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◎書評・市民の政策局 ラインナップ #contents *自治体発の政策革新―景観条例から景観法へ●伊藤修一郎 [掲載]2006年05月07日 [評者]小林良彰(慶應大学教授・政治学)  住宅地に突如、出現する巨大マンション。周囲との景観のバランスが崩れることなどお構いなし。特に、最近、従来は行政が行ってきた建築確認業務を民間検査機関でもできるようになってから、甘い検査がまかり通っている。  これに対し、住民の環境権を守るために、自治体で景観条例を定めることが要請されているが、果たして実態はどうであろうか。本書は、現在のわが国における景観条例の制定と波及について、全国の事例を丹念に集めるとともに、景観条例を持つ自治体に対するアンケート調査を行って実証的に解明した好著である。  その経過をみると、まず景観意識が高い住民や、それに応える首長や職員がいる先進的な自治体で条例が作られる。例えば、神戸市では異人館がある地区にマンションが立ち並ぶようになったことを契機に、職員や学識経験者が住民とともに都市景観条例を作成、制定した。そして、そうした先進条例を他自治体が模範として取り入れることによって全国に普及し、さらに国をも動かして景観法ができるという、まさにボトムアップ型のガバナンスの姿が浮かび上がって来る。  つまり、「地域的なサービスは、地域の自己決定に基づいて供給される」という地方自治の原則を体現しているとも言えるが、裏を返せば、それだけ国の景観行政が遅れていることの証左でもある。  また、たとえ景観条例ができても、その内容が「違反取り締まり」や「開発抑制」ではなく「景観誘導」である場合、その条例に従わない業者が出て来ることになる。  ここでも問題になるのが、建築確認であり、東京にある民間会社が行えば、曖昧(あいまい)な解釈を含む建築基準法だけを考慮し、地元の条例は無視されることもある。耐震偽装問題でも明らかになったように、やはり建築確認業務は、地元の自治体が自らの条例に基づいて周囲の景観にも配慮して行うべきではないか。  「建てる自由」という業者の意向ばかりが優先され、「環境を守る」住民の意向がないがしろにされがちなのが、日本の悲しい現実である。     ◇  いとう・しゅういちろう 60年生まれ。神奈川県職員などを経て現在、筑波大教授。 出版社: 木鐸社 ISBN: 4833223767 価格: ¥ 3,150 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605090297.html *おもろい町人(まちんちゅ)●延藤安弘 [掲載]2006年05月07日  この柔和な笑顔のお方は、延藤安弘(えんどう・やすひろ)・愛知産業大学教授でございます。専門は生活空間計画学。住まいだけではありません。広場も、街も、ぜ~んぶ同じつながりとしてとらえるんだそうです。行動派で、住民主体のまちづくり、まち育てを現地に出かけて応援しておられます。  で、そのきっかけになる方法というのが「幻燈(げんとう)会」。これからまち育てに取り組もうと考えている人たちに各地の事例をスライドで見せるんです。講談調の説明付きで。「参加者のノリがいいと、こっちのノリもよくなるんですよ」。講談が趣味というわけではないそうですが、「才能は引き出されるものですなあ」と笑っておられます。ははは。  で、その「幻燈会」の数あるネタの中から5本を収めたのがこの本なのでございます。ご本人が代表理事を務める名古屋のNPO法人「まちの縁側育くみ隊」の活動に、神戸市・真野地区、東京都武蔵野市、京都市・洛西ニュータウン、高知県赤岡町での住宅の建て替えや住民同士の交流の物語。写真が盛りだくさんで、住民の方々の表情が実にいきいきとしております。「まちを育てる感動を味わうと、あとは皆さん自分たちでどんどんやっていくようになる。私自身も楽しませてもらってます」  熊本大学や千葉大学の教授も務めてこられました。今は名古屋に住んで、全国各地を飛び回る日々。最近は行政の意識も変わり、住民参加がずいぶん進んできました。「まち育ての物語の遺伝子が列島各地に浸透している。そんな実感がありますね」。そう聞くと、なにやらこちらまで心が温まってまいります。  「著者に会いたい」、これにて一巻の読み切りでございます??という今回の記事の文体、そっくりこの本のまねなのでございますが。 出版社: 太郎次郎社エディタス ISBN: 4811807189 価格: ¥ 1,680 URL:http://book.asahi.com/author/TKY200605110194.html *変化する社会の不平等--少子高齢化にひそむ格差●白波瀬佐和子・編  (東京大学出版会・2625円)  ◇淡々とデータ示し、実態に切り込む  「勝ち組・負け組」といった言葉が流行(はや)るようになって、どれくらい経つのだろうか。当初は、なんと無神経な表現かと気を揉(も)んだのだが、いつの間にやら慣れっこになってしまった。そうこうしているうちに、今度は「上流・下流」という言葉が登場し、これまた、あっという間に拡がってしまった。こうした過激な言い回しが、大した抵抗感もなく受け入れられてしまう状況とは、一体どのようなものなのか。意識的にちょっと距離を置き、地道に光を当てて探ってみる。それがこの本のスタンスである。  格差や不平等が取りざたされるようになったのは、一九九〇年代後半以降のこと。まずは、バブルが弾けて経済の先行きが見えにくくなったということがある。それと重なるように、とりわけこの数年来指摘されるようになったのが、少子高齢化。でも、少子高齢化は事実としても、そのことが個々人の生活レベルでどんな具体的な意味をもつのかは、実は曖昧(あいまい)で確たる実感がない。少子高齢化というマクロの確実な条件と、生活レベルでのミクロの不確実な見通しの中で、なんとか自分の位置を確かめてみたい。多くの人がそう思っているにちがいない。  そんなときに、「勝ち組・負け組」とか「上流・下流」といった過激な言い回しが登場した。「ヒルズ族」のような突出した「勝ち組」は、自分とはおよそ関係のない別人種である。他方で、生活保護世帯が近年になって増えているとはいっても、これまた自分とはちがう。つまり、「勝ち組・負け組」「上流・下流」という枠組みを設定し、そのどちらでもない自分を確認してなんとなく納得し、それ以上は立ち入らない。そうした風潮とははっきり異なるスタンスを、七人の論者それぞれがとっている。少子高齢化が進む中での不平等感の爆発、家族形態の変化する中での格差、中年無業者の知られざる実態、義務教育現場での格差の拡がり、健康面にも現れる格差、遺産が次世代に及ぼす効果、進む年金の個人化と自己責任論がその題材である。  例えば、「爆発する不平等感」というテーマで、こう論ずる。高度成長時代の親たちは、将来、子供たちが自分たちより確実に豊かになると予想することで、現にある格差や不平等を、より長期の時間幅の中で解消することができた。ところが、少子高齢化の現在、親たちは子供たちとの連続性を失い、自分たち自身の一生という時間幅の中で帳尻合わせを意識するようになった。しかも、かつてのような経済成長が望めないとなれば、現にある格差や不平等が、より切迫したものとして感じられてくる。  あるいは、「教育格差の将来像」というテーマで、義務教育における格差と不平等の拡がりを指摘する。そもそも義務教育は、人生のスタートラインで不条理な格差が子供たちに及ばないよう、機会均等原則を掲げてスタートした制度であったはず。ところが、少子化に伴う児童生徒数の減少と、教員の高齢化による人件費の高騰が重くのしかかっている。教員の高齢化は一律ではなく地域によって大きく異なるし、財源、教育行政を提供するマンパワーも地域によって大きな格差がある。そんな中で、国による財政調整が弱まって地域格差が拡がり、どの地域で義務教育を受けるかによって、その後のライフコースが大きく影響されてしまう。過激な言い回しがあるわけではないし、派手な論理を組み立てているわけでもない。むしろ、淡々とデータを示し格差と不平等の実態に切り込んでいる分、問題の重さがかえってよく伝わってくる、そんな一冊。 毎日新聞 2006年4月23日 東京朝刊 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/archive/news/2006/04/23/20060423ddm015070092000c.html *日本経済の構造変動●小峰隆夫 出版社:岩波書店 発行:2006年3月 ISBN:4000242415 価格:¥2100 (本体¥2000+税) 中央主導型の政策にメス  冒頭「世代の自立」という聞きなれない主張が提示される。社会や経済の将来像は、将来の世代が決めるべきことであり、現代人は将来の指針を「明確にしすぎないこと」が大切という意外な論旨である。例えば日本型システムの将来は、今後試行錯誤的に決まってゆくことであり、従来型システムも誰かが設計したわけではない。政策、企業、労働者達の試行錯誤の結果出来上がったものであり、このプロセスは今も進行中である。将来の理想像など今議論しても益がない。読んでいて、ふと「人は常に過渡期の旅人である」と書かれた詩を思い出した。  要するに官僚の机上プランよりも、民間の知恵と努力の方が信頼出来るというのだ。元高級経済官僚とは思えぬ柔軟な発想である。後輩達は耳が痛かろう。著者は歯切れのよい筆致で官僚の思い込みや計画を、次々に否定してかかる。モノ作り重要論に対しては「自動車でも旅館業でも付加価値でみれば同じ、経済をリードする力に差はない」と斬(き)って捨てる。