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NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記
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匿名ユーザー
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記
2004年03月06日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(1)
自治体職員有志の会のメンバーの大島と申します。
これから毎週土曜日にこのHPで、数回にわたって私が今年2月に行った「オセアニア行革視察」をご報告します。私はこの視察で仕事上多くのことを学びましたが、それ以外にも現地の人と話をしたり触れあったりする中で、「日本とはどんな国か。日本人とはどのような特徴があるのか。日本の自治体など統治システムはどのようなことが優れ、どのようなことが劣っているのか」を客観的に考え直すうえで良い機会となりました。このような機会をいただいた皆様に、心から御礼申し上げます。また、ここで申し上げることは基本的に私の私見ですので、どうぞ気楽にご覧いただければ幸いです。
1.全ては1本の電話で始まった
私はある自治体から関係団体に派遣されて調査・研究や職員研修、そしてその団体の総務的な仕事を行っているごく普通の自治体職員(NOT カリスマ職員)です。年度末も控え、報告書づくりや団体の総務事務にいそしんでいた時、「2月に1人で海外視察に行って組織の役に立つ情報を仕入れて来てくれ」という電話を受けました。「どこ」とか「何」という具体的な指示は一切なくそれも1人で行けとのことです。正直面食らいましたが、今当自治体が直面している厳しい状況を鑑みて、「忙しい」とか「自信がない」とか言い訳をせず即座に了承し準備にとりかかりました。
真っ白で海外視察先を考えることほど、つかみどころのない話はありません。しかし本当に意味のあるものにしなければならない。とっさに「ニュージーランドとオーストラリアに行こう。」と思い立ちました。
2.視察先をNZと豪州に決めた訳
単純ですがこの話があった直前、今から8年前に中田横浜市長等が書かれた「ニュージーランド行革物語」を読んで、NZの徹底した行革への取り組みと経済や社会のリニューアルに成功した事実を見て、心から共感していたのです。また方法は若干違いますが、豪州も「血を流して」今の財政黒字や好景気を手に入れておることを以前から知っていました。今の日本に欠けること、それは「長期的な展望に立って恐れず徹底した行財政改革や規制緩和を行い、成果を出していく」ことを学ぶのに最適にサンプルだと思いました。自らの自治体についても同様に状況にあることは論を待ちません。
3.準備にとりかかるが難航
自分ながら心意気は良かったのですが、何千とある自治体の中からどの自治体に行くことを決め、また先方に用件を伝え、了承を得るのかが大変難しいものでした。見ず知らずの人に、しかもつたない英語である私が何とか1人で伝えなければならない。今回、視察のサポートをしてくれた旅行代理店の担当者は、相当多忙な様子でほとんど「当てにならない」状況でした。仕方なく全国市町村国際文化研修所の雑誌「国際文化研修」を何気なく読んでいたところ、ある記事が目に止まりました。関西学院大学の石原先生が書かれた記事で、「NZの自治体でハット市というところがあり、そこは職員を900人から300人に減少させたにもかかわらず住民満足度をNZの自治体の中で最高クラスに引き上げた。」というものでした。これから自治体はコンパクトな運営が要求され少数精鋭で頑張らねばならない中で、住民満足度を向上させている事例として心惹かれるものがあり、「この街にしよう」と即断しました。また豪州については、やはり別の書籍でビクトリア州にマニンガムという自治体があり、数多くの自治体が直営事業から撤退する中で、自らの事業の生産性を高め民間企業に劣らない競争力を身につけることで、民間企業との熾烈な競争(豪州では、自治体業務のかなりの部分を「強制競争入札」という制度で、自らの事業部門(例:清掃局)と民間企業が対等な立場で仕事を取り合い、入札に負ければ部門ごとリストラを行う制度がある。)に打ち勝ってきた事例が載っていました。「もし今までの仕事を続けるならば民間にも負けないように自らの生産性を向上させるしか方法はない」と思っていた私にとっては、格好の事例でした。この2自治体にオファーを出しますが、「なしのつぶて」です。旅行代理店経由でもお願いしましたが「生返事」が返ってくるばかり・・・・・視察の日程が刻々近づく中で、私の中で次第にあせりの色が濃くなってきました。後で現地の人にお聞きしましたが、先方の自治体は大変忙しく、かつ何を聞きたいか下準備もしていないような日本からの視察が多すぎる(某議会関係が多いとのこと)ため、特に旅行代理店経由の視察は断っているとのことでした。本当に意味のある視察は自らが勉強して、視察先も決定する必要がありそうです。
(次週は、オファーのOk・準備・旅立ち・数々の試練などをご報告します。)
2004年03月13日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(2)
★3月6日分の日記の続きです。
1.視察先からOKの連絡
海外視察の出発日があと一週間になってもオファーのOKが来ません。しかし、今更ほかの自治体に振り替えても、本来お聞きしたいお話を聞けないこともあり、最悪の場合飛び込みで話を聞きに行こうと決意しました。私は元来幸運の持ち主のようで、ハット市、マニンガム市、そして豪州で最も厳しい行財政改革を行って政権が引っくり返ったビクトリア州大蔵省にもお伺いすることができるようになったのです。但しビクトリア州は予算編成中ということで30分だけ時間をあげる(実際は1時間以上話しこみましたが)というおまけでしたが・・・・・
