概要

 イラン(ペルシア)の神話のこと。
 ペルシアとは、普通はイランのことをギリシア側から呼んだ他称の事だが、言語学的には、イランを古代のスキタイ語やサルマティア語、現代のクルド語、オセット語などを含んだイラン語派のことをまとめてイランと呼び、狭い意味でのイランをペルシアと呼んで区別することがある。たとえばパフラヴィー語は中期イラン語の一種で、中期ペルシア語のことである。楔形文字で残っているアケメネス朝ペルシアの碑文は古代ペルシア語で、アヴェスター語とともに古代イラン語を形成する。
これはイラン諸語の話者にもあてはまり、スキタイ人やサルマティア人はペルシア人と同じイラン系民族である、という言い方がなされる。
 しかし、神話という観点に限ると現在までまとまった形で神話が残されているのは「ペルシア」だけであるため、イラン神話といえば、狭義のイラン語・イラン民族における神話のことを意味する。要するにペルシア神話である。

 なかでも重要なのは、ゾロアスター教の神話である。ゾロアスター教創始以前の神話は、ほとんどがゾロアスター教資料を通してしか知られていない(これも厳密に言えば、誕生の地はペルシアではない)。

イラン前史

 イラン語は、その多くがインド語に互いに似ているため、先史時代はインド・イラン語という共通の言語を話していたと考えられている。このことは、イラン最古層の言語であるガーサー語とインドの最古の言語であるヴェーダ語が非常によく似ていることなどから証明される。神話や宗教についても同様のことが言え、インド・イラン共通の原型が多く想定されている。
 だが、最古のインド・イラン宗教の証拠はインドでもなければイランでもなく、北メソポタミアのミタンニ王国にあるものが知られている。
この記録は前1380年にさかのぼる。当時、ミタンニはエジプトとバビロニア、アッシリア、そしてヒッタイトの中継地点に存在する国家だった。ミタンニの人口の多くはフリ人(ヒッタイト神話?にも重要な影響を及ぼした)だったが、貴族階級は非常に古いインド系の言語を話していた。弱体化したミタンニの王マッティワザ*1は、ヒッタイトの王スッピルリウマ(シュッピルリウマシュ)と条約を結び、勢力を保とうとした。そこでマッティワザが王国守護神として並べ挙げたのが、ミトラ、ウルワナまたはアルナ、インダラ、そしてナサッティヤ、その他である。
これはインドのリグヴェーダに知られている重要な神々であるミトラ?ヴァルナインドラ、ナーサティヤ双神(アシュヴィン双神)にほとんどそのまま対応する。
 なぜインド系のミタンニ上流階級が、わざわざ自分たちとは逆方向に行ったイラン人たちの土地を越えてメソポタミアにまで行ったのかは、謎のままである。

 インド人はミタンニ以外はインド亜大陸北部を拠点に南下していったが、イラン人たちは北ユーラシアの広大な土地で遊牧生活を送っていた。先史時代には南ロシアのスキュティアからカスピ海のソグディア、ホラズミア、中央アジアのホータンまで広がっていた。現代ではアフガニスタンやタジキスタンもイラン系民族の土地になっている。

ペルシア帝国とスキタイ人

 イランの歴史は、西イラン系のペルシア人によるアケメネス朝(古代ペルシア語ではハカーマニシュ)ペルシアに始まる。彼らはイラン南西部のパールサ地方(彼らの自称に由来する。古代ギリシア語でペルシス、ラテン語でペルシア)に拠点を定め、だいたい前7世紀から6世紀ごろにかけてパールサ地方の支配権を確立した。キュロス2世からダレイオス2世に至るまで、このペルシア帝国はオリエントの広大な領土を支配していた。しかしそれもマケドニアのアレクサンドロス大王の遠征によって滅亡し、ヘレニズムの時代へと移行する。

 ペルシア本土はこのような状態だったが、北西イランには騎馬民族のスキタイ人などがいた。彼らについての最古の記録はヘロドトスの『歴史』である。『歴史』には同時にペルシアやメディアの宗教も記録されてはいるが、自身で記録を残さなかったスキタイ人の神話もまた記録されている。
古代の北西イラン人たちの伝承は、現代、カフカス地方のロシア連邦北オセチアなどに住んでいるオセット人の「ナルト叙事詩」によって継承されている。ただしオセット人はすでに一神教に改宗しているので、神話上の神々はすべて英雄や精霊のようにランクが下がっている。
また、広大なユーラシア大陸を駆け回った彼らの神話や民間伝承とでも言うべきものの一部は、現在もなお、アルメニアからアフガニスタン、そしてモンゴルにいたる地域で知られている。

 また、北西イランのアラン人やサウロマタイ人たちがヨーロッパに侵入してきて西ローマ帝国終焉以降もフランスなどに留まっていたという事実から、アーサー王伝説の多くが彼らの神話伝説に由来するものだ、という説もある(スコット・リトルトン、リンダ・マルカー『アーサー王伝説の起源』)。

