茨木童子(いばらきどうじ)
生まれながらに歯が全てはえ揃っており、生まれてすぐに歩いたという。
母親の腹の中に十六ヶ月もいたため、大変な難産であり、母は茨木童子を産んでまもなく亡くなってしまった。
その後実父によって茨木村の床屋前に捨てられ、髪結床屋の養子として育つ。
ある日、童子が客の頭を剃っていたとき、誤って客を傷つけてしまった。流れ出た血が指につき、童子はそれを舐めた。
血の味を覚えた童子は、それから故意に客を傷つけ、血を舐めるようになった。気味悪がった客は店から遠のき、床屋は寂れた。
ある時、童子は親方に呼ばれ、「客がいなくなったのはお前のせいだ」と激しく叱責される。
翌朝、童子が顔を洗うために川へ行き、親方に叱られたことを思い出しながら水面をみると、
そこに映っていたのは恐ろしい
鬼の顔であった。童子は驚き、もう店にはもどれまいと山の奥へ消えた。
その後、茨木童子は大江山へと辿り着き、
酒呑童子のもとで一味の副将格となり、悪行の限りを尽くすこととなる。
鬼たちは源頼光らに討たれるが、一説によれば、茨木童子だけは難を逃れ、生き延びたとされる。
また、『
一条戻り橋?』(『
羅生門?』としている話もある)において老婆(美女の場合もある)に化け、通りかかった渡辺綱を攫おうとするも、
逆に返り討ちにあい、腕を切り落とされてしまい、綱の母親に化けて腕を取り返しに行ったこともある。
この茨木童子と渡辺綱の対決は、茨木童子を代表する逸話であり、脚色され『茨木』『戻橋』の名で歌舞伎の演目になっている。
後に、自分の実の父親が死の床にいることを知り、看病のために自分の生まれた土地へと戻った。
父親は「自分はお前のことを捨てたのに、よく恨まずに来てくれた」と涙を流して息を引き取り、
父の死を看取った童子は、村人に後のことを頼み、山へと戻ったという話と、
金銀を持参して父親を見舞うも、父に「世間を騒がせ、人様に迷惑をかけるような者は子ではない。早々に立ち去れ」
と言われ、見舞いの品を突き返されたため、やむなく姿を消し、その後二度とあらわれる事は無かったという話が伝わっている。
その他にも、大江山を離れた後、東へ移動したという説もあり、新潟には童子にまつわる伝承、ゆかりの地が数多く残っている。
特に栃尾市の軽井沢地区には、童子が拓いたという村がある。そこには童子を祀った神社があり、童子の子孫であるという茨木姓の人々がいる。
彼らには節分に豆をまかないという習わしがあり、家の屋根に破風を作ると良くないことが起こるという言い伝えがあるという。
最終更新:2005年07月19日 15:30