OKをいただいた理由として、今回の視察が抽象的な目的ではなく、1なぜ職員を減らしても住民満足度が上がったのか,2国が財政的破綻直面する中で行われた行財政改革によって自治体にどのような影響が出てくるのか,3自治体の直営部門が公共サービスについて完全にフラットに民間企業と自由競争するとして、どんな部分に競争性を見出すのかは、古今東西どこの国でも共通のテーマと感じていただいたためだと理解しています。
2.準備・旅立ち
行き先が決まり漸く本格的な準備に取り掛かったのは出発3日前であった。国内旅行の準備の他に、海外用ドライヤー、同携帯電話、使い捨て下着(紙製)、日本からのお土産(京都の業者から扇子、がまぐち、絵葉書を急送してもらった)、自分の自治体を紹介する英語のパンフレットなどを用意しました。
出発当日2月21日は、関西地方は抜けるような青空で最高気温も20度近くに上昇した。行き先が「真夏」なので服装を軽くできるので助かりました。家から徒歩3分のホテルから関西空港行きのリムジンバスに乗車して、家から45分ほどで関西空港に到着しました。(私のように湾岸沿いに住んでいる者は、伊丹空港より関西空港の方が随分便利なのです。神戸空港ができればもっと便利ですが)空港に着いてみると大混雑です。シーズンとはいえ少し景気が回復してきたのかなと実感した次第です。航空会社はNZ航空にしました。国営会社が民営化されてどのようにサービスが改善しているのか見てみたいと思いました。料金を安く抑えるため関空→クライストチャーチ→ウェリントン→クライストチャーチ→メルボルン→オークランド→関空を全てNZ便にしました。またJALと共同運航というのも、日本人にとっては安心感が持てます。2時間前にチェックインし、30分前に税関を通りました。関空のX線装置はフィルムに配慮してくれているようです。乗客は日本人とNZなど外国人がほぼ半分ぐらいで、日本人は女性の2人ずれが多いようです。男1人で日本人の乗客というのは希なようです。このことが後々、私の旅路で大きな「障害」となることを、その時点ではわからなかったのです。18時30分定刻に飛行機は出発しました。搭乗率は70%程度ですが、私はゆっくり座席を使いたいと思い,ボーイング767の真中の列を予約で指定し,狙いどおり隣の席が空いた席をゲットしました。乗務員には日本人もいるようで、とりあえずリラックスしてクライストチャーチまでの11時間の旅を楽しむことにしました。NZはサマータイムで、日本との時差はプラス4時間。デートライン(日付変更線)ぎりぎりのところまで日本から南南東に9000キロ飛んで行くことになります。普段は深夜3時ぐらいまで起きている生活ですが,ここでは早く就寝することにしました。暖かい機内料理,「どびん」を持った日本茶サービス、ワインやビールも好きなだけ注文でき,飲むだけ飲んでさっさと眠りました。どこでも寝られることほどありがたいことはありません。
起床すると、目的地まであと2時間ということでした。就寝時間6時間ぐらいです。もう空は明るくなっていました。朝焼けの雲海の景観が見事です。時計を4時間進めるとAM6時、日本時間でAM2時で、ふだんならまだ起きている時間だと思うと何となく自分の適応力が笑えてきました。定刻どおり、NZのクライストチャーチ国際空港に到着しました。気温13度、真夏なのに関西空港より気温が低いのにはびっくりしました。
さあ、ここから苦難の連続が始まります。
(次週は,税関での苦難、視察地到着、ハット市での出会いなどをご報告します。)
2004年03月20日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(3)
★3月13日分の日記の続きです。
前置きが長くなりましたので先を急ぎます。
1.税関での洗礼
ニュージーランドは税関の厳しい国でした。特に私は、●日本なのに1人で移動している、●目的欄が「Sight Seeing」なのに家族も友人も一緒でない、●職業欄が「Association(どうも秘密結社の一員と思われたようで・・・」ということで、別室に連れて行かれ、特別メニューでチェックを受けました。お陰でNZの人が持つ日本人への複雑な感情(素晴らしい自動車や電化製品などへの畏敬の念と英語を通じたコミュニケーションがとれないことへの軽蔑の念)がよくわかって、それからの視察に役立ちました。ただ税関で気をつけなければならないのは不用意に聞き取れないのに「Yes」と言うと拘置所に送られてしま可能性もあるので、「Icannot understand」が重宝です。先方もそのうち面倒になって許してくれる可能性が高まります。黙秘権の1つかも知れませんね。
2.いよいよハット市に視察
国内線でウェリントンに移動しホテルに一泊して翌日はハット市の視察です。午前中に視察予定でしたが先方から「20ぶりの大洪水に見舞われたためバタバタしている。午後に延期してほしい。」ということでした。「これは視察自体も中止かな」と覚悟していると、その後「来てもよい。」という返事が返ってきました。ハット市は人口10万人でウェリントンに隣接する住宅・軽工業の都市です。行財政改革のあおりで政府系施設や国営工場が次々と閉鎖された後に、現在は欧米主要諸国との時差を利用したコールセンターが多数立地しています。タクシーで市役所に向かい、General Manager等に迎えていただきました。
