アヴェスター(Avestā)

 ゾロアスター教の聖典。
 アヴェスターという名前自体は、中期ペルシア語のアパスターク(Apastāk)、アヴィスターグ(Aβistāγ)の崩れた近世ペルシア語に由来する。
現在は1/4しか残っていないが概要は中期ペルシア語の『デーンカルト(Dēnkart/d)』から知ることができる。

 アヴェスターが成立した時代や地域は、ザラスシュトラの時代とともにはっきりはしていない*1
その地域についてはおおまかに東部イランだろうと推測されているが、時代については紀元前1000年よりも数百年さかのぼるとも言われるし、前600年くらいだ、という説もある。
それも根本となる「ガーサー」だけの話で、新体アヴェスター語で書かれてザラスシュトラ本人の教えとは微妙にずれてきている一部のヤスナやヤシュトなどは、アケメネス朝~アルサケス朝にかけて成立したと思われる。もちろん述作者は一人ではなく複数で、制作地も広い範囲にわたっていた。
 ゾロアスター教文書への最古の言及は、イランの宗教改革者マニ?(後216-277)の時代に文字で書かれたテキストがあったということである。このテキストは、アルサケス朝時代(前224-後226)にアラム語でかかれて編集されたものだと考えられている。これは王の宝庫に入れるためのもので数部しか作成されず、伝承の方法は依然として口承であった。また、それ以前にもアヴェスターは弟子たちによって書きとめられていたが、アレクサンドロス大王の軍によるペルセポリス放火で一緒に焼けてしまったという伝説がある(だからゾロアスター教ではアレクサンドロスは大悪魔である)。
 マニ以後、いつの時代かは不明だが(少なくともササン朝時期)アヴェスターの編纂が行われ、全21巻にまとめられた。そのとき、同時に中期ペルシア語の表記に使われたパフラヴィー文字を改良してアヴェスター文字が作成され、アヴェスターはこの文字システムによって記録された。パフラヴィー文字はほとんど子音だけのアラム文字をそのまま利用したものだったので、子音だけでもかなりの意味が通るアラム語と違うイラン系言語を表記するには欠陥だらけだったのである。ちなみに聖典を自分で書いたマニは母音も完備したイラン語むけのマニ文字を創案していたが、これは当時主流にならず消えていった。
 この時代、アヴェスター語はほとんど理解されていなかった。語られた時代から10世紀以上経っていたのだからそれは当然だった。そこで人々は中期ペルシア語によって訳注であるザンド(Zand)を作成した。しかしながらアヴェスター語は東イランの方言であり、ザンドを作成したペルシアでは西イラン系の中期ペルシア語を話していた。そのため、とくに純粋なアヴェスター語を保っているガーサーに対する訳注にはかなり理解不足が見られる。
このザンドという言葉は西ヨーロッパの学者に誤解されて、研究初期にはザンド語なる言葉がアヴェスター語を意味するものと用いられた。

 少し前後するがアヴェスターの言語はアヴェスター語と呼ばれる。これは、アヴェスターにある言語がアヴェスター以外に見当たらないためである。そのなかでも「ガーサー」に使用されている言語はインドのヴェーダ語とかなり類似しており、現存しているイラン語派の言語としては最も古い時代のものを保っていると考えられている。両者はある一定の法則に従って音を並べ替えればガーサー語をヴェーダ語として読むことができるというくらい似ているが、実際はそんな簡単にはいかない。それ以外の、時代を下った言語は新体アヴェスター語と呼ばれる。

 現存のアヴェスターは以下の6部分からなる。
名称 原語(ローマ字転写) 内容、特徴
ヤスナ Yasna 神事書。大祭儀に読まれる。全72章。
「ガーサー(Gāθā)」はヤスナの一部で、第28~34、43~51、53章の全17章である。全体としては5群にわけられ、それぞれ名前がつけられている。その内容はおそらくすべてのアヴェスターの中でももっとも古い時代のものを残していると考えられ、ガーサーの言語は特別にガーサー語と呼ばれる。とはいえ、ガーサー内にも微妙に新旧の言語の違いがある。ガーサーを歌ったのはおそらくザラスシュトラ本人か、または非常にザラスシュトラに近かった周囲の人間たちだった。つまり、ザラスシュトラによる宗教改革の最も基本とされる部分(最高神アフラ・マズダーアシャドゥルジ?の対立、善悪二霊の対立、選択の自由、終末論、アムシャ・スプンタ?など)はガーサーに述べられている。
ついで古いとされるのが「7章のヤスナ(Yasna Haptaŋhāiti)」といわれる部分で、第35~41章、実際には42章が加わる。ヤスナや他の祈祷書と比較するといくぶんガーサー神学に近いが、それでもなお異なる点が見られる。
残りはすべて新体アヴェスター語で書かれた、新しい時代の祭文である。
ウィスプ・ラト Visp-rat ヤスナの補遺。祭礼に用いられる。「すべてのラトゥ」を意味する。このラトゥというのは「善なる庶類のなかで特に権威ある者たち」のことであり、ここでは様々な「神」として使われている。ヤスナ第1~27章に類似しているが、祭式ではヤスナに連続すべきものとされている。。
ウィーデーウダート Vīdēvdat/d 除魔法。悪魔を避けるための祭儀書。創造神話、イマの物語、種々の罰則や法、呪文、犬((ウィーデーウダートでは、ハリネズミやヤマアラシ、カワウソも犬の一種だとされていたらしい))についての規定、不浄物について、悪魔によるザラスシュトラの誘惑、悪魔リストなどが書かれている。
ヤシュト Yašt ヤザタ?を含めた諸神への賛歌。災いを避け、幸福を招くための書。章ごとに招聘される神格は異なり、内容も多彩である。そこでは神話が語られ、クルサースパやスラエータオナなどの英雄が登場し、叙事詩的な雰囲気を持っているものもある。ヤシュトに招聘される神々は「ガーサー」にはなくてもインド・イラン時代からザラスシュトラ以前にかけては重要だった神々、たとえばミスラアナーヒターフラワシ?などに捧げられており、ザラスシュトラ以前のイランの宗教状況を知るのに重宝されている。なお、ヤスナのなかにもハオマに捧げられたホーム・ヤシュトというものが入っている。
クワルタク・アパスターク Xvartak Apastāk 小部アヴェスター。小賛歌、小祈祷書。
その他 ハーゾークト・ナスク(Hāδōxt Nask)などの残りの部分。

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最終更新:2005年04月23日 12:37

*1 イラン人は「文字を発明したのは悪魔だ」というくらい「書くこと」を嫌っていたので、アヴェスターが書かれたのはずっと後世になってからであり、最古の写本でさえ紀元後1300年のものである。ザラスシュトラの時代をできるだけ新しく設定したところで成立時期と記録時期には1000年以上の開きがある。