経済産業省が燃料電池やロボットなど七つの新産業を戦略産業と位置づけたことに対しては、将来日本でどの様な新技術が生まれ、どの分野で優位性を発揮してゆくかは、誰もわからない。そもそも七分野は既に民間がリスクを取りながら発展させて来たものばかりで、行政の後追い策に過ぎないと、極めて辛辣(しんらつ)である。  今後政策担当者が心すべきは「特定の発展分野を決めることではなく、新技術・アイディアが生まれやすく、事業化しやすく、リスクマネーが提供されやすいような経済環境をつくること」と市場経済への速やかな移行を求めている。  第二次大戦後わが国は計画経済によって再建を計った。その成功体験が、行政機構の中にまだ尾を引いているようだ。著者は雇用、企業経営、産業構造、金融等の改革の行方を幅広く追うと見せつつ、喫緊の課題は、中央主導型経済政策の構造改革であることを、強く示唆している。  ◇こみね・たかお=1947年生まれ。経済企画庁(現内閣府)をへて現在、法政大学教授。 岩波書店 2000円 評者・櫻井 孝頴(第一生命相談役) (2006年5月1日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060501bk05.htm *税制改正五十年●水野勝 出版社:大蔵財務協会 発行:2006年3月 ISBN:4754712250 価格:¥5000 (本体¥4762+税)  輪島塗や西陣織といった日本の伝統的工芸品は、この道一筋の職人たちに支えられている。卓越した腕を持つ人は、「現代の名工」の称号を受ける。その名工の幾人かを取材したことがあるが、「伝統はおれが守っている」という自負心が発する、強いオーラを感じたのを覚えている。  本著からも、同じような“職人魂”があふれ出ているといっては言い過ぎか。著者は旧大蔵省のキャリア官僚で、職人ではない。だが1955年の入省以来、税制改正一筋に生き、退官してなお調査会の委員に就任するなど、50年間も税と取り組んできた。立派な「税の名工」である。その半世紀の仕事ぶりを、本著に集大成した。  主税局長として消費税の導入に奔走し、当時、世を騒がせたリクルート事件に揺さぶられながら、国会で法案成立を見るまでの報告は、迫真のドキュメントだ。戦後の税制を知る上で、貴重な生きた資料となろう。(大蔵財務協会、4762円) 評者・榧野 信治(本社論説委員) (2006年4月24日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060424bk0d.htm *使い捨てられる若者たち●スチュアート・タノック 出版社:岩波書店 発行:2006年3月 ISBN:4000014005 価格:¥2730 (本体¥2600+税)  生涯にわたるキャリア雇用が崩壊する中、働き手の階層化が進む。若年層や女性らが使い捨てられるという米国のスーパーやファストフード店の現状は、日本の事情とも重なる。だが、米国の若者らはバイト仲間と組合を作り、ストライキを行い、環境改善を働きかける。これからのフリーター問題を考える一冊。大石徹訳。(岩波書店、2600円) (2006年4月20日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060420bk01.htm *グローバル化と日本の課題●高橋伸彰 出版社:岩波書店 発行:2005年12月 ISBN:4000270494 価格:¥2730 (本体¥2600+税) 競争あおる成長に疑問  国民の生活を豊かにするために、経済成長は不可欠のものだ。問題は、経済成長のために、さまざまな形でのコストを国民は負担しなければならず、そのバランスをどうするかで悩むことになる。この点について著者の考えは明快で、日本のように豊かになった社会では、これ以上の成長のために、「痛みを伴う改革」などのコストを払う必要はない、という。  たとえば経済成長のためには、衰退産業から成長産業へと、労働力を移動させなければならない。しかしそうした労働移動は個々の労働者に、慣れ親しんだ仕事を離れ、不慣れな仕事で苦労することを強いる。また、行き先の受け皿のない状況でのリストラは失業者を増やすだけだ。当事者の犠牲は大きく、しかもその結果得られた経済成長の成果が犠牲を払った労働者に配分されないとしたらどうだろう。  こうした視点から著者の小泉構造改革批判はまことに手厳しい。経済財政白書が企業のリストラ意識高揚を高く評価することこそ「小泉内閣が進めている『構造改革』の本質に他ならない」と指摘し、「そこまで人々を競争に駆り立てなければ実現できない成長にどれほどの意味があると言うのだろうか」というのである。そして小泉構造改革の本当の問題は「『弱者』を、自助努力が足りないといって切り捨てる『強者』の論理を徹底する点にある」と指弾する。小泉構造改革に嫌悪を抱く人々にとっては喝采(かっさい)を送りたくなること請け合いの本である。  もっとも私は、労働移動などをともなう構造調整はやはり必要だと考えている者の一人なので、著者の批判には耳の痛いところもある。しかし目的である生活の豊かさと手段である経済成長があべこべになってはならないというのはまったく同感であり、マクロデータの背後にある人々の辛苦を見過ごさない著者の目線も貴重だと思う。小泉嫌いの人だけでなく、「構造改革」論者も熟読すべき警世の書である。  ◇たかはし・のぶあき=1953年生まれ。立命館大学教授・日本経済論。 岩波書店 2600円 評者・清家 篤(慶応義塾大学教授) (2006年4月3日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060403bk05.htm *市場には心がない●都留重人 出版社:岩波書店 発行:2006年2月 ISBN:4000234188 価格:¥1785 (本体¥1700+税) 経済発展の歪みに警鐘  都留重人氏はそのときどきの時事問題に関する所感を、ほぼ5年おきにまとめ、自らこれを「5年もの」と呼んできた。本書はその最新のものである。周知のように、著者の都留氏はこの本を脱稿後の先月に亡くなられたので、結果としてこれが最後の著作となった。  都留氏はハーヴァード大学留学時からの友人であるポール・サムエルソン教授のテキスト、『経済学』の翻訳者としても知られている。本書のタイトルは、そのサムエルソン教授の言葉からとられている。このタイトルにこめられた意味は、市場には心が無いので、しばしば行き過ぎることがあり、その行き過ぎに対処する方策が不可欠だということである。こうした視点からの「小泉政権の政策批判」や「技術革新が進む社会的環境の変容」の部では、都留氏らしい切れ味の鋭い批評が展開される。  そしてこの本の最後の部である「明るい未来を求めて」に著者の主張は凝縮される。そこでは、市場経済発展の陰で進む、労働の非人間化、環境破壊、地方の荒廃などを改めて指摘し、日本のように豊かになった社会では、成長のための改革ではなく、むしろ「成長をやめることで改革がいっそう期待されうる」という。都留氏の将来世代への遺言とも聞こえる部分だ。  都留氏は戦後最初の『経済白書』を執筆し、「国も赤字、企業も赤字、家計も赤字」と経済の窮状を表現したのは有名である。そしてそうした経済の復興がなった後の高度成長期には、経済発展の歪(ひず)みに警鐘をならし、とくに当時公害と呼ばれた環境問題に強い関心を示して環境問題解決のための学際的研究の先頭にも立ってこられた。当然ではあるが、そうした都留氏の経済学者としてのこれまでの主張が、本書の中にも随所に反映されている。最後まで自らの考えを世に問う姿勢を失わない現役の経済学者であり続けた都留氏の生涯に、深い感銘を覚えるのは評者ばかりではないだろう。  ◇つる・しげと=1912~2006。東京生まれ。1972~75年一橋大学学長。 岩波書店 1700円 評者・清家 篤(慶応義塾大学教授) (2006年3月27日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060327bk05.htm *貧困と共和国●田中拓道 出版社:人文書院 発行:2006年1月 ISBN:4409230379 価格:¥3990 (本体¥3800+税)  近年、公的年金の一元化をめぐる議論がかまびすしい。実のところ、年金制度を職域別に独立させているか、全国民の一律加入に一本化しているかは、先進国の福祉政策を類型化する際の重要な指標のひとつである。前者の代表がドイツやオーストリア、また本書が扱うフランスであり、後者の代表がスウェーデンである。  フランスでは19世紀末頃より職域別の年金制度が整備されていくのだが、本書は、そこに至るまでの間に、国家や社会のあり方について、いかに多様なヴィジョンがせめぎあい、妥協を重ねてきたかを丹念に追う。貧困や老齢といった社会問題をどのように克服すべきかを論じることは、そもそも社会とは何かを根元的に問い直すことと密接に連関する。なかでも、デュルケームらの連帯主義の分析は本書の白眉(はくび)をなす。福祉をめぐる思想は、自由放任か、社会民主主義かという荒っぽい二元論には還元され得ない。(人文書院、3800円) 評者・川出 良枝(東京大学教授) (2006年3月27日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060327bk08.htm *曼荼羅都市●布野修司 [掲載]2006年04月23日 [評者]陣内秀信(法政大学教授)  都市史はまだ新しい学問分野だ。西欧に始まり、江戸東京など日本の都市、そしてイスラム圏の都市が注目され、今アジアに光が当たる。本書はそのアジア理解に不可欠なヒンドゥー都市を本格的に論じた労作。  登場する都市の姿は、中央に市民の広場をもつ西欧都市や、地形に合った有機的な形態を示す日本の都市とは異質だ。