先方が忙しいこともありできるだけ聞きたいことを単刀直入に聞きました。●当方「ハット市が職員を1/3にしたのに市民満足度がNZで最高レベルである理由とそのために行った取り組みを聞きにきました。」、★先方「職員である自分たちの都合を脇に置いてアウトソーシングや民営化しても満足度が下がらない業務をトップダウンで断行しました。」●「具体的にどのような業務の直営部門を閉鎖し、アウトソースしたのですか。」★「まず建築審査やコンサルティング部門を閉鎖しアウトソーシングしました。当時の職員は民間会社に移って役所の時よりも高い給料をもらって同様の業務を他の自治体などからも受けながら頑張っています。」●「次にどんな部門を見直したのですか。」★「道路や公園、河川などを管理したりごみ収集する部門です。民間企業で行った方が機動的な対応が可能になるからです。」●「次に見直した部門はどこですか。」★「上下水道の部門です。莫大な設備投資が必要なので単独の自治体でキャピタルチャージの負担が重過ぎるのでオフバランス化を進めるためにも資産ごとの売却を進めています。また管理を行う専門スタッフを抱えることが高いコストにつながるのでまずは運営管理のアウトソーシングを進めています。」●「行財政改革の根本原理は何ですか。」★「市場原理、競争原理です。競争のないところに発展はありません。また市場原理のないところに効率性はありません。自治体は常に自らの生産性を向上させて継続的に自立していく努力を続けていかなければなりません。」●「予算システムは改革しましたか。」★「現金主義から発生主義に変えました。全予算のうちキャピタルチャージが18%を占めています。またインプット主義からアウトプット主義に変えました。まずお金が決まってやる事業を決めるのではなく、政策目標として必要な事業量であるアウトプットを決めて予算を暫定的につけます。よって、予算をどれだけ確保するかはそれほど重要なことではなく、同じアウトプット量を実現するのにできるだけ少ない金額で達成することが業績評価につながります。つまり予算を余らせるほど高い評価が与えられるのです。」●「日本では予算を多く獲得した人が賞賛されます。また公会計は原則として現金主義です。」★「いわゆる増分主義に陥っているということですね。分どり合戦の世界です。またインプット主義のままだと発想がプロダクトアウトにとどまる可能性があります。また現金主義だとこれから更新期を迎える設備の耐用期間が来たときどのように資金を確保するのですか。随分無計画ですね。」●「おっしゃるとおりです。また日本では国が自治体に補助金を出してインフラ整備を推奨しています。そこに無計画に設備投資を行うインセンティブが働いています。」★「運営も含めて最後まで面倒を見てくれるのですか」●「原則は、イニシャルだけです。」★「自治体は基本的には自前で運営されるべきです。補助金までf出してやる事業ならば本来、国が行うべきでしょう。」
やり取りの前半は以上のようなものでした。時間はこの時点で2時間を過ぎていましたが互いに関心のある話なので時間を忘れて話込んでいました。国を問わず自治体職員というものは同じ問題意識を持っているのだなとあらためて感心した次第です。ハット市での話の後半は次週にお伝えします。
2004年03月27日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(4)
★3月20日分の日記の続きです。
1.ハット市視察(2)
NZハット市でのヒアリングはさらに続きます。●当方:「これだけの厳しい改革を行うと、職員やステークホルダーから反発はありませんでしたか。」★ハット市職員:「当然ありました。役所の中では職員組合、役所の外では政治家や一部の地域住民です。」●「日本では職員組合や地域団体、政治家が自治体首長を根底で支えているので、彼らが反対することはなかなかできないものです。」★「私たちの国でもかつては同様でした。でも1980年代の破滅的な財政危機を迎えてからは、組合も地域団体もエゴ的なことを口に出すことができにくくなりました。組織が切羽詰まればそういうものですよ。」●「誰が実際に改革の中心人物だったのですか。」★「チーフエグゼクティブ(CE)と呼ばれる外部から招聘したプロ人材の幹部です。」●チーフエグゼクティブとはどんな役割をするのですか。」★「NZでは自治体の意思決定は議会が行います。ただ議員は行政のプロではないので、実際に自治体をマネジメントするのには困難が伴います。そこで行政や企業を運営する上で卓越した能力や実績を持つプロ人材を公募して、議会に代わって自治体運営を行ってもらうということです。」●「その方はハット市に元々関係のある方なのですか。」★「いいえ。彼は英国人で住民でもありません。プロの人材を求めるのに、地域性はあまり重要な条件ではありません。英国での自治体運営の経験などを評価した結果です。」●「外部人材を招聘するメリットを教えて下さい。」★「何と言ってもしがらみがないことです。極めて合理的な判断を下すことです。CEは、当該職員に不必要な気遣いをしません。彼らにとっての価値観は「実績を挙げる」ことが最も重要であり、自らのプロスキルを活用して実績を挙げるために最大限の努力をするのです。またそのことが可能となるよう、いったん議会がCEに指名すれば、彼は執行部門において、人事権や予算調整権などオールマイティの権限を集中的に持つことになります。議会もそれに口出しをすることはできないのです。」●「どんな契約になるのですか。」★「任期制で成功報酬的ものです。プロのスポーツ選手のものに似ていると思います。」●「今後のハット市の行財政改革に向けた取り組みの方向性な教えて下さい。」★「NZでは財政も好転し景気もよい状態です。99年に政権交代がなされたのですが、現在の政権はこれまでのNZの改革の一部見直しを表明しています。その代表的なものが02年に行われた自治体運営指針の変更です。これまでの市場主義、競争主義、契約主義による自治体運営の効率性の高まりは認めるものの、地域住民の意向を政策に活かしていくための「住民参画」、持続的な環境を維持していく取り組み「サスティナブル」、これらを自治体運営に反映させるために自治体は制度づくりやマニュアルの整備を求められています。しかしながらこれらの取り組みは財政が好転し、経済が立ち直ってから考えたほうが良いように思えます。重病人にあれもこれもできるはずがありません。自分の身体を治す(財政の再建)ことに集中したほうがよいでしょう。」●「これからの行政運営の中で市場主義・競争主義・契約主義は放棄するのですか。」★「絶対に放棄できません。これからも行政運営の基本コンセプトとして堅持していきます。時代の流れを変えることはできないのです。」★「さらにはこれまでアウトソーシングした業務なども絶えず見直しを図り、民営化や他自治体との共同運営による規模のメリットの追求等も行っていきたいと思います。」●「最後に日本の自治体職員にメッセージをお願いします。」★「自治体の運営も借金ができなくなって資金繰りがつかなくなった時、待ったなしの状況に置かれます。その際に人員や予算の大幅削減(ハードランディング)が到来し、血を流す改革の始まりとなります。そうなる前に組織としての最大限の努力が必要となるとともに、個人としてもどこでも働けるように高い職業能力を身につけておくことが必要です。組織と個人の関係はあくまでも相対的なものとして考えてください。」●「ありがとうございました。80年代のNZの姿に現在の日本の姿が重なりました。貴重な教訓として,日本国内で伝えていきたいと思います。」
