従姉はダッチワイフ 立ち読み版
耳許で音がしたと思ったら殴られていた。隆史は不機嫌な顔で打たれた頬を押さえた。目の前で真っ赤な顔をして怒っているのは同級生の女だ。ちょっとしたきっかけでラブホテルの一室で向かい合うことになっているのだが、その経緯を思い出そうとして隆史は断念した。いちいち思い出したところでどうせ大した理由ではないのだ。何しろ隆史は目の前の女の名前もちゃんと覚えてはいなかった。
「何でそんな怒るんだよ」
急に怒り出した理由が判らず、隆史はしかめ面で言い返した。すると今度は蹴りが飛んでくる。腹にもろに打撃を食らって隆史はベッドにひっくり返った。
「なにすんだよ!」
「名倉君ってさいてー!」
泣きじゃくりながら女が喚く。隆史はどっちがだよ、と吐き捨ててさっさとベッドを降りた。元々、そんな気分じゃなかったのに、その上暴力を揮われたのでは割に合わない。そのくせ相手が女だから、下手にやり返すと過剰防衛になりそうだ。小さい頃ならつかみ合いの喧嘩をしても男女の体力の差などない。だが今それをやると女の方が怪我をしそうな気がする。
「ちょっと! 謝りなさいよ!」
泣くとブスが余計にブスになるぞ。そう言いたいのを堪えて隆史は黙って服を着始めた。ベッドに座った女は胸元を布団で隠しながら喚いている。隠すほど胸なんてないくせに、と内心で女を嘲笑いながら隆史はため息を吐いた。
「何で。俺、別に謝らなきゃならないようなことしてないだろ」
どうせやるなら明かりを点けろと言っただけだ。服を脱ぎ晒された裸体がやけに醜く見え、その感想を素直に口にしただけだ。嘘を吐いているつもりはないから、怒られる理由はない。隆史はきっぱりとした口調で説明した。すると途端に女がヒステリックに叫ぶ。
「それが相手を傷つけてるって判らない!?」
まだ泣いている女を呆れた目で見てから隆史は散らかっていた服を次々に身に着けていった。最後にジーンズのポケットから出した財布から紙幣を抜き、テーブルに放る。ここに入ってからまだ三十分ほどしか経っていない。これで十分だろうと金をテーブルに乗せてから隆史はさっさと女に背を向けた。金切り声で喚く女を無視して部屋を出る。
傷つける?
何で感想を言っただけで傷つくと言うのだろう。隆史はまだ痛みの残る頬を押さえて舌打ちをした。誰もいないホテルの廊下を大股で歩いてエレベーターに乗り込む。あんな女のことはさっさと忘れるべきだと思うのに、したり顔で説教を垂れる女の顔が脳裏をちらついて離れない。
「くそ、まだいてえ」
膨れ面でぼやいて隆史はエレベーターの文字盤を見上げた。途中で止まることもなくエレベーターが一階に着く。隆史はしんと静まりかえったホテルのロビーを抜けた。繁華街の外れにあるこのホテルの周辺は企業のビルなどが囲んでいて、深夜に行き来する人は殆どいない。隆史はホテルを出てポケットから携帯電話を引っ張り出した。仕事に明け暮れ、家を空けがちな両親から渡された携帯電話は今の隆史には必須アイテムとなっている。アドレス帳を開いた隆史は手早く目的の電話番号を表示させた。コール三回ほどで相手が出る。
『隆史君? どうしたの、こんな夜中に』
聞き慣れた涼やかな声を聞くだけでさっきの女の罵声があっという間に頭の中から消える。隆史は内心でほっと息を吐きながら不機嫌な声で言った。
「どうしたの、じゃねえだろ。とっとと迎えに来い」
一方的に場所を指定してから隆史は電話を切った。ちょっと待って、という相手の声が微かに耳に残っている。どうせまた我慢できずに自慰をしていたに違いない。出掛けに意地の悪い設定をしたことを思い出して隆史は声を殺して笑った。
暗い坂道を降りていくとまばらにだが人の姿が見えてくる。昼間とは違って静かな駅前に出た隆史は周辺を見回した。深夜過ぎともなるとさすがに人の数は少ない。時折見える人々は長いコートなどを身に着けている。まだ春になっていないせいもあるだろう。地味な色彩が殆どのために周囲の暗がりに紛れてしまいそうだ。
車の通りも少ない。隆史は待ち合わせに指定した場所に佇んでぼんやりと車道を眺めた。行き交う車の殆どがタクシーだ。たまに通り過ぎる自家用車を目で追いかけていた隆史は、見覚えのある車を見止めて口許を少しだけ緩めた。そのことに自分で気付いて慌てて顔を引き締める。あいつはちょっと甘い顔をすると図に乗るからな。そう思い直した頃、ライトグリーンの軽自動車が隆史の目の前に停まった。
車の中から振られた手を無視して隆史は助手席にさっさと乗り込んだ。運転席についている女は名倉玲花といい、隆史の従姉にあたる。
「ご、ごめんね。待たせちゃった?」
相変わらずおどおどとした様子で玲花が言う。隆史は仏頂面をして顎をしゃくった。