インドの曼荼羅(まんだら)的な宇宙観がそのまま都市の空間構造となって現れる。極めて明快な秩序をもつ都市形態には目を奪われる。  基本は、世界のどこにもあるグリッド(格子状)都市。だがヒンドゥー都市では、空間のヒエラルキーが強烈だ。中央に巨大な寺院、そして王宮を配し、その外側に、階級や機能に応じ何重にも空間を仕切り、入れ子構造の都市を築き上げる。宗教的な宇宙観がかくも見事に象徴的な都市造形を生む例は、世界に他にない。  本書は、古代から伝わる文献の記述から理念としての都市の形態を復元する一方、インド及びインドネシアの都市を現地で徹底的に踏査し、実際の都市の姿をリアルに描き出す。研究室の学生達(たち)と汗水流した調査の成果が端々に感じられるのも魅力的。アジア研究の到達点を示す貴重な書だ。 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200604250264.html *日本を滅ぼす教育論議●[著]岡本薫 [朝日] [掲載]2006年03月12日 [評者]苅谷剛彦  役職に就いている間は公にできないことでも、辞めると自由にものがいえる。日本の組織ではよくあることだ。それだけに、立場を離れた直後の言葉には、その組織に染み渡った、通常表からは見えにくい特徴が織り込まれている。そういう視点から、元文部科学省課長の書いた本書を読むと、そこから日本の教育論議の特質が二重、三重に浮かび上がる。  大仰なタイトルが付いているが、国際経験豊富な著者の指摘の多くは的確だ。海外からの視点を熟知した、教育行政の中枢にいた立場から見る、日本の教育論議の不思議さ、おかしさ。各章の表題にあるように、本書では、現状の認識、原因の究明、目標の設定、手段の開発、集団意思形成の五つについて、教育論議の「失敗」が明らかにされる。  著者の批判の矛先は、「区別のできない」日本的論議の落とし穴に向けられる。たとえば、目的と手段の区別ができないために、適切なシステムの整備より「意識改革」といった精神論が重視される。ルールとモラルの区別ができないために、何でも「心の教育」で問題解決できると思えてしまう。さらには、カリキュラムや学力を論じる際に、社会の全員に関係する税金を使って行われる教育政策と、特定の学校に関係する教育実践との区別もできない、国家のニーズと子どもたちのニーズの区別もできない、と鋭く指摘する。  要するに、マネジメントという発想の欠如が、日本の教育論議を混乱させているというのが著者の見立てである。事実のとらえ方や割り切り方に少々違和感を覚えるところはあるものの、大筋の議論はまっとうである。  それにしても、こういう分析能力のすぐれた官僚が早々と辞めてしまうのはどうしてか。著者の批判は、文科省内の論議にも向けられる。その指摘がもっともらしく見えるだけに、区別のできない論議がいまだ省内でも続いているのかと思えてしまう。もしかすると文科省の存在自体が、日本的論議を許してきたのかもしれない。いろいろな意味で読み応えのある本である。 出版社: 講談社 ISBN: 4061498266 価格: ¥ 756 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603140360.html *動物園にできること●川端裕人 [朝日] [掲載]2006年03月26日  動物園の存在理由は、「種の保存と環境教育のため」だという。日本にも及んだ、この思想を、90年代につくり出した米国の35園と120人以上の“動物園人”に取材したルポ。絶滅危惧(きぐ)種の繁殖や野生復帰という、人為が働く問題など、子供たちの夢を育む施設が抱えている矛盾や現実を伝える。 URL:http://book.asahi.com/paperback/TKY200603280356.html *少年裁判官ノオト●[著]井垣康弘 [朝日] [掲載]2006年03月19日 [評者]佐柄木俊郎  著者はその世界では有名人といっていい。神戸家裁に在職中に、須磨区で起きた児童連続殺傷事件の加害男性「少年A」の審判を担当し、「なぜ起きたのかを世に知らせるべきだ」と、決定の要旨を初めて公表した。以来、被害者と加害少年との関係などを調整してより良い決着を目指す、いわゆる「修復的司法」にも取り組み、メディアなどで少年法や少年審判について、積極的な発言を続けてきた。退官後も喉頭(こうとう)などのがんと闘いつつ、少年たちの立ち直りに奔走する型破りな元裁判官である。  裁判所には「子どもの事件は子どもにやらせる」という言葉があるそうだ。少年事件は経験の浅い判事補に、という意味だが、出世コースとほど遠い道を歩いた著者は晩年、思いがけずそれを担当させられる。しかし、「少年A」の事件を契機にのめり込み、転勤も拒んで退官までの八年弱に、延べ五千人を超える少年の審判を担当した。さまざまな相貌(そうぼう)を持つそれぞれの犯罪や非行と、その処理をめぐる思い出を、エッセー風に綴(つづ)ったのが本書だ。  「静かなところで一人で死にたい」。生気なくそう語っていた少年Aに「医療少年院送致」の決定を言い渡したあと、毎年面会した。一年後は面会を拒まれた。次の年には一時間だけ会えたが、視線を合わそうとせず「無人島で暮らしたい」とボソボソ。ところが、「収容継続」を決めた審判をはさんで、Aは徐々に生きるエネルギーを取り戻していく。わだかまっていた母親とも感情の交流が始まる。著者が見守り続けた七年余の間に起きたAの変化は、「モンスターは葬れ、殺してしまえ」の憎悪に満ちた社会的空気のなかで彼と格闘した、医師や教官たちの努力を物語って生々しい。  評者は、少年Aとの関(かか)わりとは別に、もろもろの少年犯罪をめぐるエピソードや事件の決着のさせ方に、著者の社会や人間理解の深さを感じた。被害者や地域とどう折り合わせるか、家族との関係をどう修復させるか、心や金銭の償いは、といった、事件ごとにこらす工夫の数々は、親身にあふれている。時間をかけて、少年や被害者が納得できる審判を心がけようとする努力を重ねたからだろう。少年院では「井垣裁判官から送られてきた子の意欲は目を見張るものがある」との定評があったともいう。  とかく「目立つ」ことを嫌う日本の裁判所ではしかし、著者のように「法廷の外=社会」を常に意識し、より良い解決を求めて肉声でぶつかっていく裁判官は、あまり好まれないし、偉くはなれない。裏返せば、人間理解の浅い「子ども」に委ねられる審判のかなりの部分が実は、少年の真の更生や社会の納得とは程遠い、おざなりな処理に終わっているのではないか、と肌寒さを覚えないわけにはいかない。  「少年法が甘いから、今のうちとばかり非行に走る」という俗論が、この国に根強くはびこっている。それが少年法の厳罰化にも追い風を吹かせてきた。少年審判の実情をあまりご存じない人にぜひ読んでほしい本である。 出版社: 日本評論社 ISBN: 453551500X 価格: ¥ 1,680 この本を購入する |ヘルプ URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603190135.html *日はまた昇る―日本のこれからの15年●[著]ビル・エモット [朝日] [掲載]2006年03月19日 [評者]青木昌彦  外国人による評価がとても気になる日本人にとって、その共同意識に影響を与えるような書物が節目、節目に現れることがある。四半世紀前にでたボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、著者の意図とは関(かか)わりなく、大いに日本人の集団的自己意識のバブルに貢献したし、また90年のエモットの『日はまた沈む』は、続く集団的「喪失症候群(シンドローム)」(いわゆる「失われた十年」論)の先駆けとなった。本書は同じ著者による対照的なタイトルの論攷(ろんこう)だ。  日本は失われた十年といわれる間にも様々な斬新的改革(ルール、慣習、プラクティスなど)を続けた。その累積的な効果は殆(ほとん)どの人が気づいている以上に政治と経済と金融市場を変え、生産性向上による新しい持続的成長を可能としている、というのが本書の主要なメッセージだ。同意しうる歴史評価である。しかし、その変化は一つのグランドデザインにもとづいて起きたのではないだけに漸進的であり、未完である。この本は喪失症候群の治療には効くだろうが、「日本復活宣言」などと浮かれていると、また逆に振れてしまう。自戒が必要である。  とくに目を引かれたのは、中国の興隆と政治的不安定性、朝鮮半島の政治的統一の可能性という地政的大変動の見通しのなかで、日本がとるべき国際戦略の提案だ。日本は勝ち目のない地域の指導権(リーダーシップ)を巡って中国と争うより、地域機構や条約という地域ルールや手続きの設定に積極的に参画し、それを梃子(てこ)に隣国の「横暴」を抑制するのが良いという。それによって、経済的安定性と民主主義的成熟度を測る「水路標識」としての役目を果たし、世界の問題についての発言力も強まる。これは欧州でかつてフランスが抱き、成功した野心になぞらえられるという。靖国問題についても一見奇想天外だが、一考に値する指摘がある。  「着実に歩む亀(日本)が、足の速い兎(うさぎ)(中国)に勝つ」という御託宣を担ぎ回るより、国益となる地域的・国内的ルールの設計を冷静に考える、という英国流発想に触れるところに、日本人にとっての本書の本当の価値があろう。 出版社: 草思社 ISBN: 4794214731 価格: ¥ 1,260 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603190137.html *他人を見下す若者たち●[著]速水敏彦 [朝日] [掲載]2006年03月19日 [評者]野口武彦  若者の行動が奇異になっている。