ヒアリングが終了すると開始から5時間経っていました。互いに関心を持つテーマを真摯に議論し,親切な気持ちに触れられて,こういうものが「国際親善」なのだな実感した次第です。
2.NZから豪州・メルボルンへ移動
ハット市での有意義なヒアリングを終了し,一日おいてメルボルンに出発することになりました。3日間滞在したウェリントンは私にとって思い出の地となりました。来た時は真夏なのに最高気温15度という日でしたが、私が去る日は最高気温25度、漸く夏到来といったところですが、NZに皆さんが夏に行かれる時は薄手の長袖のポロシャツが最も汎用性があることをお伝えしておきます。空港で土産を物色し,50人乗りの飛行機で苦い思い出の地となったクライストチャーチを経由して、メルボルン行きの国際便に乗り換えました。時間は4時間。座席は革張りのB767で最高級仕様です。NZの豪州への特別の思いがこもっているように思えました。隣席が豪州のフレンドリーな高齢者の夫婦だったので、久しぶりに楽しい会話が進みました。自分の自治体がブリスベンと姉妹都市であることを話すと,若い頃に港湾関係の仕事をしていて同市に住んでいたことなどを聞けました。一方で,豪州内には第2次世界大戦での日本軍の非難されるべき行動などにより少なからず反日感情があることも教えていただきました。気軽にシドニーやゴールドコーストで遊ぶのもよいですが、底流にそのような国民感情があることを忘れないようにしなければなりません。飛行機は予定通りメルボルン国際空港に到着しました。「乾いた大陸」という別称のとおり見渡す限り,土が露出した短い草原地帯が広がっています。それにしても空港を降り立ち税関を通る際に,またもや「手荒い歓迎」を受けたのです。続きは来週です。
2004年04月03日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(5)
★3月27日分の日記の続きです。
1.メルボルン到着
メルボルンは人口330万人の豪州第2の都市です。豪州で最も古い街の1つで、キャンベラに移されるまでは、首都が置かれていました。空港で待ち受けていたのは、まともや手荒い歓迎でした。あまりにも典型的な日本人である私は、いたぶるにはちょうどよいカモであったかも知れません。スーツケースをはじめ全ての荷物が念入りに調べられました。私は豪州で無実の罪で終身刑を言い渡されている人の話も聞いていましたので、聞き取れない話は全て「I cannot understand」で通すことにしました。税関の面々もあきらめたらしく約40分で無罪放免となりました。今回の海外視察で、NZと豪州の国民性が嫌いになったのは大変残念なことです。
さて、そんなことはおいてメルボルン市内にタクシーで向かいました。メルボルンは「ビクトリアガーデン」と呼ばれるほど、市内の約1/4が公園で占められています。市内中心部のCITYにあるホテルにチェックインし、落ち着きました。ただ明日の視察までに一仕事残っています。明日の段取りや通訳の人との連絡が取れていないのです。旅行代理店はいい加減なものです。あらためて自力での対応が必要であることを痛感します。ただ幸運なことに、メルボルンでは日本から持ってきたauの携帯電話が使えます。すぐに豪州モードに切り替え、東京の旅行代理店に連絡し、明日の段取りと通訳の人との連絡が何とかつきました。明日は10時にマニンガム市役所前で待ち合わせです。日本との時差は+1時間、NZとは時差が3時間あったため、すぐさま眠りにつきました。
2.マニンガム市訪問
翌日は8時に起床してContinental様式の朝食を取って9時にタクシーでホテルを出ました。大変立派なフリーウェイを通って10時ちょうどに市役所に到着しました。通訳の女性も既に到着されています。関西学院大学出身で大丸に勤められた経験があるようです。数年前までメルボルンに大丸があったことなどや、私の出身地である愛媛県新居浜市にも別子大丸があったことなどで話題がはずみながら市役所に入っていきました。マニンガム市では、行政マネジメント担当のマネージャーと副マネージャーが対応してくれました。マニンガム市は人口12万人で国際都市メルボルンでも欧州系の移民が多いことで知られ、市内の一角には高級住宅地も形成されています。市役所の建物は小規模ですが、大変こぎれいに作られまるで銀行のようです。まずは、土産物の交換などを行いながら来訪した趣旨を伝え、パワーポイントによる説明が始まりました。あまり視察を受け入れていない自治体のようで、市の概要などを聞いてもあまり意味はないので、説明を遮るように、核心的な質問をすることとしました。
