ansuke @Wiki 死にたい奴この指とまれ:第3話


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東京発始発列車は薄暗い夜明けの東海道を西へ。

富士鏡里駅という聞いたこともないような小さな駅に着く頃には、

すっかり陽も高くなっていた。

地図の支持通り、富士雲海交通バスというこれまた聞いたこともないバスを探す。

何もない駅前に1台のバスがポツンと停まっている。

運転手はハンドルにしがみつくようにして眠っている。

「すみません。富士大和田木立前に行きたいんですけど」

「あ?ああ、木立前ね。へっへっへ。通るよ」

運転手は額にくっきりと寝跡の付いた顔を上げ、意外と快活な声で答えた。

一郎は最後部の座席に座った。他に乗客は誰もいない。

「そろそろ行くか。へっへっへ」

運転手は車内放送用のマイク越しにボソボソとつぶやくと、エンジンをかけた。

 

バスはどこまで行っても、たった1台きり。

一度も停まらず、一郎以外の客は誰も乗ってこない。

もう山をいくつか越えた。進めば進むほど、あたり一面、山、山、山。

「へっへっへ。ほら、あれ。すごいでしょ」

初めての車内放送。運転手は一郎に背中を向けたまま、右手のほうを指している。

雲海だ。眼下の山間に真っ白な雲がびっしりと敷き詰められている。

東方から降り注ぐ陽の光が広大な白に映えて反射する。

「へっへっへ。すごいでしょう」

運転手はまるで自分のことの如く誇らしげに話す。

「雲の上にいるんですか?」

「そうだよ。雲の上、雲の背中だよ。普段は腹しか見てないでしょ、へっへっへ」

雲の上の世界。初めて見た。窓にぴったりと頭をくっつけて眺めてみる。

「この辺からあの雲の中に落っこちた車とか、あるらしいよ。へっへっへ、すごいでしょう」

(いっそ落っこちてくれてもいいんだけどな)

吸い込まれそうな白をずっと見ていた。

 

「お客さん、着いたよ。へっへっへ」

車内放送で目が覚めた。

「帰りのバスは夕方の6時頃だから。じゃ、気を付けて。へっへっへ」

「ありがとう」

もう帰らないから、とは言わずに、礼を言ってバスを降りた。

降り立ったところはひどい霧がかかっている。

遠ざかるバスの後ろ姿はあっという間に霧がくれ。

振り返ると、大きな木がぽつんと立っている。これがバス停の目印らしい。

その木立から富士山の方角へ向かって、道が伸びていた。どうやら辺りは草原らしい。

キョロキョロしていると、突然、甲高い声が聞こえる。

「先生、あっち、先生、あっち」

声の方角を見るとペンキ塗りの立て看板。

その上には見たこともないような大きな鳥がとまっている。

「先生、あっち、先生、あっち」

声の主はこの鳥だった。

 

「ああ、すっかり眠たかったな」

今度は立て看板の足元の草むらから、牛のような声がするや否や、大男がムクっと起き上がった。

大きな鳥は大男の肩へ飛び移った。

一郎は恐怖を覚えてかすかに震えた。

「昨日、先生のとこ電話くれたな?」

「そうだけど。あなたは誰ですか?」

男はそれには答えず、木立から伸びる一本道を指して言った。

「じゃあ、この道まっすぐ行ったらいいな」

にやにやしながら、目はずっと宙を泳いでいる。

「ありがとう」

「じゃあ、俺はまたずっと眠るな」

言うと男は、鼻唄を歌いながらバスが向かっていったほうへ歩き出した。

「先生、あっち、先生、あっち」

鳥のやかましい声と大男の鼻唄がゆっくりと遠ざかる。

木立から続く道にかかっていた霧は少しずつ晴れていった。