個人的な怒りはすぐ爆発させるが、社会悪には無反応だと言われて時久しい。  最近ではすっかり日常化した「キレる」行為を《自尊感情が傷つけられた場合に些細(ささい)なことで怒る》現象と定義する著者は、そうした行動の根底にある心理的メカニズムを「仮想的有能感」と名づけて、日本の最新世代に起きている心性の変化を解明しようとする。  著者が初めて使用するこの用語はたいへん有効であり、さまざまな事例を(1)感情表出の変質、(2)やる気の低下、(3)他者軽視、(4)自己肯定感への渇望、と四つの分野にわたって分析してゆく。挙げられるのは、謝らない子どもとか、人前で化粧する少女とか、「自分以外はバカ」という態度で振る舞う青年とか、「オンリーワン」感覚とか、読者にもなじみ深いはずの話題の数々である。  自分のミスに思い至らず、まず「相手の落ち度を鋭く指摘する」しか能のない政治家も多くなった。  自身への甘さは、自尊心(プライド)とも自己愛(ナルシシズム)とも微妙に違っているらしい。攻撃的に見えて、実は過剰に自己防御的なのではないか。大づかみに《いつも「自分より下」を必要とする他者軽視で成り立つ防衛機制》と見ているのは当たっていよう。「2ちゃんねる」の閲覧とこの種の有能感とには相関性が高いという観察は、なるほどそうかと納得する。  この仮想的有能感という仮説は心理学の立場からの発言であるが、近年流行語にもなった「格差社会」「下流社会」など社会学の概念と重なる関心事から出発していて、非常に大切な問題への切り口になっているように思われる。  こういう心理機制が働くのは、若者だからだろうか。それとも、世紀の代わり目の日本人だからなのだろうか。著者が「今後増大する」と予測しているのが何だか不気味だ。  キレやすい若者をじっとガマンづよく論じてきた著者が、ついぽろりと、この人々には「汚れっちまった悲しみ」(中原中也)がないのではないかと洩(も)らしているところが妙味である。 出版社: 講談社 ISBN: 4061498274 価格: ¥ 756 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200603190129.html *新版 原発を考える50話●西尾漠 [掲載]2006年03月19日 [文]中村謙 [写真]首藤幹夫  30年以上にわたって、日本の原子力政策と開発をウオッチしてきた西尾漠(にしお・ばく)さん。原子力資料情報室共同代表、「反原発新聞」編集長の肩書をもつ。チェルノブイリ原発事故から20年の今年、10年前に書いた本を全面的に書き改めた。  その10年間に、日本では99年に茨城県東海村でウラン臨界事故が起き、作業員2人が死亡。一昨年には関西電力美浜原発で高温蒸気が噴出、死者5人、負傷者6人を出している。一方スウェーデンとドイツでは、脱原発の具体的な動きとして、99年以来、合わせて4基の原発が廃棄された。  こうしたエピソードを紹介しつつ、原発の仕組み、放射線被害の恐ろしさなど、原子力の基本問題も押さえる。書いた西尾さんが文系の人だけに、難しい数式もなく、分かりやすい。一部で原発が、地球温暖化抑止の切り札のように言われることについても、原発が小回りのきく装置でないことなどを指摘しつつ、反論している。  「そもそも、電力会社など、原子力に責任のある立場の人は、もはや原発推進なんて言っていません」  普段のニュースを見聞きする限り、そんなふうには見えないが「記者会見なんかで言っているのは建前。業界紙や、政府の委員会、内輪の会議などをチェックしていると、はっきり分かります」。  この15日、北陸電力志賀原発2号機が営業運転を始めた。出力136万キロワットは日本で2番目の大きさ。が、電力需要の伸び悩みから、北陸電力は、ほぼこの原発一つ分の電力を、すでに他社に売っているのだという。「原発を悩ますのは、経営リスクと廃棄物問題。そして事故ですね。施設が古くなっているから。直下で巨大地震が起きたら、ちょっと予測がつかない」  10年後の「新・新版」は、どんな内容になることか。 出版社: 岩波書店 ISBN: 4005005292 価格: ¥ 819 URL:http://book.asahi.com/author/TKY200603190124.html *文明崩壊 上・下●ジャレド・ダイアモンド [読売]  (草思社・各2100円)  ◇滅亡と存続を分けた環境問題  歴史のなかで消滅してしまった社会、イースター島やマヤ文明、あるいはノルウェー人のグリーンランド植民地では、いったいなにが起きたのか。これまでにもさまざまな研究が行われてきたが、著者はそれを科学的かつ比較的なアプローチで解き明かそうとする。真に持続可能な社会にはどういう条件が必要か、それを明らかにするためである。環境問題を真剣に考える人には必読書であろう。  著者は生物学者で、もともとは鳥の専門家であり、昔の博物学者に近い。きわめて博識で、類人猿との比較からヒトの特徴を論じた『人間はどこまでチンパンジーか?』『セックスはなぜ楽しいか』、また社会の発展の差を分析した『銃・病原菌・鉄』がすでに翻訳されているから、読書好きな人なら名前を知っているかもしれない。ピュリッツァー賞の受賞者でもある。  文明の崩壊は環境破壊による。はじめ著者は単純にそう考えて、環境破壊についての本を書くつもりだったという。しかしもちろん話はそう簡単ではなかった。文明が崩壊するか、持続するかについて、著者が挙げる要因は環境破壊、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手、そしておそらく最も重要なのが、環境問題へのその社会の対応である。いわば当然のことだが、現代日本に当てはめてみても、だれでも具体的に考えることができるであろう。このいずれもが、日本の直面している問題そのものだからである。  最初に著者がモデルとしたのは、太平洋上の八十一の島々である。そこでは人が住み着いて以来、環境を完全に破壊しつくした島から、いまでも十分に自然環境と社会を維持している島まで、すべての例がある。それを解析すると、環境が維持されるための九つの物理的要因が浮かび上がる。それは湿潤、温暖、新しい火山活動、火山灰の降下、黄砂の飛来、標高、さんご礁、近隣との関係、大きさである。日本を大きな島と考えて、さんご礁だけを除いて、この一つ一つを日本に当てはめることもできる。  だから著者は江戸時代の日本をしばしば一例として挙げる。将軍や大名が環境に関心を持ち、日本の自然環境を「上から」維持したという。もちろんこれは外国人の見方であろう。日本の環境維持に貢献したのは古くからの村落共同体の常識に違いない。大名や将軍が、そうした細かい現場をどう統制するかについて、実質的に理解していたはずがない。ここには欧米人の東洋的専制に関する偏見とでもいうべきものを見る。しかしそれは本筋とは関係がない。  オーストラリアは日本と逆で、降雨量が少なく、火山がほとんどない。黄砂も降ってこない。黄砂の降下は、常識に反して、土壌の維持に貢献する。オーストラリアの自然環境を考慮すれば、現在の生活水準を維持するとして、あの大陸に居住可能な人口は八百万人だろうと著者は計算する。もちろん自然環境を破壊しないという条件の下で、である。少子化対策が騒がれる日本で、だれかこうした適正人口を計算したのだろうか。  全体にわたって取り上げられる主題は数多く、ここで短く紹介しきれるものではない。著者は環境問題について、自分は慎重な楽観主義者だという。そして現在の環境問題、人口問題について、もっとも重要なことを一つだけ挙げるとすれば、それはなにか、という問いに答えていう。「それは、問題を順位づけして、ひとつに絞ろうとするわれわれの誤った姿勢だ!」、と。(楡井浩一・訳) 毎日新聞 2006年2月5日 東京朝刊 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060205ddm015070092000c.html *脳内汚染●岡田尊司 [毎日]  ◇精神科医が説くゲーム、ネットという麻薬  書評のルール違反は覚悟の上で、本書が大ベストセラーになって一人でも多くの人に読まれることを強く願いたい。なぜなら、本書は、日本が直面している社会現象、すなわち、キレやすい子供、不登校、学級崩壊、引きこもり、家庭内暴力、突発的殺人、動物虐待、大人の幼児化、ロリコンなど反社会的変態性欲者の増大、オタク、ニートなどあらゆるネガティヴな現象を作りだした犯人が誰であるかをかなりの精度で突き止めたと信じるからだ。  では、医療少年院勤務の精神科医という苛酷な現実の最前線に立つ著者が、犯人と名指ししたのは誰なのか? 結論から先に言おう、コンピューター・ゲームとインターネット(とりわけネット・ゲーム)である。  では、ゲームやネットのどこが広範な異常を引き起こしてしまったのか?  まず内容の問題がある。これは、小説、漫画、映画、テレビなどの既存大衆メディアすべてに言えることだが、享受者の自己愛を肥大化させるものほど人気を得るという法則がある。自分が全能の主人公になった気分を味わえるファンタジーが愛されてきた所以である。幼児のときから人間の心に残っている「良い存在」と「悪い存在」に二分する思考法をファンタジーが快く刺激してくれるからだ。  だが、これらのメディアは受動的なものであったがゆえに、受容者が現実とファンタジーを簡単に取り違えることはなかったし、人類の心にインプットされた暴力回避装置のピンが抜かれることもなかった。ところが、仮想現実への「参加」を可能にしたゲームは、受容者にこの敷居をいとも簡単に越えさせてしまったのである。  「攻撃を繰り出すためには、ボタンを押し続けなければならない。