●(当方)「日本で見た豪州の行財政改革の紹介をした記事では、マニンガム市も属するビクトリア州が最も厳しい行財政改革を行ったそうですが、具体的にはどのような取り組みが行われたのですか。」★(マニンガム市)「豪州ではNZ同様、英国のEC加盟や石油危機、一次産品の暴落等により70年代後半から経済的苦境を迎え、財政も逼迫した。そのため英国やNZを手本としてNPM型の行政改革を推進することになり、95年には各州政府レベルで「国家競争政策(National Competition Policy)」が合意され、公的部門の民営化や自治体改革が大胆に進められました。また、国家競争政策の重要な原則の1つとして「競争中立性(Competitive Neutrality)」があり、各種公共サービスの供給において政府や自治体の直営部門と民間企業が全く同一の立場で入札を競う「強制競争入札制度(Compulsory Competitive Tendering)」が導入され、公的部門において徹底的な競争原理、市場原理が導入されました。その前提となるのは、まず同一業務を行う事業体は、政府部門であろうが民間企業であろうが、税制、補助金、規制などを同様の条件で受けることとし、公正な競争環境を整備していることです。第2に、政府や自治体が供給するサービスのコストを発生主義によるフルコストで計算することとし、徹底して行政運営を情報開示することで、公的サービスへ新たな参入しようとする者に情報や機会を提供していることです。第3に、組織を管理部門と執行部門に完全に分離し、アウトプット予算に基づき、契約主義による予算の配分が行われている。よって執行部門が必ず自治体の直営部門である必然性はありません。財政破綻に直面していたビクトリア州は、豪州でも最も厳しい行財政改革を断行したことで著名であるが、その代表例として強制競争入札(CCT)の目標数値を定めました。3年間で50%以上の事業部門をCCTにかけることを各自治体及び自らに求めたのです。」●マニンガム市は具体的にどのように取り組まれたのですか。★「マニンガム市は、古くからQC活動に取り組むなど生産性向上に向けた積極的な取り組みが行われてきました。また豪州自治体では初めてISO9001及びISO14001双方の認証を受けるなど、同市のマネジメントや公共サービスの「ブランド化」を進めました。これらの自主的な取り組みに加えて、ビクトリア州から設定されたCCTにも積極的に取り組み、目標値を大幅に超えて、対象となる19の事業部門全てにCCTを課し、そのうち90%以上の部門で民間企業など競争相手との競争に打ち勝ち公共サービスを落札しました。他の自治体では落札率が50~75%で多くの直営部門がリストラされる中で、生産性の向上と自治体職員の雇用の場の維持を同時に実現した事例として称賛されています。」★成功要因を具体的に教えて下さい。●「同市は以前からQCやISOなど生産性の向上を求める組織風土がありました。これらのお手本の1つがビクトリア州に進出しているトヨタです。日本の自治体も身近にお手本があるので積極的に学んで下さい。また、公共サービスについては「公益性」が求められ、「安かろう悪かろう」では顧客である住民に迷惑をかけることもあります。公共サービスの一定の質を確保するためには、単に価格競争に持ちこむのではなく、質の向上を競う「非価格競争」を志向しなければならないと思います。その際、自らのサービスの質について高い自己評価を行ったとしても説得力が弱いので、エクセレントな民間企業が取得する組織経営への評価ブランドを取得することとしました。先に述べたISOのほか、「Safety standards AS4801 and Safety Map Advanced(豪州における地域の安全性を認証する基準)」「Investor in People(職員を対象とした研修を充実させるなど人的投資を積極的に行っていることを認証する基準)」等を次々と取得することで、競争入札において質的競争で優位に立ち、総合評価で民間企業の評価を上回ることに成功したのです。よって同市職員の雇用は守られており、さらには他自治体の業務も受託するなど、規模のメリットも追求しながら生産性の向上に引き続き努めています。」
そのような話をしていて感じたのは、生産性の向上により他の自治体業務への進出なども図った結果、職員の給与についても積極的な取り組みを行ったところほど収入増加に比例して給与も増加するという「努力すればするほど自らの収入を増やせる」というインセンティブが働き、さらなる生産性の向上につながる好循環を生み出しているということです。同市が普及させた自治体間の受注競争は、自治体公共サービス全体の生産性向上にも寄与しているものと考えられます。一方、豪州では景気が回復し財政黒字基調も定着し、社会全体に楽観的な見解が支配的になる中で、ともすれば行財政改革もスピードダウンを余儀なくされているように感じられました。その象徴的な事例が99年のCCTの廃止です。豪州では現在、NPM型の行財政改革に変わって、英国のブレア改革を見習ってPPP(Public Private Partnership)を行政運営の基本原理とする取り組みが急速に高まっています。PPPの1つの類型が日本でも展開されているPFIであるが、PPPによって生み出されるという「Best Value(顧客にとって最も高い価値)」の測定基準が明確でない中で、各自治体は行財政改革の新たな方向性を模索しているように感じられました。これはNZとほぼ同様の状況です。しかしながら、NPM型行財政改革がもたらした「管理部門と執行部門の完全分離」「公共サービスへの競争主義・市場主義・契約主義の導入」「予算の発生主義・フルコスト主義」「徹底した行政運営情報の開示」などの制度は健在であり、ヒアリングを行った担当者も、これらの原則的な取り組みについては「後戻りはあり得ない」と強調していました。同市の直営部門は、他自治体業務のさらなる受託の増加、収益性の向上等を目指しているようです。
2004年04月10日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(6)
★4月3日分の日記の続きです。
1.これまでの視察で気づいた点
NZのハット市、豪州のマニンガム市を訪問して、今回の海外視察の主要な日程は終了しました。両市で感じたことは、世界的な行財政改革の新しい流れ(NPM)の中で、その先頭を走っている政府や自治体は、企業的経営手法を大前提として、市場主義、競争主義、契約主義に基づいて、これまでの行政経営システムを根本的に見直すことで、危機的な財政状況を正常化してきたということです。日本の政府や自治体の財政状況が破綻寸前にある以上、同様の取り組みが必要であることを確信しました。