ゾロアスター教

 ペルシア人やメディア人のおもな領域はイラン西部だったが、イラン東部では、神話や宗教の分野でザラスシュトラ(Zaraθuštra。英語でゾロアスターZoroaster、ドイツ語でツァラトゥストラZarathustra、ギリシア語でゾロアストレスZoroastresまたはザトラウステスZathraustes)によって重大な改革が行われた。ザラスシュトラの教えは賛歌「ガーサー(Gāθā)」にまとめられ、より大きなゾロアスター教の聖典『アヴェスター(Avesta)』に含まれて、現代にまで伝わっている。しかし、『アヴェスター』の3/4は現在失われている。

 ザラスシュトラの本来の教えは聖典『アヴェスター』のなかの「ガーサー」だけだったと考えられている。しかし、「ガーサー」以外の『アヴェスター』である「新層アヴェスター」(書かれた言語がガーサーのものより微妙に後代のもの)には多くの民間信仰的な要素が含まれており、また、ザラスシュトラによる改革以前の古い信仰への回帰も見られる。現在では、ザラスシュトラの教えを最重要なものとしながらも、『アヴェスター』全体に含まれる神話や信仰要素、祭儀などをまとめてゾロアスター教と呼ぶ。
イラン民族は文字で記録を残すことを好まなかった。その結果、現代にまで知られている古代イランの神話は、ほとんどゾロアスター教を通して知るしかない。ゾロアスター教のほかには、外部者による記録やイランの外の地域にまで達したイラン系宗教によりズルワーン教?ミトラス教?があったことが知られており、宗教改革者マニによるマニ教?は多くの書かれた経典を残したのでその神話がある程度知られている。

 ザラスシュトラがいつの時代の人で、どこに住んでいたか、はわかっていない。その言語は、古代ペルシア語などとの比較や『アヴェスター』に見られる地方の名前の研究などから、おそらく東イランにいたのだろう、というのが通説である。年代はアケメネス朝の6世紀ごろだとする見方もあるが、前12世紀にまでさかのぼると見られるヴェーダ語とガーサー語との類似点、その古風な特徴、すでにアケメネス朝でザラスシュトラ改革への反動がある程度固まっていたように考えられることなどから、さらにさかのぼる可能性も指摘されている。たとえばメアリー・ボイスはヴェーダ語が前1500年以上にさかのぼれることから、ザラスシュトラの年代を前1500年から前1200年の間に設定している。
 どちらにしても、現存する『アヴェスター』が最初に記録されたのは紀元後のササン朝になってからである。

 なお、イランの北西にあたる東ヨーロッパのスラヴ語で「神」がボグ(bog)、「悪魔」がディヴ(divu、古教会スラヴ語)とされているのはゾロアスター教化したイランの言語が原スラヴ語に影響を与えたからだと考えられている。

ヘレニズム時代のイラン神話

その終り


 アラブ人たちがイスラム教とともにササン朝ペルシアを侵略したことにより、ペルシアの国教としてのゾロアスター教は終りを迎えた。しかし一部のゾロアスター教徒はインドに向かい、また一部はイスラム勢力の手の届かない僻地へと逃げ延びた。

 イスラムのもとでは神は一人しかいないし、ヤザタもアムシャ・スプンタも存在しない。
 でも、イラン人たちは自分たちの民族文化に誇りを持っていた。そうして11世紀に生まれたのがフェルドゥシーの『王書』である。『王書』は初代の王カユーマルスにはじまる王とその臣下である英雄たちの物語を歌った作品だが、そのなかの登場人物は多くがゾロアスター教に起源を持つものだった。また、ザッハーク(ゾロアスター教のアジ・ダハーカ)、シームルグ(サエーナ鳥)、スローシュ?(スラオシャ?)、デーウ(ダエーワ?)などイラン固有の幻想的な存在も多く登場する。
 『王書』は現代のイランでも別格扱いの文学作品である。『王書』にある伝説上の王の存在は歴史的には信じられていないが、それでも、アラブと同じイスラム教のもとで自分たちイラン人のアイデンティティを象徴する作品として、『王書』は今でも生きつづけている。

 また、バハムートクジャタなど、アラビアの宇宙観で世界を支えているとされる巨大な動物たちの神話はイラン起源である。

 イランの民間信仰の中でもときどきゾロアスター教の書物が言及されたりゾロアスター本人が古の時代の賢者として登場したりする。
 人々の心の中では依然としてゾロアスターが影響力を持っているのである。

