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S62〜群馬県高崎市筑縄町児童誘拐殺人事件

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【群馬県高崎市筑縄町児童誘拐殺人事件 昭和62年9月14日】
    萩原功明ちゃん(5)が4時15分頃自宅の斜め前にある地神社に遊びに行ったが20分後に母親が通った時にはすでに姿が見えなくなっていた。6時30分に警察に捜索届を出すが6時42分に誘拐犯から2000万円を要求する電話がかかってくる。その後も3回脅迫電話があり今度は1000万を要求されるが、結局直接接触もないまま電話だけでの交渉が続き、2日後の16日午後12時35分、自宅から6キロ離れた寺沢川にかかる入の谷津橋の15m下の川底で遺体となって発見される。死因は窒息死、脊髄損傷、硬膜下出血で気管と気管支に多量の砂が入っており橋から投下されたあと15分は生きていたようだった。
    犯人はその後、功明ちゃんの衣服やサンダルを次々と川に投げ捨てながら下流の八千代橋方面に向ったと思われる。4度目の脅迫電話はその後にかけている。
    ずさんな点や不自然な点が多く身代金目的の誘拐と考えにくい。平成14年9月4日時効を迎えた。戦後155件目の身代金目的誘拐殺人で28番目の犠牲者だった。
   遺留品捜索中に捜査員がうさぎの惨殺体を見つけている。功明ちゃんの幼稚園では過去4回うさぎの惨殺事件があり、周辺の幼稚園、保育園でも同様の事件が起きていた。事件後うさぎの被害はやんでいる。

逆探知の結果、男からの電話は高崎市西部を含む「群馬・長野局」管内からかけられていたことがわかった。また2回目の電話には車の通過音が入っており、公衆電話からかけた可能性が高く、しかし、なぜか捜査本部は15日までで逆探知を切り上げている。このため16日の4回目の電話は27秒の長さがあったが、逆探知できなかった。逆探知は捜査員とNTT職員がペアになって行なうが、「逆探知を解除して帰っていい」という指示があり、変に思いながらも従ったという。 県内で本格的な誘拐事件が起こったのはこれが初めてだったらしく、逆探知の設置にも時間がかかり、2回目の電話には間に合わなかった。~
目撃証言は1987年9月8日、功明ちゃんの通う「むつみ幼稚園」で不審な白い乗用車が目撃されていた。車は群馬ナンバーで、リフトバック式、メガネをかけた男が乗っていたという。事件当日の14日午後5時ごろ、地神社北口付近に2台の白い乗用車が入り口をふさぐかたちで停められているのが目撃されている。車内に人影はなかったが、家族が功明ちゃんを探し始めた時には消えていた。またそれと同じ頃から少し後に功明ちゃん宅から2.3km離れた町屋橋の下、その20分後には管状大橋の下で、子どもを乗せた白い乗用車が目撃された。乗っていた男は40歳前後だったという。犯人は電話の声から中年男とされ、身代金の額の決め方などが乱暴で、指示も場当たり的。さらに身代金目的ながら、受け渡し方法は一切指示せず、15日が金融期間の休みのことも知らなかった。これらのことから、計画性が薄く、社会性のない異常性格者による犯行ではないかと見られる。3回目の電話で功明ちゃんは「おまわりさんと一緒」と言っている。この取り方は二通りある。荻原さん宅に警察がいるのかを犯人に命令されて聞かされているのか、あるいは光則さんの「誰と一緒なの?」という問いに答えたものなのか。捜査本部では後者の可能性も考え、非番中だった身内にまで捜査の手を広げることになった。~

当時、BAD Tour 日本公演中のマイケルジャクソンは西宮球場(兵庫県)でのライブ中に 「今回の日本ツアーを功明くんに捧げる」と発言し、 「I Just Can't Stop Loving Youを功明くんのために歌う」と前置きして歌った。この模様は当日の各局の夜のニュース番組で報道された。2009年6月28日 日本テレビ「The サンデーNEXT」にて当時の取材映像が紹介された。 

功明ちゃんの父親である光則さんは「9月になると思い出すんだ。この時期にやられたんだって」、功明ちゃんの誕生日、8月31日には毎年、赤飯を炊いて仏壇に供えている。生きていれば30歳。社会人として働いている年齢だ。それでも「私の中ではずっと5歳の姿のままだ」 と答えている。

2010年に重大事件の公訴時効が廃止されたが、すでに時効が成立していた功明ちゃんの事件は時効廃止の対象外だった。「時効はなくなって当然」と思うだけに、法改正がもう少し早ければという気持ちもある。 
10年前に時効を迎えた時、「これからは残る家族を守っていこう」と気持ちを切り替え、功明ちゃんの妹3人を育ててきた。その娘3人も全員が社会人となり、自分も定年退職した。今は神社の総代や地域の防犯委員を務めている。 
だが、息子を奪われた心の傷は、ふとした瞬間にうずき出す。9月に入って名古屋市や広島市で小学生の女児を連れ去る事件が相次いだ。「いまだにそんなことが起きているなんて」。子供を狙った卑劣な犯行に憤りを隠せないと語っている。

事件から30年後の2017年に光則さんは普段は一緒に行っていたという神社に「1人で神社に行ったのは初めてだったと思う。『行かせなければ』という後悔は今もある」と語る。
「なぜ、うちの子だったのか。金が欲しいなら、もっと方法があったんじゃないか」。犯人への疑問は今も尽きない。自分の手で犯人を捜そうと思ったこともあった。「今は怒りや悲しみより、ただ功明を供養してやりたいとだけ思っている」。毎朝仏壇に手を合わせ、月命日にはお墓参りに行く。功明ちゃんが見つかった川にかかる橋へも、時々出かける。「親としてできることを尽くしたい」と語る。
8月31日の功明ちゃんの誕生に今年も荻原家の食卓には、ケーキや赤飯が並んだ。功明ちゃんの誕生日は家族で祝う。「生きていれば35歳。結婚して、子どもがいてもおかしくない。でも、光則さんは「育った姿なんて分からない。5歳のまま、止まっているから」と語る。

ww.police.pref.gunma.jp/keijibu/02sou1/file.htm
http://www.police.pref.gunma.jp/keijibu/02sou1/audio/voice144.ra
http://www.police.pref.gunma.jp/keijibu/02sou1/audio/voice.wav(犯人の声が聞けます)

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