一方で、日本の行政運営の中で重要視されている、地方分権や住民参画については、両国の自治体とも本格的に取り組んでいないことも実感しました。そのことに触れると、途端に先方は歯切れが悪くなります。しかしそれも無理からなることが次第にわかってきました。1つは、もともとNZや豪州は中央政府と自治体の役割分担や財源のテリトリーが明確に分かれており、日本で論点となっている補助金・地方交付税制度のの縮小・廃止、税源移譲などに取り組む必要がないのです。よって「地方分権」と言ってもピンとこないようです。また住民自治については、NZでも2政権が交代して2002年度に地方自治体の運営システムを大幅に変えることが法律で規定された中で、「住民意見の反映」「説明責任」を行うことに取り組み始めたという状況です。しかしながら当方が感じたのは、抜本的な行財政改革をトップダウンで行い財政危機を回避しようとする時期に、意思決定に時間がかかる住民参画を同時に進めることには、少なからず無理があるということです。危機的な状態のときは、自治体運営のプロであるトップや職員が、限られた時間や資源の中で改革に取り組み、財政が正常化してからじっくりと住民参画に取り組んでいくという順番で考えたほうが、スムーズに改善・改革が進められるように思った次第です。
2.ビクトリア州政府突然訪問
さて、主要日程が終了した後、メルボルン市内を放浪しながら考えたのは、「他の自治体についてもできるだけ話を聞きたい。」ということです。というのも、当方の自治体が、港湾、交通、水道、下水道、空港、産業誘致などの業務を行っていることを考えると、豪州ではそれらの業務は州政府が行っているものであり、州政府関係者の話も聞きたいと思ったからです。
早々にauの携帯電話で東京の旅行代理店に連絡し、ビクトリア州のつてを探してもらうこととし、その結果「30分だけなら会ってやってもよい。」という返事をもらいました。早々に質問事項を作成し、東京経由で先方にFAXで連絡し、指定の時間にメルボルンの州政府に出向きました。
訪問した部門は「国際産業誘致部門」です。日本からの企業誘致も盛んに行っており、担当者も日本の事情をある程度理解してくれているとのことです。相手をしてくれた方は、産業誘致部門のマネージャーで何度も日本にも来ているようです。彼は任期が5年のプロ職員で、年間、国内外の企業300社にアプローチし、そのうち15社の誘致を行うことが契約条件になっているとのことです。その目標を下回れば給料は下がり、5年経てば再任用されず、逆に目標を上回れば、もっと大きな部門や組織の長としてステップアップを考えているとのことです。まさに「結果が全て」のキャリアパスの世界です。彼の貴重な時間を無駄にしてはいけないと思い、早速関西空港で買った「浮世絵柄のがま口」で機嫌を取りながら、次のようなことを聞きたいということを身振り、手振りで伝えました。
●強制競争入札(CCT)を廃止した理由
●現在の行政運営の基本原理
●一連の改革によって行政運営のどの部分がローコスト化されたかなどです。
先方は、突然の訪問なので全ての問題に答えることは難しいが、特に「現在の行政運営の基本原理」について、自治体運営システムを変えることを担当している部門があるということで、大蔵省に連れていってあげるとの申し出をいただきました。電話で大蔵省のアポを取ってくれ、歩いて5分の大蔵省の建物に向かいました。大蔵省と州政府知事公舎だけが他の部門と異なる場所にあり、「別格」ぶりが際立っています。案内してくれている人も明らかに緊張しているのがわかります。
入り口に入り、受付の人に来意を伝えると、50歳前後の男性が降りてきてくれ、会議室に案内してくれました。豪州では予算編成作業の最も大切な作業が、12月で終わった前年度決算をシビアに評価して次年度の予算編成に反映させるということであり、その最も忙しい時期にあたっているようで「みんな疲れているな」という印象を受けました。案内されて会議室に入ると、若い女性がポツンと座っています。場所を間違えたかなと思い退室しかけると、その50歳の男性から「私の上司(シニアマネージャー)だ。」と紹介されました。その女性はスクッと立って私に握手を求めてきましたがすぐに「ただ者ではない。」と感じました。目つきが他の職員と全然違うのです。眼光きびしく、いかにも論争好きといった風情です。
連れてきてくれたマネージャーが、ものすごく緊張しながら私の来意を彼女に伝えてくれるのが終わるか終わらないかのうちに、期待どおり彼女は機関銃のようにしゃべり始めました。私のつたない英語力では心もとないのですが、要は以下のようなことを言っているように聞こえました。
●「ビクトリア州政府は、99年に政権交代し、行政運営の基本原理をNPMからPPPに変更しました。NPMはCCTによる取り組みなどにより、財政改善など大きな効果を挙げました。さらに行政運営において市場主義・競争主義・顧客主義・契約主義を進めるためには、顧客である住民に最も効果をもたらす「ベストバリュー」を生み出すのに、どのような行政手法がよいのかを考えています。その評価尺度が、コストだけでなく多面的に変更しようとしているのが最大の特徴です。現在、病院と刑務所についてPPPの視点から直営がよいのか、民間にまかせたらよいのか検討しています。」
とのことでした。
当方から、「ベストバリューはあいまいな定義しかなく、評価基準も多面的にするということは、成果について恣意的な評価が可能となり、結局何もやらないことになりませんか。」と尋ねました。
先方からは、「私たちは、10年かけて徹底したコスト至上主義により、財政を立てなおしました。今の状況を考えると、コストだけではなく多面的な評価を導入することを多少時間がかかっても行うことが大事なのです。日本の皆さんにとって危機的な財政状況があるのならば、現在の私たちの取り組みなど参考とせず、これまでの10年間の取り組みの方が参考となるでしょう。確かに危機的な状況のときにあれこれ考えていたら、何もできませんね。」という答えをもらいました。
