。東京工大准教授。他に『室町王権と絵画』。 出版社:吉川弘文館  価格:¥ 3,990 この商品を購入する|ヘルプ URL:http://book.asahi.com/review/TKY200810140181.html *広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 [著]服部龍二/昭和天皇・マッカーサー会見 [著]豊下楢彦 [掲載]2008年9月7日 [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史) ■外交家の限界としたたかさを冷徹に  昭和の戦前・戦中期に、外相、さらに首相として、軍部からの強硬な要求をかわそうと努めていたにもかかわらず、戦後にはA級戦犯として処刑されるに至った、悲劇の宰相。広田弘毅については、城山三郎の伝記小説を通じて、そうした評価が定着している。  しかし服部龍二の新著によれば、広田は早くからアジア主義の団体に親しみ、政党政治を批判する官僚や軍人の集団とも交流を持っていた。外交官としては本流の、欧米との協調路線に基づきながら、中国・ソ連との和平も求め、「国士の風」を持ちあわせる。その個性ゆえに外相に任ぜられ、首相にまで昇りつめたのである。  だがその人物が権力を握ったとたんに、部下の独走や軍部の要求にひきずられ、日中戦争をなしくずしに拡大してしまう。それはまた、戦果によって世論を煽(あお)り、政権への支持を得ようとするポピュリズムの政策が招いた結果でもあった。服部はそこに、外交指導者としての広田の限界をきびしく指摘する。  実は、服部が引く証言によれば、この広田の決断力のなさを批判した同時代人の一人は、昭和天皇その人であったという。その昭和天皇が、特別な外交家としての能力を、戦後の占領期にも発揮していたようすを、豊下楢彦の本は克明に描く。  昭和天皇は、米国が主導する占領体制にいち早く協力を示すことで、皇室の存続を確保する。日米安保条約の作成にさいしても、方針の揺れる吉田茂内閣とは別に、みずから交渉の回路を開き、米軍基地の維持を日本側から求める手順へと、路線を定めようとした。  豊下の理解では、三種の神器が象徴する皇室の存続が、昭和天皇の重んじる至上の規範であった。そのため、共産主義に拠(よ)る「革命」勢力に抗する手段として、あえて米軍の駐留を望んだのである。  だが、昭和天皇自身にとっては、皇室の存続は、国家が永遠に生きのび、国民が新しい世代へ続いてゆくことと不可分だったはずである。その点を重視するなら、国内外の困難な状況に向きあいつつ、あらゆる手段を講じて国家の理想を実現しようとする、したたかな外交家の姿を、そこに見ることもできるだろう。  豊下は著書のなかで、歴史に対する「リアルな政治分析の眼(め)」の必要を説いている。広田弘毅も昭和天皇も、しばしば感傷に満ちた悲劇の主人公のように語られてしまう。そうした伝説に惑わされず、史料と歴史状況とをつきあわせ、彼らが本当に意図していた内容を、冷徹に解きあかすこと。ちょうど外交家に求められるものに似た、リアルな思考が、この二つの歴史書の叙述には息づいている。     ◇  はっとり・りゅうじ 68年生まれ。中央大学准教授。  とよした・ならひこ 45年生まれ。関西学院大学教授。 広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書 1951) 出版社:中央公論新社  価格:¥ 903 昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫 学術 193) 出版社:岩波書店  価格:¥ 1,050 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200809090135.html *「近代の超克」とは何か [著]子安宣邦 [掲載]2008年8月10日 [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)■昭和日本のイデオロギーを読み解く  本書が注目するのは、開戦直後に京都学派の知識人が持ち出した「近代の超克」という思想である。京都学派においては、明治以来の日本の近代はヨーロッパをまねたものでありその近代の支配を受け入れたものであったが、英米の支配に反発する大東亜戦争はそれをついに超克する思想の体現なのだとされる。