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死にたい奴この指とまれ:第4話

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匿名ユーザー

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広大な草原だった。あたりには誰もいない。生命の気配すら感じられない。

自然の奥深くというのはこんなにも寂しいものかと、一郎は恐ろしくなった。

徒歩30分。「自殺美容整形外科」の老人が送ってきた案内には、確かにそう書いてあった。

しかし1時間以上あるいたところで、いっこうにたどり着く気配がない。

眼前に聳え立つ富士山は、近づかない。無限の一本道にはまり込んだような恐怖。

(どうせ死ぬんだから。怖いことなんてあるもんか)

一郎は、誰も見てないのに平静な表情を取り繕いながら、まっすぐな道を進んだ。

遥か遠くに小さな平屋が見えたのは、正午も過ぎた頃だった。

 

「自殺美容整形外科」は本当に存在した。

長い一本道を歩いて来る間、心のどこかで「ウソだろ」と思っていた。

いや、この期に及んでもまだ信じきれない。古い木造の平屋はどう見てもごく普通の民家だ。

ただ、表札には住人の名前の代わりに「自殺美容整形外科」と記されている。

一郎は確かめるように戸口の呼び鈴を鳴らした。

こうやって「ウソだろ」がひとつずつ裏切られていく。

「はい、どうぞ」

中から老人の声。電話で話したあの声だ。

一郎は引き戸を開けた。

半纏を羽織った老人が玄関口へ向かって出てきた。

声よりももっと年老いて見える。

銀縁の眼鏡をかけた顔に深い皺が刻まれているのが、遠目からでも分かる。

見たところ、70歳は超えていそうだ。

「ああ、よくいらっしゃいました。どうぞ、上がってください」

「お邪魔します」

茶飲みにでも来たかのようなこのやりとりに軽い違和感を覚えた。

 

居間のような部屋に通された。座布団を敷かれ言われるがままにその場へ座った。

「いやぁ、待ってましたよ。朝来るっておっしゃってたのに」

「だって、30分じゃ全然着かないですし。遠すぎですよ」

一郎は歩きながら溜まっていた怒りを露にする。

「随分お若い声だとは思ってたけど、こりゃびっくりだ。おいくつかな」

「14歳です」

「ほぉ、子供か…」

老人は宙に眼を遣りながら独りごちた。

「お名前を聞いていませんでしたねぇ」

「あ、木山です。木山一郎です」

老婆がお盆にお茶を乗せて入ってくる。この老人の奥さんだろうか。

「どうぞ、ごゆっくり」

(ごゆっくりって…)

一郎は老婆へ目礼しながら、少し苦笑した。

なんだかここに着いてから、全てが肩透かしだ。

老人は老人で、茶を啜りながら「どこから来た?」だとか、「富士山はでかいだろう?」とか、どうでもいい話を続けている。

しまいには、老婆まで隣に座ってお茶を啜り出す始末。

一郎はお茶には一度も口をつけず、ただ聞かれたことに答えていたが、いい加減いやになってきた。

「あのぉ」

初めて一郎のほうから話かけた。

「はいはい」

苛立つ一郎とは裏腹に、老人は嬉しそう。

「ほんとにここ、自殺美容整形外科なんですか?」

「はい、もちろんそうですけど」

「おじいさんは、誰?」

「私はここの院長ですが」

「じゃあ、早く始めてよ。僕は今日中にやらなきゃだめなんでしょ?」

「おお、失礼。お急ぎでしたか。でももう、だいたい問診は済みましたから」

老人は立ちながら、柱に付いたボタンのようなものに手をかけた。

「大丈夫です、まだまだ半日以上ありますし」

茶の間の畳が一枚、ワニの口のようにパッカリと開いた。口を開けた床からは、下方へ続く階段。

「どうぞ。こちらへ」

相変わらず訳の分からないまま、老人の後に立って階段を下る。

「お気をつけて」

背中に、気遣う老婆の声が聞こえた。

 

 

 

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