このあたりで1時間以上、時間が経過していましたのでここで議論は終了しました。最初のころは「この忙しいときに何を訳のわからないことを聞きに来ているんだ。」という顔で対応していたのが、日本のPFIの取り組みや英国のPPPの現状について話をするうちに、何か共感を覚えていただいたのか、最後はフレンドリーな態度に変わって、しかも予定時間を大幅に超えて対応してくれました。直接、コミュニケーションをとることの重要性を知った次第です。
2004年04月17日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(7)
★4月10日分の日記の続きです。
1.メルボルンの友人と夕食
全ての視察日程を終え、今回の海外視察も終わりが近づきました。ビクトリア州政府訪問から急いでホテルに戻ると、夕食を供にとることを約束していたメルボルン大学の方がロビーで待ってくれていました。久しぶりに思い切り日本語で話をすることができ、生き返ったような気持ちがしました。路面電車でイタリアレストランが集まる移民街に移動し、イタリア料理を堪能しました。この方は熊本から当地の大学に研究者として来られており、会計学を専門とされ公会計にも関心があるということで、あるMLで知り合いました。メルボルンは外国人に受容的な街で、家族は完全に当地になじみ、帰国したくないと言われていると苦笑されていました。ゆったりとした時間が流れているようです。イタリア料理の方は、ムール貝など新鮮な海産物の料理が中心で、タスマニア島近辺でとれるものが多いようです。豪州の公会計のことをしばし議論しましたが、決算評価中心に予算が組み立てられていることなどを力説されていました。
2.メルボルン最終日と帰国の途
いよいよメルボルン最終日となりました。飛行機は18時30分発のオークランド行きなので、市内で観光客が集まると言う「ビクトリア市場」に行きました。ここはトタン板の屋根の下に1000店以上の露店が軒をならべ活況を呈していました。高知市の「ひろめ市場」に似ています。羊毛製品、木製品、置物、アクセサリーなど何でも売っており、楽しい食事もできます。こういう場所を見ると、観光スポットに豪華な建物は不要で、そこでしかできない買い物や食事ができることなどの方が、人を集まられると実感しました。市内の移動はLRTを利用します。伝統的な町並みのメルボルンに最新型のLRTは映えます。まちづくりに熱心な方が「地下鉄よりも
LRT」と言われている理由が何となくわかりました。さて買い物も終えタクシーで空港に向かおうとすると、全然捕まえることができません。事情を聞くと国際都市メルボルンで働いている人が週末に自分の国や地域に帰るために空港に殺到し、ひどい渋滞に巻き込まれるため行きたがらないということです。仕方なくタクシーストップの私の後ろに並んでいた香港のビジネスマンに声をかけ、あとフィジーから来ている人、フランスから来ている人と4人で信号待ちをしているタクシーと値段交渉し、ようやくタクシーに乗れました。その際、他のメンバーは皆、国際的なタクシーチケットのようなものにサインしていたのですが私は現金で払うことにしました。私が「現金で払ってよいか」と聞くと、他の乗客や運転手に大笑いされました。理由はわかりませんが現金が一番信用力があるので問題はなく、むしろタクシーへの信頼度が低く前払いするときは、タクシーチケットで払っておき、何か問題があれば支払いを停止するようにするのが主要なやり方のようです。1つ勉強させていただきました。
空港は大混雑で何とかギリギリ搭乗できました。NZのトランジット先のオークランドに向かい、23時55分に到着しました。サイクロンが近づいているということで内心ひやひやしましたが、何とか着陸して、税関では「トランジット」を連呼して怪しがる職員を強行突破しました。ホテルは空港の近くのモーテルのようなところで、部屋に鍵がかからないようなところでしたので、強盗に備えて一睡もせず帰国の準備をしました。旅行代理店にはもっとしっかりしてもらいたいものです。
3.オークランドを出発
オークランド空港の早朝便は、日本人だらけです。関空、成田、名古屋行きの便がこの時間に集中します。早朝に立てば時差4時間を考えると、ちょうど日本の夕方に到着できるためです。高齢の団体客や登山姿の人も多く、NZ人気が高いことがよくわかりました。飛行機では日本人の高齢者夫婦の方と同席になりました。細かい心配りや同胞としての優しい態度には心から癒されます。「日本人でよかった。」と思う瞬間です。海外視察をしてみてなぜ一人ひとりの能力が必ずしも高くない日本が世界でも高い経済パフォーマンスを実現できたのか何となくわかったような気がします。日本人は自らの我を抑え国や組織の一員として機能することに優れており、いわゆる全体最適を生み出しやすいのではないかと思います。一方、一人ひとりの能力が高くても自分だけの「部分最適」にこだわる国は、全体としてはパフォーマンスが低いのではないかと思います。こうした国々では内戦やストライキなどが頻発します。日本と日本人のことを少し見直すことができたような気がします。飛行機は11時間30分飛び続け関西空港に到着しました。税関は20秒で通関です。ありがたいことです。いろいろな空港を見てきた私にとって関西空港の設備は贅を尽くした豪華な施設に見えました。特に国際線ロビーとメインロビーをつなぐ電車がある空港など他にありませんでした。その割には利用者が少なく閑散としていたのが気になります。これから1兆円をかけて2期工事を行われるということですが、まずは利用者増加の取り組みを優先されるべきではないかと感じました。そのキーポイントは、主要顧客と空港を結ぶアクセスの改善と利便性の高いフライトのメニューをそろえられるかです。海外の空港はその2点に経営資源を集中させているのです。
2004年04月24日
NOT カリスマ職員の海外一人視察顛末記(8)
★4月17日分の日記の続きです。
1.この日記へのご意見・感想を多くいただきました
このシリーズを始めて約2か月が経ちました。その間多くの皆さんから内容について、ご意見・ご感想をいただきました。今回はそのいくつかをご紹介するとともに、私の意見・感想もあわせて述べさせていただきたいと思います。
2.クビになる職員はどうするんだ!