大東亜戦争は「近代の超克」として正当化されたのだ。  著者は多角的な分析の末、この京都学派の思想は、戦争の自己弁護的なものに過ぎないとするが、しかし、戦後においてこの思想が竹内好によって高く評価されたことを問題にする。  著者によれば、竹内はかれ自身の「近代の超克」論を展開し、京都学派にはない「アジア」をそこに持ち込んだ。明治以来の「近代日本はアジアに在ってアジアではない」とする竹内によれば、「近代の超克」とはアジアの原理によって近代日本を超克する思想なのだ。近代欧米の駆逐の思想なのではない。そのアジアの原理とはなにか。それは、アジア固有の実態的原理ではなくて、自由や平等のような「西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する」姿勢である。 出版社:青土社  価格:¥ 2,310 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200808120129.html *近代日本の分岐点―日露戦争から満州事変前夜まで [著]深津真澄 [掲載]2008年8月10日  1945年8月の破局に至る激動の昭和を用意したのは、どんな時代だったのか。日露戦争から満州事変へとつながる政治・外交史を小村寿太郎、加藤高明、原敬、石橋湛山、田中義一の5人に焦点を当てて検証する。そして、朝鮮で「三・一独立運動」、中国で「五・四運動」が起きた1919(大正8)年を帝国日本の「決定的な岐路」だったとみる。この岐路にあって、植民地保有の矛盾を深く自覚するには歴史的限界があったと分析する。複雑に絡まる歴史の糸を解きほぐし概観できる。 近代日本の分岐点―日露戦争から満州事変前夜まで 著者:深津 真澄 出版社:ロゴス  価格:¥ 2,730 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200808120102.html *ベルリン終戦日記―ある女性の記録 作者不詳 [掲載]2008年8月3日 [評者]多賀幹子(フリージャーナリスト) ■最後の2カ月の惨状を赤裸々に  当時34歳の女性ジャーナリストが、45年4月20日から約2カ月間のベルリン陥落前後を日記に記録した。爆撃や首都占領、ヒトラー自殺などの惨状を背景に、ロシア兵によるドイツ人女性への集団暴行を赤裸々につづっている。  匿名で60年にドイツ語版が出ると「ドイツ人女性の名誉を汚す」などとして騒ぎが起きた。身を守るための性的協力は、戦後はタブーとされたのだ。著者は再版を望まず、01年に90歳で死去後、03年に「作者不詳」として新版が再版されたとの経緯をたどる。  著者はロシアを旅行したことがあり、ロシア語を多少話せた。暴行を続けるロシア兵を狼(おおかみ)にたとえ、「強い狼を連れて来て、他の狼どもが近づけないようにするしかない」と決意、敵軍の中から高位のパトロンを探す。  彼女のたくましさには圧倒されるが、同時にバランスの取れた人物観察力には驚嘆する。周囲のドイツ人男女ばかりでなく、ロシア兵さえ様々な背景を持つ“個人”として生き生きと描かれる。  待ちに待った婚約者が帰国したのに、「凌辱(りょうじょく)」を巡って2人は気まずくなる。「生き延びたのは幸福だったのか」との自問はあまりに痛々しい。反戦メッセージを充満させて、今にも火を噴きそうな一冊だ。 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200808050104.html *中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景 [著]榎原雅治 [朝日]2008年6月22日 抜粋 [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)■紀行文をたどって当時の光景を復元  鎌倉時代、京から鎌倉に向かうには、近江から美濃の不破を越え熱田に至った。そこで、中世の揖斐川・長良川・木曽川の流路変遷を、濃尾地域の地殻変動などから検討し、東海道の景観を河川とのかかわりで復元する。  鳴海からさらに東に進むと浜名湖に至る。通説は、明応7(1498)年の東海地震で浜名湖が沈降し、海水が流入して汽水湖になったとする。