それは引き金を引く行為と同じである。(中略)破壊行為は、満足と報酬によってどんどん強化されることになる。暴力は、悪いことどころか、『楽しみ』になっていく。(中略)子どもや未熟な大人が、こうした暴力シーンになじむことは、『悪い敵』を攻撃してもいいという考えを強化し、それは、とりもなおさず、思い通りにならない存在は攻撃すべしという態度や考え方を強めてしまうのである」  しかし、著者がむしろ強く危惧するのは、じつは、ゲームのこうした内容そのものではない。一番恐ろしいのは、ゲームをしていると脳内にドーパミンが大量に放出されて快感が引き起こされ、麻薬と同じような効果がもたらされることだ。つまり、やめたくてもやめられなくなるのだ。「毎日長時間にわたってゲームをすることは、麻薬や覚醒剤などへの依存、ギャンブル依存と変わらない依存を生むのである」  とはいえ、ゲームが初歩的なとき、依存は深刻ではなかった。ところが近年、ゲームが飛躍的に進化して、現実とほとんど変わらなくなると、危険は増大する。  「ずっと飽きが来ないほどに、エキサイティングなものとなったゲームは、逆に極めて危険なものとなってしまったのである。なぜなら、ずっと飽きが来ないほどにわくわくし興奮するとき、脳で起きていることは、麻薬的な薬物を使用したときや、ギャンブルに熱中しているときと基本的に同じだからである。子どもにLSDやマリファナをクリスマス・プレゼントとして贈る親はいないだろう。だが、多くの親たちは、その危険性について正しく知らされずに、愛するわが子に、同じくらいか、それ以上に危険かもしれない麻薬的な作用を持つ『映像ドラッグ』をプレゼントしていたのかもしれない」  だから、ゲームも時間を決めてやればいいという議論は、麻薬でも少量ならかまわないという議論と同じく、成り立たないのである。しかも、戦慄すべきことに、ゲーム漬けになった脳は薬物中毒の脳と同じように破壊され、元には戻らなくなるという。  「依存や耽溺が起きるとき、脳のレベルで広く共通してみられることは、前頭前野の機能が低下していくことである。コカインやマリファナ、覚醒剤などの慢性使用は、前頭前野機能の低下を起こし、一層理性的判断を失わせ、危険に対して無頓着になっていく。(中略)その結果、『魂の抜け殻』になっていくのである」  また、長時間のゲーム耽溺で失われる時間の損失も深刻だ。家族や友人との接触の中で学習される人生体験がまったく積まれないことになるからだ。  「子どもの二度とない貴重な時間が、奪われていくのだ。(中略)だが、中毒状態になりかけの子どもは、もうそのことしか頭になく、いくら保護者が注意し言い聞かせても、自分で行動をコントロールすることは非常に困難なのである」  一時大騒ぎされたノストラダムスの大予言の解釈に地球崩壊は日本発だというのがあったが、アンゴルモアの大王というのがゲームだったとすれば、予言はまさに当たっていたことになる。子ども部屋からゲームやネットを取り除かない限り、亡国は必至である。  (文藝春秋・1680円) 毎日新聞 2006年1月15日 東京朝刊 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060115ddm015070135000c.html *パチンコ「30兆円の闇」●溝口敦 [朝日] [掲載]2006年01月08日 [評者]最相葉月  山口組やハンナングループ総帥・浅田満など、世のタブーに切り込む著作で知られるジャーナリストの今回の標的はパチンコ。オーストリアのGDPを上回る市場規模、年間三十兆円の超巨大産業の実相に分け入る快著ならぬ「怪著」だ。  肉声が詰まっている。安全対策を構築するため、大手台メーカーが接触してくると豪語するウラ屋。出玉を遠隔操作する手口を披露するカバン屋。上海にビルを建てた中国人ゴト師。高度にシステム化されており、騙(だま)される客がバカだとは思えなくなる。  著者が本丸とみなすのは警察。パチンコは法的に賭博ではないため出玉を景品に替えてから換金する。警察は適法な古物売買というが脱法との指摘もある。遊技機の検定機関に天下るのも警察官僚だ。「主管官庁と取り締まり官庁が一緒」であることに、不正と腐敗の原因があると見る人もいる。法で賭博とみなすのがなぜ改革の端緒を開くかよくわかった。 出版社: 小学館 ISBN: 4093797234 価格: ¥ 1,470 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200601110180.html *雇用破壊--非正社員という生き方●鹿嶋敬 [毎日] 中村達也・評   ◇低賃金と働き過ぎが支える景気  去年の秋頃から、景気の先行きに明るい兆しが見えてきた。株価もまた徐々に上昇し始めている。各種の景気予想にも、ようやく強気の数字が登場するようになった。この調子でゆけば、今年の経済はほぼ順調に景気回復の軌道に乗るのではあるまいか。こんなふうに思いたいところだが、実は、それほどことは単純ではない。  というのも、「景気の回復」と「雇用の回復」とは別ものだからである。いや、「雇用の破壊」が「景気の回復」を支えてきたというのがどうやら真相のようだ。これがこの本のメッセージである。新春早々にこうしたテーマを取り上げるかどうか、実は、少しばかり迷った。そのうえで、やはり書くことにした。正月向きの明るい話題ではないけれど、避けて通れないテーマだからである。しかも、人口減少に突入する中で、この問題を考えなければならない。  確かに、企業の業績が上がり景気回復の足どりがしっかりしたものとなってきた。その原因のひとつが、正社員に代わって非正社員を雇用したことである。パートやアルバイト、さらに派遣社員や請負社員。これら非正社員の数は、今や雇用者全体のほぼ三分の一にまで膨らんでいる。この十年ほどの間に状況が激変した。かつて非正社員といえば、景気循環の過程で伸縮的に増減可能な、臨時の調整要員であった。ところが今や、人件費削減の切り札として、恒常的な要員として組み込まれ、その数がじわじわと増えている。  まず第一に、非正社員は、正社員に比べてかなりの程度賃金が安い。例えば、男性正社員の時間当たり賃金に比べて、男性パートのそれはほぼ四割ほどだという。第二に、正社員であれば企業が負担しなければならない、年金保険や雇用保険や医療保険や介護保険などの社会保険料の負担(合計で月収のほぼ一二パーセント相当)を免れることができる。非正社員の比率が一パーセント高まれば、企業の利益率が何パーセント高まるかといった興味深い統計が、本書で紹介されている。  一方、正社員はといえば、この数年来、成果主義をベースにした賃金方式が拡がっている。年功序列ではなく成果主義。優れた成果をあげた社員は厚遇されるものの、普通程度の社員はむしろ賃金が下落する。かくして全体としては人件費の削減となるというのが、どうやら実態のようだ。さらに労働時間。統計上の年間労働時間は、一九六〇年の二四二六時間をピークに減少し始め、二〇〇四年には一八四三時間。が、これは正社員と非正社員とを合わせた平均の数字。正社員のみの数字では年間二〇一五時間と、まだまだ長時間労働である。つまり、非正社員の安過ぎる賃金と、正社員の働き過ぎとの併存。著者は、「雇用破壊」という言葉でこのことを表現している。  労働組合は正社員の待遇改善には力を注ぐものの、非正社員にまではなかなか目が向かない。その非正社員が雇用者全体のすでに三分の一にも達し、しかもまだまだ増えつつある。正社員と非正社員を含めた全体の「雇用破壊」をどうするのかという視点ぬきには、景気の問題を語れなくなっているのである。  とりわけ、努力が報われることのない仕組みの中で増え続ける若年フリーターが、どのような希望を見出すことができるのか。非正社員が、職業能力を蓄積することなしに漂流する先にある経済とは、はたしてどのようなものなのか。著者が投げかけるこの問いが、胸に突き刺さる。   (岩波書店・1785円) 毎日新聞 2006年1月15日 東京朝刊 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060115ddm015070063000c.html *義務教育を問いなおす●藤田英典 [朝日] [掲載]2005年12月25日 [評者]苅谷剛彦―書評委員のお薦め「今年の3点」  (1)義務教育を問いなおす(藤田英典著)  (2)若者と仕事 「学校経由の就職」を超えて(本田由紀著)  (3)桜が創った「日本」(佐藤俊樹著)  しっかりした論拠や実証に基づく十分な検証も、国民に丁寧に論点を示す議論もなく、「改革、改革」の声に押されつづけた2005年。本質的な議論に目を向けるための3冊を選んだ。  (1)は「三位一体の改革」で焦点となった義務教育費国庫負担金制度改廃の論点などを示すとともに、「改革至上主義」と呼ばれるような、改革のための改革が進む教育界を戒める。  (2)は本田のデビュー作。ニートだ、フリーターだ、下流だと、言葉ばかりが踊る中で、若者にとって仕事への移行がそもそも困難な課題であることを実証的に解明。野心的な政策提言も盛り込む。  (3)はソメイヨシノを中心に、桜と日本のイメージがどのように創(つく)られたのかをシステム論的に検討しながら、日本の近代と「日本(人)らしさ」のあやしげな関係の成り立ちを解き明かす。目から鱗(うろこ)の一冊。 義務教育を問いなおす 著者: 藤田 英典 出版社: 筑摩書房 ISBN: 4480062432 価格: ¥ 945 若者と仕事?「学校経由の就職」を超えて 著者: 本田 由紀 出版社: 東京大学出版会 ISBN: 4130513117 価格: ¥ 3,990 桜が創った「日本」?