「いいから出せよ」
「あっ、うん」
慌てたように返事をして玲花が車を出す。隆史はドリンクのホルダーに置かれていた温かい茶のボトルを取り上げた。まだ封の切られていない茶は玲花が隆史のために用意したものだ。
「隆史くん。あんまり煩く言いたくないんだけど……その、こんな時間に外で遊ぶのはよくないと思うの」
わざわざ茶を用意してくれた玲花に礼も言わず、当然の顔で茶を飲んでいた隆史はそれを聞いて不機嫌な顔になった。横目に睨むと玲花が小声で言葉を継ぐ。
「おじさまやおばさまがいらっしゃらないからと言っても、隆史くんはまだ中学生なんだし」
「何だよ。また保護者面か?」
うるせえな、と呟いて隆史は手を伸ばした。小さな悲鳴を上げて玲花が身を竦ませる。服越しに乱暴に玲花の乳房をつかんで隆史はボトルを傾けた。
「たっ、隆史くん! 運転中は……」
苦しむような顔をして玲花が力なく首を振る。ハンドルを握る手が微かに震えているのを見て取ってから隆史は乳房から手を離した。すると玲花がほっと息を吐く。
「人形の癖にうぜえんだよ。保護者面すんな」
口汚く罵ってから隆史はちらりと玲花の様子をうかがった。細いフレームの眼鏡の奥の玲花の目が潤む。泣きそうな顔をした玲花は唇を引き結んで黙している。いつもと同じ反応にせせら笑ってから隆史は肩を竦めた。
「どうせ今から遊んでくれってねだるくせしてよ。先生やってるからってイイコぶんなよ」
そんなつもりじゃ、と玲花が小声で言う。ばーか、と罵ってから隆史はダッシュボードのケースを開けた。それを見た玲花が弱々しい声で止めてと言う。時折過ぎる対向車のライトに照らされる玲花の顔は引きつっている。だが運転をミスされてもつまらない、と隆史はケースから取り出したものを握ってちらつかせるだけにした。
「あっ、あのっ、隆史くん! 運転中だから、その」
慌てたように言いながら玲花がちらちらと隆史の手元を見る。やるわけねえだろ、と呆れた声で言って隆史は握っていたリモコンをケースに戻した。すると玲花がほっとしたように息を吐く。だが玲花はどことなく残念そうな表情をしていた。隆史は侮蔑のこもった眼差しで玲花を見てからシートに深く身を沈めた。昼間に適度に寝ておいたのが良かったのかも知れない。こんな時間なのにやけに目がさえている。
「今日、どんくらいオナった?」
「えっ」
いつもと変わらない質問を投げかけただけなのに、見ていて面白いくらいに玲花が動揺する。いいかげん慣れろよ、と呟いて隆史は疲れたようなため息を吐いた。その途端に玲花が焦ったように詫びる。
こういうとこだけは昔から変わんねえのな。そんなことを思いながら隆史はぼんやりと窓の外を流れる景色に目をやった。恥ずかしそうにしながら玲花が今日の自慰の回数を小声で答える。玲花は隆史の予想通りに人目を避けて自慰に耽っていたらしい。
「そうだよなー。昨日は虐めてやんなかったもんなー」
のんびりと答えながら隆史は喉の奥で笑った。見なくても判る。玲花はきっと真っ赤な顔をしているに違いない。どうせ見ても暗いから判んねえか、と一人で呟いて隆史は車の窓に頭をもたせかけた。
いつもなら車が大量に流れている静かな道を行く。玲花と二人で車に乗ることなど珍しくも何ともないのに、何故か隆史は懐かしいものを感じていた。初めて夜中に玲花の車に乗せられたのは確か熱を出した時だったか。あの頃はまだ隆史は幼く、玲花のことを美人のお姉さん程度にしか思っていなかった。
今でも玲花はあの頃と変わらない美しさを保っている。玲花は何も言わないが、勤め先の学校でも生徒に人気があるに違いない。そんなことに考えを巡らせた隆史は無意識に不機嫌な顔になった。少し目を離すと玲花はすぐに男を咥え込む悪癖があるのだ。元々、人に頼まれたら断れない気弱な面があるためか、迫られると強くは拒絶出来ないらしい。
「俺じゃ不満だってのかよ」
考えを巡らせていた隆史は機嫌悪くそう吐き捨てた。何故、急に隆史がそんなことを言ったか理解出来なかったのだろう。玲花がうろたえる。
「あ、あの、隆史くん? どうかした?」
「別に」
昼間とはまるで違う、がらんとした道を車が走る。玲花は気弱な性格そのままにゆっくりと車を走らせていた。狭い車内に流れている音楽は玲花の好きなピアノ曲だ。玲花の好き嫌いなら食べるものに始まって趣味や性癖に至るまで簡単に暗唱出来る。
「親は文句ねえだろ。成績が悪い訳じゃないし」
苛々しつつも隆史は話を戻して答えた。すると玲花が慌てたようにそうね、と頷く。だが玲花は困ったような顔をしている。きっと言われた意味を理解出来ないままに答えてから隆史が何を言ったのかを考えているのだ。鈍いヤツ、と呟いて隆史は呆れた顔で玲花を睨んだ。