著者は、紀行文が描く光景と明応地震史料の分析から通説を批判し、中世の浜名湖は遠州灘と潮入りの水路で結ばれ、橋を架ける渡河点に橋本宿がある景観を復元する。  著者は、中世東海道の紀行文を読むという主旋律に乗せ、歴史学、考古学・文学・地理学や地震学・地質学などの事実を合奏させると言う。新しい歴史学の試みの書である。 著者:榎原 雅治 出版社:中央公論新社   URL:http://book.asahi.com/review/TKY200806240154.html *0612 近代・アジア・陽明学 [著]荻生茂博/荻生徂徠 [著]田尻祐一郎 [朝日] [掲載]2008年06月01日 [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)  一昨年に逝去した思想史家、荻生茂博の遺著である『近代・アジア・陽明学』は、徳川時代の陽明学について専門家の間でもかつて流布した定説に、根本から疑問を投げかける。体制擁護の理論である朱子学に対して、改革と抵抗の側に立つ儒学という思想像。それを代表するのが、公儀に対して反乱を起こした大塩中斎(平八郎)であるとされてきた。  しかし、東アジア全体にわたる知の交流という観点からとらえなおすと、まったく別の姿が浮かびあがる。中国の陽明学の学統から見れば、中斎が学んだのは、むしろ朱子学との折衷をめざす潮流であった。心情の純粋性と激しい実践を陽明学の特色とするのは、むしろ近代になってから、ナショナリズムと結びつけて創(つく)られた思想像なのである。  このように荻生は、中国と朝鮮の儒学思想にもわけいり、近代の国民国家が育てた各国別の歴史像を打ち破って、海を越えて広がる思想空間へと、個々の言説を投げ返した。その壮大な試みは残念ながら中断されたが、遺(のこ)されたこの本は、歴史の見取り図を刷新するさまざまな可能性を、指し示している。  かつて徂徠の思想は、徳川支配体制の御用思想家とか、政治原理における「近代」の萌芽(ほうが)とかいった総括を、研究者によって被(かぶ)せられてきた。そうした早急な結論づけを避け、著作の内にある論理をていねいに解きほぐすことを通じて、田尻は歴史哲学者もしくは文明批評家としての徂徠の全体像を、明快に描いている。  評伝の末尾には、同時代の中国や朝鮮の儒学者も徂徠の著書を読み、自著に引用したという指摘がある。一人の思想家の思想を掘り下げて理解する方法と、国境をこえる議論の空間に、その思想を位置づける方法と。両者の接近手法は、対極にあるように見えながら、過去の思想にむきあう、共通の学問倫理に発している。そうした探求の厳しさと喜びが、二つの新著から伝わってくる。 出版社:ぺりかん社 価格:¥ 7,560 出版社:明徳出版社 価格:¥ 3,150 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200806030104.html *0525 稲作渡来民―「日本人」成立の謎に迫る [著]池橋宏 [朝日] [掲載]2008年05月25日 [評者]柄谷行人(評論家)  柳田国男は『海上の道』で、南島づたいに日本に稲作が伝えられたと主張した。以来、それを否定する人たちも、渡来した稲作民(弥生人)の技術を、先住民(縄文人)がどのように受容したかを主要な関心事としてきたといえよう。しかし、と、著者はいう。そのような見方は、一般に、狩猟採集民にとって農耕への飛躍がいかに困難であるかを無視するものだ。小規模な畠作(はたさく)農業ならともかく、水田稲作のように特殊な技術を要するものを進んで受け入れることは考えられない。  著者は、中国の春秋時代に長江下流域で開始された水田稲作の技術をもった人たちが山東半島に進出し、朝鮮半島南部を経て、日本に渡来したという。本書は、それを多角的な観点から立証しようとするものである。水田稲作の起源は、日本人の起源・日本語の起源という問題と重なっている。本書は、最新の考古学、自然人類学、言語学の成果を動員して、それらを一挙に解決しようとする壮大な試みである。  かいつまんでいうと、稲作民は小舟で少しずつ渡来した。そのため、言語的には先住民の言語に同化した。だが、稲作民は当初少数であっても、生産力とともに人口増加率が非常に高く、やがて圧倒的な主流派となった、というのが著者の考えである。 