ソメイヨシノ 起源への旅 著者: 佐藤 俊樹 出版社: 岩波書店 ISBN: 4004309360 価格: ¥ 777 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512270302.html *風景のなかの環境哲学●桑子敏雄 [朝日] [掲載]2005年12月25日 [評者]陣内秀信―書評委員のお薦め「今年の3点」  (1)古代文明と気候大変動?人類の運命を変えた二万年史(ブライアン・フェイガン著、東郷えりか訳)  (2)アースダイバー(中沢新一著)  (3)風景のなかの環境哲学(桑子敏雄著)  歴史とエコロジーを重ねた領域に今、関心がある。その観点から、地球環境、土地や場所、風景に関する本を3冊。  (1)は、氷河期から近代まで人類の社会が気候変動でいかなる影響を受けてきたか、気候学、考古学を駆使して解明する。現代文明の在り方を問う刺激的な書だ。著者は法政大学の国際シンポジウムのために先月、来日。オープンで情熱的な人柄が強く印象に残った。  (2)は、ちょっと停滞気味の東京論に活を入れる抜群に面白い著作。スマートで洒落(しゃれ)た近代都市面をした巨大東京の背後に、エロスや死影を感じさせる摩訶(まか)不思議な場所が潜む。地形の上に古墳、遺跡、寺社をプロットした縄文地図を作製して示す点に説得力がある。  (3)は、風景の意味を哲学の立場で根本から問い直す書。現場での風景体験、川づくりの実践の場から発想された理論なのが嬉(うれ)しい。 古代文明と気候大変動?人類の運命を変えた二万年史 著者: ブライアン・フェイガン 出版社: 河出書房新社 ISBN: 4309251927 価格: ¥ 2,520 アースダイバー 著者: 中沢 新一 出版社: 講談社 ISBN: 4062128519 価格: ¥ 1,890 風景のなかの環境哲学 著者: 桑子 敏雄 出版社: 東京大学出版会 ISBN: 4130130242 価格: ¥ 2,940 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512270308.html *下流社会●三浦展 [朝日] [掲載]2005年12月25日 [評者]野口武彦―書評委員のお薦め「今年の3点」  (1)下流社会(三浦展著)  (2)しのびよるネオ階級社会(林信吾著)  (3)羞恥心はどこへ消えた?(菅原健介著)  著者はいずれも1958年生まれ。刊行日から見て相互の影響はないはずだがぴったり符合している。  (1)の書名は、今年の流行語にまでなった。市場調査を土台とするしっかりしたデータにもとづいて、低収入階層の生活スタイルを分析している。「下」は自前の文化を形成しはじめているという観測である。  (2)は、統計数字にたよらず直覚的にシャープな書き方だが、著者が体験したイギリスの階級社会と対比して、現代日本がめざしつつある方向を、上昇志向が排除される制度の固定化と見据えている。  (3)は、ジベタリアンの出現という話題から入って、長らく日本文化の特徴とされてきた「恥」の崩壊という角度から、外界がすべてタニンという新しい人間関係の発生を見ている。  3冊が思い思いに描くのは《下流文化》が自己主張する姿なのではないか。 下流社会?新たな階層集団の出現 著者: 三浦 展 出版社: 光文社 ISBN: 4334033210 価格: ¥ 819 しのびよるネオ階級社会?“イギリス化”する日本の格差 著者: 林 信吾 出版社: 平凡社 ISBN: 458285267X 価格: ¥ 777 羞恥心はどこへ消えた? 著者: 菅原 健介 出版社: 光文社 ISBN: 433403330X 価格: ¥ 735 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512270328.html *経済政策の政治学―90年代経済危機をもたらした「制度配置」の解明  ●[著]上川龍之進 [掲載]2005年12月04日 [評者]松原隆一郎  この十年の不況を、誰がどのような理由から起こしてしまったのかは、近年の経済行政で最大の話題である。にもかかわらずそれを論じるのは難しい。「犯人」以前に「原因」が、厳密には特定されていないからだ。つい先頃まで、「構造改革派」は不良債権処理の遅れと様々な規制・慣行を原因とし、「インフレ目標派」はデフレが原因だとみなしてきた。当然、それぞれの見立てる犯人は異なり、激烈な論争が生じた。  著者は論点を少しずらして、80年代のバブルと90年代の金融危機に焦点を絞り、前者を日銀の低金利政策、後者を旧大蔵省の信用秩序維持政策の失敗(破綻(はたん)金融機関の処理や公的資金の投入にかかわる仕組み作りの先延ばし)という衆目の一致する原因からとらえて、日銀と大蔵省がなぜそうした行動をとったのかを、膨大な新聞・雑誌資料および近年の政治理論をもとに分析している。記憶に新しい個別の出来事が一貫した理屈で物語られる様は、壮観だ。  既存の説明を物足りなくしてきたのは日本型経済システムそのものが「悪」であるかのように論じるからで、それだと80年代までなぜうまくいったのか理解できない。その点、本書は「成功」が後の「失敗」の原因となったというスタンスで、納得がいく。日銀は狂乱物価で批判を受けインフレ抑制に専心し、80年代前半まで成功した経験が裏目に出て、資産価格の高騰を見落としたし、大蔵省も福祉税構想など本務である財政部門の堅持には強気であったのに、金融部門の分離という制裁が迫ると天下り先喪失を恐れて信用秩序維持で責任逃れをしてしまったという。官庁の行動は「組織存続」の論理を優先するという見立てである。  ただし本書が説得的であるのは、バブルと金融危機に話題を絞っているからともいえそうだ。これが十年不況の全般となると、学界を二分する論争に決着がついていないことを見ても、とるべき方針は自明でない。官庁の組織利益と公共利益とが合致するような制度設計をという提言はもっともだが、制度が万能でないがゆえに政治の意味があるのだと思う。 出版社: 東洋経済新報社 ISBN: 4492211551 価格: ¥ 3,990 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200512060255.html *はじめての環境経済学 ●[著]ジェフリー・ヒール [朝日] [掲載]2005年05月22日 [評者]青木昌彦  著者のヒールはかつて30代の若さで一流の経済学学術誌の編集長を務めた理論経済学の俊英であったが、その後興味を環境問題や証券経済学に移した。本書を書いていた頃には、スタンフォード大学でエーリックやケネディなど現在環境学をリードする生態学者や生物学者と学際的なワークショップを持った。こうして、経済学と生態学のフロンティアの成果を見事に統合し、一般向けの読者にたいし、複雑で、奥の深い環境問題を解きほぐしてくれる一書がなった。邦題の「はじめての」という形容詞は、単に「入門」というだけでなく、これまでに「類のない」という意味にもとれる。  著者はまず自然生態系を大気や水の浄化から始まって、「人間精神を高揚させる審美性と知的刺激の供与」に至るまでの多様なサービス機能を果たす、人間社会に必要な「社会基盤」(インフラストラクチャー)ととらえる。この社会基盤の管理、いわば地球版の家計管理のメカニズムとしては、規制のような動機づけを欠いた強制手段より、環境を保全することが利益に繋(つな)がるようなインセンティブの仕組みがより有効だと論ずる。  そういう議論を展開するのに、単に経済学のロジックを機械的に応用するのではなく、集水域の保全、エコツーリズム、生物多様性などについての具体例や最新の研究成果がふんだんに援用される。たとえば、熱帯動物のハンティングの商業化など、純粋な環境保護主義者は憤慨するだろうし、私自身も参加はご免被りたい。しかし、それが環境変化にたいする保険や情報の供給源としての生物多様性の保存にいかに役立っているか、の説明には、思いがけない説得力がある。  著者の証券経済学者としての学識は、市場化され得ない環境評価をどう達成するか、という議論に生かされている。他方、社会基盤の持続可能性という問題は、現在便益に比して将来便益を割り引く経済的インセンティブ枠組みの下では十分に解けない(必要であるが)、世代間の公平性の問題だとも述べられる。  翻訳もよい。環境問題に関心のある人々に広く薦めたい本だ。 はじめての環境経済学 著者: 細田 衛士・大沼 あゆみ・赤尾 健一・ジェフリー・ヒール 出版社: 東洋経済新報社 ISBN: 4492313478 価格: ¥ 2,520 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200505240164.html *日本の連立政権●田村重信、豊島典雄、小枝義人、丹羽文生著 [産経] 「責任野党」の秘話明らかに  戦後長きにわたり、政権の座にあった自民党が、一九九三年「細川連立政権」誕生により野党に転じた。その時、野党自民党は復権に向けて何をしていたのか、その水面下の活動を含めた「責任野党」としての秘話がこの『日本の連立政権』で初めて明らかになる。  野党に転落した自民党が“めげず”に「闘う政調会」を駆使し、数多くの議員立法を出した橋本龍太郎政調会長(当時)の意外な活躍ぶりや、マニフェストのさきがけともいえる「新しい連立政権の樹立について」を羽田政権時に発表したり、「細川連立政権の欺瞞(ぎまん)性と矛盾点」というネガティブキャンペーンの小冊子を発行したりと、これまでのマスコミ報道にはみられなかった政権奪還をめざす前向きな「責任野党」としての活動ぶりが詳細に紹介されている。  ネガティブキャンペーン小冊子の一例として“九三年六月の月刊誌で細川護煕氏は『小沢グループとの連携はない』と完全否定していたにもかかわらず、その数カ月後には何の釈明もなく連立政権を組んだ”とある。