今回ご紹介したNZ及び豪州の自治体では、抜本的なリストラを行い、その過程の中で多くの職員が去っていったことをお伝えしました。そのことについて読者の皆さんから、以下のようなご意見・ご感想をいただきました。
●自治体運営のつけを職員に回すものだ。雇用は守るべきだ。
●リストラになる職員にも生活がある。そのあたりをどう責任をと るつもりなんだ。
●急に方針変更されても、そんなつもりで自治体に就職したわけで はない。今までどおりの運営を続けるべきだ。
(私の意見・感想)
上記のご意見・ご感想は、私も尤もだと感じることもあります。自治体職員にも生活があり、その生計の柱となっている就業機会を奪うことのマイナス要因は大きいと思います。現にNZでは財政再建が進んでいる一方、主として公的部門の就業者数が減少したことにより地域での失業率が高止まりしているのが現状です。また、今の状況はともかく少なくとも15年くらい前には、自治体の給与水準は民間企業と比べて低く、その代わりに安定した就業条件のもとに安定した業務に携わる就業スタイルを手に入れるといったイメージで捉えられていたと思います。
しかしこれらのご意見・ご感想には、欠けている視点があります。それは、自らの雇用や就業スタイルとの関連性でのご意見をいただく一方、自治体の顧客であり主権者である住民にとって、NZや豪州のような自治体改革を行うことがプラスなのかマイナスなのかを判断する視点が欠けているということです。以前の状況はいざ知らず現在の自治体運営は非常に厳しい状況に置かれています。持続的な財政運営は不可能になりつつあるとともに、一部には自治体の存在自体にも疑問が呈される状況にあります。このような状況の時に自らの勤務条件のことばかり主張しても、一般の市民の皆さんへの説得力が弱いと思います。なぜそのような状況に陥ったかということを自問自答すると、もちろん政治家や自治体トップ・幹部の能力不足から来るパフォーマンスの悪さが主因だと思いますが、振り返ってみて自らが住民に提供しているサービスが「生産性が高いか」「卓越した質を持っているか」「効率的に提供しているか」「住民の満足を得ているか」などの視点を持って提供していると自信を持って言える自治体職員が少ないことも、自治体運営のパフォーマンスの悪さにつながっていることを自覚するべきだと思います。要は、政治家や自治体トップ・幹部の能力不足ばかり批判していても仕方がなく、自らのサービス供給能力に「市場性」「卓越性」があるかを分析し、自らの生活や立場を守るためにも絶えず能力アップを図っていくことが個人としても求められているという認識が重要ではないのではないかといいことです。自治体職員の雇用を守ることも大切ですが、その前提として自治体職員には自らの生産性を向上させる自己努力が当然ながら求められるわけであり、そのことを怠る職員まで、保護の対象にはならないというのが、常識的な考え方だと思います。(自己決定・自己責任の原則)
3.海外のことで絵空事だ。意味がない。
●こんなことが日本で起きるわけがない。
●無用に不安を書きたてているだけだ。
世界で最も厳しい行財政改革を行ったNZや豪州の話ですので、こんなことが日本で起きるということを「信じたくない」という気持ちを持たれるのは心情的に理解できます。自治体職員にとっては、あまり好ましくない改革であることは間違いありません。
しかし「現実性」を論点にするならば、現在の自治体運営があと何年続けられるかと言うことも俎上に乗せなければなりません。三位一体改革により、補助金・助成金が削減され、代わりに税源移譲が行われると言うことですが、ほとんどの自治体は実際には歳入が大幅に減少し、今の財政運営では3~5年持ちこたえるのが限界ではないかと思います。そのような現実が迫っているのに、そのことを見ようとせず、これまでの自治体運営を「常識」として捉えてこれまでのやり方を固執しようとすることの方が、本当は非現実的な対応なのです。しかも国全体で見てもプライマリーバランスが崩れ、国債・地方債でファイナンスしている現状を見れば、国内資金でファイナンスしている間はまだまわりますが、機関投資家のキャピタルフライトが起こり国内債券に資金が回らなくなり表面利率を10パーセントにしても誰も国債や地方債を買わなくなったとき、国家財政も地方財政も「The End」になります。実際にスウェーデンではそのようなことが起こりました。NZや豪州でもそのようなことが起こりかけました。
それらの国々が自ら進んで世界で最も厳しく痛みの伴う行財政改革を行ったというのではなく、「借金がこれ以上できない」という現実を突きつけられて否応がなく行ってきたことなのです。決して外国での他人事ではなく、日本の自治体は確実に同じような状況に追い込まれつつあることを直視しなければならないのではないでしょうか。
そのような究極の状況になったとき、やはり頼りになるのは組織ではなく、自分自身の「生産性」「市場性」しか残りません。数年のモラトリアムの間に、お互いに切磋琢磨をしていく必要があります。