出版社:講談社 価格:¥ 1,785 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200805270132.html *0525 欧米人の見た開国期日本―異文化としての庶民生活 [著]石川榮吉 [朝日] [掲載]2008年05月25日 [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)  石川榮吉は、オセアニア・インドネシア社会調査、ポリネシア史、日本人のオセアニア観・ヨーロッパ観の研究を進めた社会人類学者である。石川は、17世紀末にオランダ商館の医師として滞在したケンペル、19世紀のシーボルト、ペリー、ハリス、オールコック、アーネスト・サトウ、東大で動物学を講じたモースなどの40の記録を網羅し、欧米人の見た近世・維新期、明治前期の日本を紹介する。また、明治11年に東京から北海道まで旅行した英国のイザベラ・バードの旅行記、勝海舟の三男梅太郎の妻となったクララ・ホイットニーの日記など、女性の視点も紹介する。 出版社:風響社 価格:¥ 2,625 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200805270146.html *古代の風景へ [著]千田稔 [朝日] [掲載]2007年08月05日 [評者]野口武彦(文芸評論家) ■大和の山川に宿る歴史、現在から読む  大和は国のまほろば。  奈良盆地の東端を桜井から天理へと続く山の辺の道は、歩く人々を不思議な懐かしさで包み込む。この独特な風景は、周辺一帯が「大和王権の誕生の地」であった歴史と無関係ではなかろう。  風景の原義は、《空気と光のたたずまい》にすぎない。眼(め)の前の山川草木に特定の立体感を与えるのは、その土地の歴史の残像だ。著者の視線が向かう先々で、風景から歴史が身を起こしてくる。  やがて日本国全体の異称になる「やまと」は、もともと大和の国の一郷の小地域名から発祥している。その場所はどこであったか。それを検証する第一章「周濠(しゅうごう)と聖水」では、地理に想像力の補助線を加え、三輪山と巻向山(まきむくやま)との間に新羅(しらぎ)系・出雲系両集団による権力争奪の対峙(たいじ)ラインを引く。従来の三輪王権論と一線を画して、この土地に卑弥呼の推戴(すいたい)に至る倭国大乱(わこくたいらん)の跡を仮想するのである。  風景に歴史を探るとは、自然地形に古代人の眼差(まなざ)しを注ぐことだ。「聖なる土地」だった飛鳥は、多武峰(とうのみね)を視界に入れることでその聖空間性がよみがえる。その秘密を解くヒントは近年発掘された亀形石造物にある、という見方がユニークだ。宮都構想の大本に、多武峰の神仙境を背に載せた亀がいるという道教思想の影響を見出(みいだ)すのである。  キトラ古墳の壁画をめぐる論も多くを教えてくれる。話題になった星宿図を高句麗起源とする説に従い、被葬者を百済(くだら)王家に連なる人物と「憶測」するのであるが、同時にそれを窓口にして、唐・新羅の連合軍と百済を支援する倭(やまと)との対立軸という「東アジアの地政学的な情勢」を読み取る視点が鋭い。  日本最古の都城とされる藤原京は、唐の長安をコピーして日常的な風景を直線で分断する「計画都市」だったが、周囲に香具山(かぐやま)・畝傍(うねび)・耳成(みみなし)の大和三山を配していた。  藤原京から平城京へ、さらに長岡京・平安京へとめまぐるしく移り変わった歴代宮都の遺跡は、「血で血を洗う政争」の残骸(ざんがい)だ。歴史は地理に宿る。古代の風景は眺める側の現在地を見返してくる。      ◇  せんだ・みのる 42年生まれ。国際日本文化研究センター教授、奈良県立図書情報館長。 古代の風景へ 著者:千田 稔 出版社:大阪東方出版 価格:¥ 2,100 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200708070309.html *残留日本兵の真実―インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録 [著]林英一 [朝日] [掲載]2007年08月05日 [評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史) ■1次資料を発掘して跡づけ  第2次世界大戦後にインドネシア独立戦争に参加した残留日本兵は、約千人に及んだという。