そして自民党が長年の与党時代に培った人脈とノウハウは野党に転落したからといってなえるものではなく、政権復帰への逆バネとなったと説いている。特に自社さ連立政権についても、「自社さ政権では(与党間の)政策調整会議が国対の役割を果たしている」(加藤紘一政調会長=当時)と紹介、必ずしも連立与党内の政策調整は時間の無駄ではなかったと振り返る。  総選挙の結果で第五党の党首(日本新党細川護煕氏)が総理になるという憲政の常道に反しているともいえる五五年体制崩壊以降の政治体制、とりわけ連立政権というものの検証が自民党政調という視点から具体的に語られている。後半では戦後の主な内閣の分析が記されているが、ここでは歴史に学ばない政党・政治家は権力の椅子(いす)から見放されることを知らされる。  捲土(けんど)重来を期すすべての人、必読の一冊だ。(振学出版・一八九〇円) [評者]選挙プランナー 三浦博史 (11/14 05:00) URL:http://www.sankei.co.jp/news/051114/boo012.htm *デモクラシー・リフレクション 巻町住民投票の社会学 ●[著]伊藤守、渡辺登、松井克浩、杉原名穂子 出版社: リベルタ出版 ISBN: 494763796X 価格: ¥ 2,520 [掲載]2005年08月21日 [評者]音好宏  新潟県巻町の名を一躍有名にしたのは、長年、町を二分してきた原発建設計画の是非に対して、「住民投票」という意思表明の場を用意したことであろう。この住民投票での「原発建設反対」が多数を占めるという民意の表明が、結果的に二〇〇三年の原発計画完全撤回につながっていく。  本書は、巻町の原発建設問題に地域社会、地域住民がどのように向き合ったのかについて、地元・新潟大学を拠点に総合的な調査研究を進めた四名の社会学者によるレポートである。筆者らは、原発建設計画を撤回に導いた巻町の「住民投票」運動が、従来の反対運動には希薄だった住民の判断や意思表明の場を強く求める運動だったと指摘する。  それは巻町だけに見られた一過性のものではない。そこに、社会構造と住民意識の変化を背景に、日本全体で進む政治参加意識の変化と、その向こうにあるデモクラシー・リフレクションの可能性を感じ取るのである。 TITLE:asahi.com: デモクラシー・リフレクション [著]伊藤守、渡辺登、松井克浩、杉原名穂子 - 書評 - BOOK DATE:2005/09/05 14:07 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200508230255.html *日本の不平等 ●大竹文雄 [読売] 出版社:日本経済新聞社 発行:2005年5月 ISBN:4532132959 価格:¥3360 (本体¥3200+税) 評者・竹内 洋(関西大学教授) 格差は拡大したのか?  バブル経済がはじけたあと、ある経済学者が大雑把(ざっぱ)な統計データをもとに、日本はアメリカより不平等な経済格差社会だといいはじめた。それ以来、格差拡大論はブームになった。勝ち組・負け組論などの格差本ジャンルさえできている。小泉政権下でますます格差がひろがっています、という選挙用格差節もある。  著者は、単純で、表面的な統計の利用ではなく、学歴や年齢などにカテゴリーを分解しながら、所得格差拡大説を追い詰めていく。たしかにみかけ上、世帯による所得格差は拡大している。しかし、学歴や年齢など同じカテゴリー内部での所得格差は拡大してはいない。この矛盾をどう解くかが著者の苦心したところである。勤労所得のない高齢者が独立世帯をもつことによって、世帯所得分布の見せかけの不平等化を大きくさせた、というのが著者による知見である。逆にいえば、かつて日本社会が平等にみえたのは、所得が比較的平等な若年世帯が多かったことによる。賃金格差についても、1980年代の格差は、労働者の高齢化によるもので、90年代以降は、格差はそれほど変化していない。米英で観察された急激な賃金格差の拡大は日本にはみられないという。  にもかかわらず、所得格差感情はひろがっている。著者の仮説は、人々の格差拡大意識は、賃金や収入の現実の格差拡大よりも、失業者やホームレスなどの増大がシグナルとなっているのではないか、というものである。データをひとつひとつ吟味し、いえること、いえないことを弁別していく著者の研究姿勢は実証研究の鑑(かがみ)である。  本書を読めば近年の格差拡大論ブームの仕掛けもうかびあがってくる。政治家や行政は解決すべき社会問題を、ジャーナリズムは危機を煽(あお)るトピックがほしい。これと学者たちの世にうけたい願望の共謀関係によるものではないかとさえおもえてくるのである。  ◇おおたけ・ふみお=1961年生まれ。大阪大学社会経済研究所教授。 (2005年9月5日 読売新聞) TITLE:日本の不平等 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE:2005/09/05 14:08 URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050905bk04.htm *持続可能な都市 ●福川裕一 [読売] 出版社:岩波書店 発行:2005年4月 ISBN:4000234099 価格:¥3360 (本体¥3200+税) 評者・浅羽 雅晴(本社編集委員)  東京の顔である銀座通りに、場違いな超高層ビル計画が持ち上がっている。品川地区では新築ビル群に遮られて海風の流れが途絶してしまった。景気回復、都市再生の美名の下に、各地で無計画な超高層ビルが乱立し、歴史的な町並みや魅力的な景観がズタズタにされている。こんな“敗北の都市計画”からの蘇生(そせい)の道はあるのか。ロンドン、バルセロナ、フロリダなどの先進例を3人の都市計画者の目で追った。  300年も前からビルの高さ論争が続くロンドンでは、歴史的建造物が遠方からも見えるように景観を保護し、超高層ビル建設や奇抜なデザインの使用には住民に拒否権を与えている。またバルセロナでは、薄暗く疲弊した市街地の住宅を撤去して広場とし、そこに美術館や学校などの公共空間を作り、劇的な都市の再生を図った。  これらの先進例は、行政と住民の高い意識さえあれば決して不可能ではないとの期待を持たせる。形態の模倣ばかりでなく、都市経営こそ学び直す必要がありそうだ。  それにしてもなぜ、日本で超高層ビルが多いのだろうか。「高層ビル願望は、単なる虚栄であり、富と権威と影響力の顕示」「二等の都市が権威付けのために必要とする」――。これは英国議会報告書の言葉だ。そういえば都内の話題の超高層ビルには、情報通信(IT)関連企業の経営者らがこぞって入居しているのをみても、分かるような気がする。  フロリダでは、一見効率の悪いもの、弱いもの、小さなものにも価値を見いだし、大切にしようという「スマートグロース運動」が、新たなうねりになっているという。  「都市は慈しみ、漸進的に熟成させ、養育することが大事」。醜悪な都市を苦々しく思っていただけに、目からウロコの落ちるような言葉とまなざしが本書にはあふれている。  ◇ふくかわ・ゆういち=千葉大学教授。◇やはぎ・ひろし=大阪市立大学教授。◇おかべ・あきこ=千葉大学助教授。 (2005年9月5日 読売新聞) TITLE:持続可能な都市 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE:2005/09/05 14:08 URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050905bk06.htm *ザ・ハウス・オブ・トヨタ ●佐藤正明 [読売] 出版社:文藝春秋 発行:2005年5月 ISBN:4163670408 価格:¥2300 (本体¥2190+税) 評者・榧野 信治(本社論説委員) (抜粋)  年間純利益が1兆円を超すトヨタ自動車は、今や世界のエクセレント・カンパニーだ。超優良経営の秘密を探ろうと、数多くの“トヨタ本”が出版されているが、本著は、創業家である豊田家に焦点を当てたドキュメントだ。  自動織機を発明し、トヨタ財閥の礎を築いた豊田佐吉。長男で、周囲の反対を押し切って自動車の開発・製造に乗り出した喜一郎。遠縁ながら喜一郎の後を継ぎ、事業拡大の立役者となった石田退三。これら主役と一緒に泣き笑いした個性的な脇役たち。登場人物が経営者に置き換わった「三国志」を読むような思いがした。  今では最もつぶれそうにない会社だが、トヨタも破綻(はたん)寸前に追い込まれたことがあった。終戦後のデフレ政策で販売が低迷し、給与もまともに払えなくなって労組がストに突入した。銀行も見放しかけ、社長だった喜一郎が責任を取って退陣したほどだ。その直後、朝鮮戦争がぼっ発、米軍から大量のトラックの発注を受け、息を吹き返した。終戦直後の混乱からストまでの綱渡りの経験が骨身に染み、銀行に頼らずに済むよう、「乾いたぞうきんをさらに絞る」徹底したコスト削減の“遺伝子”が根付いた。  ◇さとう・まさあき=1944年、山形市生まれ。日本経済新聞記者として長年、自動車業界を担当。現在、日経BP社上級執行役員。 (2005年8月22日 読売新聞) TITLE:ザ・ハウス・オブ・トヨタ : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE:2005/09/05 14:11 URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050822bk06.htm *環境生殖学入門 ●堤治 [読売] 出版社:朝日出版社 発行:2005年5月 ISBN:425500322X 価格:¥1575 (本体¥1500+税)  環境ホルモン問題は過去の遺物のように思われているが、体内汚染は確実に進んでいる。