イランとインド神話の対応

ことば同士が似ているのと、その役割やストーリーが似ているものの2種類がある。
アフラ/アスラとダエーワ/デーヴァのように、役割が完全に逆になっているのも知られている。
イラン インド 備考
アフラ・マズダー(Ahra Mazdāh) ヴァルナ(Varuna) イランは最高神、インドは水と関連する昔の最高神
アフラ?(Ahura) アスラ?(Asura) イランでは最高神、インドでは恐ろしい神族から悪魔族へ
ダエーワ?(Daēva) デーヴァ(Deva) イランでは悪魔、インドでは「神」のこと
ドゥルジ?(Drug) ドルフ?(Druh) どちらも「虚偽」。イランでは大悪魔でもある
クシャスラ?(Xšaθra) クシャトリヤ?(Kṣatrya) イランでは「王国」の善霊、インドでは武人階級
アールマティ?(Ārmati) アラマティ?(Aramati) イランでは大地の善霊、インドでは女神
ミスラ(Miθra) ミトラ?(Mitra) イランのは太陽・戦闘神、インドのは契約の神
ワユ?(Vayu) ヴァーユ?(Vayu) 風の神
インドラ(Indra) インドラ(Indra) イランでは大悪魔、インドでは戦闘・天候神
サウルワ?(Saurva) シャルヴァ(Śarva) イランでは大悪魔、インドではシヴァ神の別名
ノーンハスヤ (Nāŋhaiθia)  ナーサティヤ双神(Nāsatyau) イランでは大悪魔、インドでは治癒の双子神
ウルスラグナ?(Vərəθragna) ヴリトラハン(Vrtrahan) イランは戦闘神、インドはインドラのこと。「ヴリトラ殺し」
スラエータオナ?(Θraētaona) トリタ?(Trita) どちらも三頭怪物殺しの英雄
イマ?(Yima) ヤマ?(Yama) どちらも最初の人間。インドのほうは閻魔様になる
アジ・ダハーカ(Aži Dahāka) アヒ・ヴリトラ(Ahi Vrtra) どちらも蛇の怪物
ガンダレヴァ(Gandarəβa) ガンダルヴァ?(Gandharva) イランでは人食い怪物、インドでは芸術の半神
バガ(イラン)?(Bagha) バガ?(Baga) イランは「神」を意味する言葉、インドは神々の一人
アータル?(Ātar) アグニ(Agni) 火の神
アイリヤマン?(Airyaman) アリヤマン?(Aryaman) どちらも小神。
アシャ(Aša)、アルタ(Arəta) リタ?(Rta) どちらも宇宙の法則
ガーサー(Gāθā) ガーター?(Gāthā) どちらも「詩」「賛歌」
ハオマ?(Haoma) ソーマ(Soma) 神々の飲料
ワズラ?(Vazra) ヴァジュラ?(Vajra) イランではミスラの武器、インドではインドラの武器

イラン神話に関係する名前

ゾロアスター教に関係する名前はゾロアスター教を参照のこと。

神々

人物

史料など

アヴェスター
ヘロドトス歴史
フィルドゥシー『シャー・ナーメ』(『王書』)
サーデク・ヘダーヤト『ペルシア民俗誌』
ナルト叙事詩

おもな参考文献

ゾロアスター教関係については「ゾロアスター教」も参照。

M. J. フェルマースレン 『ミトラス教』 山本書店
イヴ・ボンヌフォワ編 『世界神話大事典』 大修館書店
エミール・バンヴェニスト 『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』 言叢社
サーデク・ヘダーヤト 『ペルシア民俗誌』 平凡社東洋文庫
ジョルジュ・デュメジル 『神々の構造』 国文社
スコット・リトルトン、リンダ・マルカー 『アーサー王伝説の起源』 青土社
フィルドゥスィー、黒柳恒男訳 『王書(シャー・ナーメ) ペルシア英雄叙事詩』 平凡社東洋文庫
フェルドウスィー、岡田恵美子訳 『王書 こだいペルシャの神話・伝説』 岩波書店
フランツ・キュモン 『ミトラの密儀』 平凡社
プルタルコス 『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』 岩波書店
ヘロドトス歴史』 岩波書店
ミシェル・タルデュー 『マニ教』 白水社文庫クセジュ
ミルチア・エリアーデ 『世界宗教史』 筑摩書房
井上文則「ミトラス教研究の現在」『史林』87
黒柳恒男 『世界の神話伝説 総解説』 自由国民社
黒柳恒男編訳 『ペルシアの神話 王書(シャー・ナーメ)より』 泰流社
小川英雄 『ミトラス教研究』 リトン
『足利惇氏著作集 第一巻 イラン学』 東海大学出版会
大貫隆 『グノーシスの神話』 岩波書店
辻直四郎 『インド文明の曙』 岩波書店

*2

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最終更新:2023年10月14日 04:38

*1 またはサッティワザ、クルティワザ。この王の名前の最初に使われている楔形文字は一つの文字に複数の読みがあるので、どれが正しいかはわからない。

*2 なお、Wikipediaの「ゾロアスター教」にあるような「古代ミトラ教」の存在は資料や文献の意図的な曲解、恣意的な年代操作に基づくものである。少なくとも主流ではないような学説を「事典の項目」としてそれだけしか紹介しないのはあまり良いこととはいえない。