本書は、インドネシア名をラフマットという残留日本兵小野盛が記した独立戦争期の第一次資料を発掘し、インドネシア独立の複雑な政治過程を丁寧に追いながら、彼が独立戦争に身を投じた過程を跡づけたものである。  著者は、残留日本兵の独立戦争への参加動機とされる、「アジア独立」をめざしてという理由づけは、むしろ後になって作られた説明であると推測している。ただし残留の動機は何であれ、元日本兵たちが軍人としての知識や経験を元手に、日本の国家や軍を離れた一個人として異国で生きようと決意したのは事実である。しかし自力で独立を勝ち取ったとするインドネシアのナショナリズムの論理は、独立に協力した元日本兵を「厄介者」に変えてしまう面があった。  本書は、一個人のアジアとの交流史という観点を強調しているが、小野の後半生を含め残留日本兵の人生は、高度経済成長期以降には、一度は捨てたはずの日本との関係に大きく規定されたようにも見える。なお著者は84年生まれであり、資料の博捜ぶりなどその早熟の才能に驚かされる。 残留日本兵の真実―インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録 著者:林 英一 出版社:作品社 価格:¥ 3,360 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200708070314.html *近代による超克(上・下) [著]ハリー・ハルトゥーニアン [朝日] [掲載]2007年08月05日 [評者]北田暁大(東京大学准教授・社会学) ■絡み合った多彩な思想の網の目描く  訳者もいうように、本書において展開される「戦間期日本の思想史」は、異国趣味的な関心から書かれた日本特殊論ではないし、またもっぱら日本人の専門的な思想史家を宛(あ)て名とした研究でもない。  「戦間期日本」という時空間で生み出された様々な言論と思想実践を、グローバルな経済的・政治的・文化的文脈に位置づけながら理解し、そうすることによって、(西洋的)近代を乗り越えようとする思想的試みが現れ出るプロセスの動態を浮かび上がらせていくこと。本書の試みは、まさしく「ポストモダンの思想史」と呼ばれるにふさわしい方法論的意識を内包している。  そうした方法論的意識を具体化するために著者がとっている戦略は、きわめて複雑なものとなっている。1942年の「近代の超克」座談会をはじめとして、村山知義、戸坂潤、権田保之助、和辻哲郎、九鬼周造、三木清、柳田国男、折口信夫などと実に多彩な人々の思想が俎上(そじょう)に載せられ、それらが網の目のように絡み合いながら、戦間期日本における「近代」「モダニズム」をめぐる思想空間を作り上げていく様子が詳細に描かれる。  だから本書は、戦間期日本における思想を時系列に沿ってマッピングした「列伝記」ではない。読者は、時間的に行きつ戻りつする込み入った議論を追尾することによって、複雑に絡み合った言論のネットワークのダイナミズムを――ときに同時代における国外の思想との照応関係を確認しつつ――体感することとなるだろう。すべて読み通した後に、(少々難解な)「序」における著者の問題意識が、遡及(そきゅう)的にじわじわと伝わってくる本である。  複雑な記述スタイルであるとはいえ、もちろん道標がないわけではない。様々な思想家たちが微妙な差異を伴いながら用いている「日常性」といったキーワードなどは、一つの手かがりとなるだろう。丁寧な訳者解説もある。このチャレンジングな思想史の試みが日本でどう受け止められるか、注目していくこととしたい。      ◇  OVERCOME BY MODERNITY/梅森直之訳/Harry Harootunian ニューヨーク大学教授・東アジア研究所長。 近代による超克 上―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (1) 著者:ハリー・ハルトゥーニアン 出版社:岩波書店 価格:¥ 3,885 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200708070303.html

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