精子や卵子、胎児の次世代汚染は常態化し、時には子どもの知能の発達にも影響が出るなど、深刻さは増すばかり。  ところが使用禁止の女性ホルモン剤が前立腺治療に使われ、喫煙が環境ホルモン効果を抑えるなど「毒は薬」と見まがうような妙な現象も報告され、学問的な関心も高い。高名な産婦人科医の著者が、焦点をぶれさせることなく、平易な説明を心がけているのがいい。(朝日出版社、1500円) 評者・浅羽 雅晴(本社編集委員) (2005年8月15日 読売新聞) TITLE:環境生殖学入門 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE:2005/09/05 14:13 URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050815bk0a.htm *日本の医療 改革に向けて問題点を探る [毎日]  高齢化に伴い、03年度に24兆円台だった国民医療費は、15年度には33兆円を超えると推計され、抑制策の模索が続く。へき地の医師不足だけでなく、産科医、小児科医は絶対数が足りない。連日のように報道される医療過誤。いずれも「国民の命」に直結し、放置しておけない問題だ。  『医療・保険・福祉改革のヒント』(水野肇著・中公新書・756円)。初版は8年前だが、ここで指摘される医療費の無駄、医療保険制度間でバランスを欠く「給付と負担」などは、今ものしかかる大きな課題だ。日本の社会保障が持つ問題点を包括的に理解するのに役立つ。  『命に値段がつく日』(色平哲郎、山岡淳一郎著・中公新書ラクレ・798円)は、過疎の村で診療活動を続ける医師とノンフィクション作家による共著。現場での実体験をベースに、市場原理の導入による「医療制度の改革」は、所得による医療格差を生むことになる、と警鐘を鳴らす。医療の原点は何か、を考えさせられる。  見過ごすことのできないのが、続発する医療過誤や手術ミスだ。『医療事故』(押田茂實著・祥伝社新書・798円)は、法医学者によるハンドブック的な本。医療事故を生む背景、医療裁判の実態、身内が医療事故にあった時の対処方法まで幅広い。  それぞれの問題を一気に解決する特効薬はない。「病んでいるのは病人でなく医療そのもの」との認識を持つところからしか改革は始まりそうにない。【河出卓郎】 毎日新聞 2005年8月8日 東京夕刊 TITLE:MSN-Mainichi INTERACTIVE 学芸 DATE:2005/09/05 14:15 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/archive/news/2005/08/08/20050808dde035070005000c.html *日本経済-混沌のただ中で ●井村喜代子・著 [毎日]  (勁草書房・2940円)  通常は、九〇年代以降の日本経済をバブルの膨張・崩壊との関連で説明することが多いのだが、著者の立場はちがう。七〇年代の「金・ドル交換停止」=変動為替相場制への移行という現代資本主義の変質にまで遡ってそれとの関連に注目。戦後を通じてアメリカとの特別な関係の中で日本経済が推移してきたことを軸に説明を試みる。  さらに、実体経済と乖離した金融・投機活動が広範化し常態化したことの中で日本経済の「混沌」を位置づける。「混沌」に切り込んだ、久々に読み応えのある日本経済論。(達) 毎日新聞 2005年9月4日 東京朝刊 TITLE:MSN-Mainichi INTERACTIVE 学芸 DATE:2005/09/04 15:22 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20050904ddm015070069000c.html *快適自転車ライフ 疋田 智 (著)  岩波アクティブ新書 価格: ¥777 (税込) 単行本 - 191p (2002/10) 出版社: 岩波書店 ; ISBN: 4007000476 ; (2002/10) 目次 第1章 ママチャリに乗って冒険に出かけよう(隣の駅まで行ってみよう 会社まで行ってみよう ほか) 第2章 こんなに奥が深いぞ、自転車の世界(こんなに様々な自転車の種類 自転車を愉しむ ほか) 第3章 快適な自転車通勤と自転車生活のために(私が自転車通勤を始めたわけ これは必須の自転車グッズ ほか) 第4章 自転車と街と未来と(二一世紀は自転車に乗って 自転車の視点から見る道路整備 ほか) 1時間くらいで読んでしまえる軽い本だが、なかなか内容も濃い本だった。 著者は、テレビプロデューサーで、自転車を通勤に使っている「ツーキニスト」。 日本は、自転車があふれる社会だが、自転車の可能性を活かしていない、という。その原因のひとつが、日本の自転車の大部分を占める「ママチャリ」の存在。あれは、重心が低くなるためスピードが出ない。自転車とは、時速20~30キロは楽に出せる乗り物なのに、ママチャリではせいぜい10キロ。これでは、移動手段としての行動範囲が極端に狭まってしまう。文字通り「ママ」が近所のスーパーへの買い物くらいにしか利用できないのだ。 それから、自転車を歩道に上げてしまった道路交通法。先進国の中で歩道に自転車が乗り上げている国は日本だけという。そのため、自転車はスピードが出せず、歩行者は危険にさらされる。 さらに、自転車マナーの悪さ、といいうか、マナーが確立されていないこと。無灯火、逆走(左側通行というルールが確立されていない)、併走。 自転車を愛し、これからのエコな社会を期待する人は、自転車の社会的地位を向上させ、自転車を巡る社会システムを改革するために、この3点を自覚・反省しなければならない。 明日にでも、ママチャリから著者の勧めるクロスバイクなどに乗り換え、堂々と車道を走り、街の風を切りたい、と思わせる好著だ。 *大前研一 敗戦記   ●大前 研一 (著) 価格: ¥1,575 (税込) (品切れらしい) 単行本: 290 p ; サイズ(cm): 19 x 13 出版社: 文芸春秋 ; ISBN: 416350950X ; (1995/11) 世界的コンサルティング会社マッキンゼーの売れっ子コンサルタントで、『新・国富論』がベストセラーになって、原稿依頼や講演に引っ張りだこだった大前研一は、政治改革を志し、1992年に「平成維新の会」を立ち上げ、多くの国会議員・地方議員を生みだすのに力を貸してきた。そして大前自身が、95年の東京都知事選挙に無党派で立候補。結果は、当選した青島幸男に130万票の差をつけられ4位という惨敗であった。続く同年の参議院選挙でも、大前が名簿第一位で出た「平成維新の会」は議席をひとつも獲得できなかった。 「生涯において、初めての敗北だった。」という冒頭の記述からわかるとおり、選挙前、著者の自信・自負は並々ならぬものがあった。それは、それまでの職業経験からくる、日本のみならず世界のエスタブリッシュメントとの人脈の太さ、大前自身の知名度、吟味された政策の確かさ、「維新の会」で育てた政治家たちによるバックアップ、そして市場コンサルタントしての有権者意識の読み等々から来る自信であった。 しかし、実際の選挙は、読み違い、挫折の連続であった。 まず、公選法という壁の高さをいやというほど思い知らされる。既成政党・大組織が有利な制度に、さすがの大前の知名度も、政策も生かす手だてがなかった。 さらに大前が得意なはずのメディア対策も大きな読み違い。雑誌・テレビを重視した大前に大新聞がそっぽを向く。スポーツ新聞、夕刊紙はパフォーマンスの青島に走る。 彼が一生懸命応援して育てた「改革派」議員たち、そして彼の理論・政策を高く評価していた財界人たちも、「影ながら応援します」と言って逃げていく。 予想もしなかった惨めな敗戦に、制度や人の心の移ろいやすさを呪っていた大前の頭に、親友・加山雄三の言葉が落雷のように落ちた。この場面は感動的である。 「俺は選挙中、お前には何も言わなかった。あんなに一生懸命やっているのを見ると何も言えなかった。だけどね、あんた滑稽だよ」 「あんたの政策は素晴らしい。僕なんかが聞くとその通りだと思う。でも、あんたはまったく『底辺』の人々の心に触れていない。」 「あんたがなぜ滑稽なのかというとね、全部一人でやろうとしているからだ。・・・全部自分で分析して、全部自分で答えを持ってて、何聞いてもわかってて、そして一人で興ってもいないのに、『平成維新』と言って、『平成維新です。みんなやりましょう』とやっている。それじゃあピエロだ」 大前は、自分自身の改造なくして政治改革はないことを悟る。加山雄三恐るべし、である。 この著書によると、大前は、自己改造しつつさらに政治に挑戦する気でいるみたいだ。その覚悟はすがすがしい。 「今の世の中のこの巨悪、利権構造、超保守主義、刹那主義。これを見たのだ。世界に背を向けた内向き、下向き、後ろ向きの世相。これに気がついたのだ。それを見て見ぬふりをして、若い人に全部のツケを送って、オヤジは悠々自適の生活をして幕を閉じた、とは言わせない。オヤジは自分の生きた時間の全てを自分の正しいと思う社会の実現に捧げた。稼いだ金の全てを息子たちの世代のために遣ってしまった。やり方は下手だった。もっと上手いやり方も今から考えればあった。だが、オヤジはその都度反省しながら、力の限りを尽くした。そんな死に方をしたいと思う。」 余談だが、都知事選を互いに争った岩国哲人の描かれ方がおもしろい。岩国ファンもご一読を。

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